北海道置戸町を応援する創作童話『カラマツじいさん』

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 そこから置戸(おけと)勝山(かつやま)の町に行くには官公(かんこう)の汽車と呼ばれた小さな汽車に乗った。それは山に木を植える仕事に使うために作られた汽車で、一日、二~三回は町と旭部落を往復した。   やがて戦争が始まると男は戦争に行ってしまい、どの家でも、母さんが畑を作って子どもたちを育てた。子どもも少し大きくなると、小さな赤ん坊をおんぶしてご飯支度の手伝いをした。中には、力がないために鍋や釜をひっくり返してヤケドをする子もいたもんじゃ。ヤケドしたり、あかぎれした手が痛くて、手をさすったり舐めたりしながら、鼻たらして、わしの根元で泣いておった子どもたちは、今頃どうしておるじゃろう。 d72f006a-3b2e-4635-bae2-aa293c198849写真は、当時、置戸町の森林鉄道を走っていたボールドウィン号と同タイプの機関車 なお実際に置戸で使用されていたボールドウィン号は現在、群馬県の林野庁林業機械センターに展示されているそうです。  ボールドウィン号の解説 ・時速は5キロと定められていたが時にかなりのスピードで走った ・蒸気口がカボチャに似ている理由は、煙が内側に巻くようにして外へ出る。そうすると火の粉が飛ばないので山火事が起きない。 ・置戸の森林鉄道は貨車10台ほどを引き、1日2往復。大正10年から昭和36年まで46万8千キロ走行し、約190万立方メートルの木材を運んだ。 
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