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38.***葬送***
「……もっとこう、オレは湿っぽいのを希望してたんだけど?」
名残惜しさと忙しさにかまけて、ぎりぎりまで地上に留まった真桜は、赤茶の髪をかき上げて苦笑いする。10年前に地上を離れる決意をした際、弟子に人生の終わりを見送ってもらうつもりだった。普通に人間のフリで、病を得たように誤魔化して、涙で看取られる予定なのに……どうしてこうなったのか。
「いってらっしゃい、師匠」
「近々雨乞いがあるのでお呼びします」
白い長い髪を腰まで伸ばして後ろで結んだだけの藍人は、軽装で手を振る。隣の糺尾はきっちりと黒髪を結っているが、後ろから尻尾が出ていた。
「藍人、オレは一応死人になるんだからな。帰る予定はない。あと雨乞いくらい自分で何とかしろ……それから尻尾が出てるぞ、糺尾」
それぞれに言い返す。式神は一時貸し出しとなり、あと5年ほど子供達を見守ってくれることになった。飛び出す糺尾の尻尾やら、狐火を連れ歩く姿に危機感しかないと泣かれる。藤姫は母親代わりに彼らの生涯を見守りたいと願い出たので、許可した。
さっさと地底に戻った黒葉が、大仰な牛車を迎えに寄越したため……新月の夜に闇に紛れて消えるつもりだったが、子供達は遊びに来た親戚が帰る程度の軽い見送りなのだ。
朝から「師匠の死亡」を届け出るのだから、今から泣き腫らして欲しい。弟子に「死にました」と軽く報告されたら、北斗辺りに大笑いされそうだった。彼とは昨夜に酒を酌み交わし、すでに別れは済んでいる。
「きちんと明日は泣きながら報告に行きますから! ご安心ください!!」
勢いよく宣言されても、全然悲壮感がない。糺尾が元気よく手を振る中、くすくす笑い続けて止まらないアカリと並んで屋形に乗り込んだ。黒い牛に似た式紙が引く牛車が動き出し、暗がりに飲み込まれて消える。
「っ……、う」
「よく、我慢したわ」
両手を広げる藤姫に駆け寄った糺尾が泣き出し、藍人は見えない月を睨むように夜空を見上げた。眦に伝う涙を見ないフリで、華炎と華守流が溜め息をつく。師匠である真桜に泣き顔は絶対見せないと決意した彼らを尊重したものの、泣いて縋っても結果は同じだった気がする。
真桜が望んだ以上に湿っぽい雰囲気が漂う鎮守社は、当代の神が消えた空席に新たな白い鎮守神を迎えることで滞りなく代替わりを終えた。
「今夜だったね」
「ええ」
暗い御所の庭に咲く桜の下に用意させた舞台で、山吹は愛用の笛を取り出した。即興で曲を奏でると、琴に爪を滑らせる瑠璃の音が重なる。雅な曲を称えるように、琵琶の音が添えられた。幼かった子供は琵琶を操れる年齢になった。
黄金の髪を持つ親子は三人三様の楽の音に乗せて、現人神であった友人を見送る。鎮守神として国を守った、赤茶の髪を持つ国津神へ感謝を込めて。
見送りの曲はしばらく御所に響き渡った。
都一の実力を持つ筆頭陰陽師の訃報は、一部の貴族を安堵させ、また多くの人々に嘆きをもって受け入れられる。帝の命で盛大な葬儀が執り行われたが、陰陽師真桜の遺体を確認したものはいない。
わずか数か月後――。
『糺尾っ! 藍人も! 何をやってんだ!!』
雨乞いに失敗した2人は、鎮守社の縁側に正座して説教を聞いていた。叱る真桜は半分透けているが、拳骨を落とすときはしっかり実体化する。ごつんと響いた音に頭を抱え、糺尾が「うう」と唸った。思っていたより痛い。
『雨を呼ぶなら龍神殿だろう。なぜ、建御雷之男神殿をお呼びした? 乾燥した都に雷が落ちれば燃えるだろう!!』
乾燥した今の時期に雨を呼ぶのは恒例だが、雷を落とした陰陽師は多くない。というか、記録上初めてだろう。わざとではないのだが、雨といえば雷と考え事をしながら召喚したため、違う神につながってしまったのだ。
無駄に霊力が豊富な糺尾らしい失敗であり、藍人は巻き添えを食った形だった。反論しない藍人は、久しぶりに会った師匠に嬉しそうな笑みを向ける。反省の色は欠片もなかった。
なんにしろ、弟子のしくじりは師匠の失敗だ。
『……しかたない』
しばらく滞在して鍛えなおすことに決め、真桜は大きな溜め息をついた。見えない場所でアカリがにやりと笑い、藍人と糺尾が陰で手を握り合う。嵌められたと知らぬは当人ばかりなり――苦労性の陰陽師が自由になれるのは、まだ先の話になりそうだ。
――終――
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