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5.***待月***
どのくらい待たされただろうか。夜の闇が深くなり、やがて雲が三日月の上に覆いかぶさるまで、真桜達は酒盛りを続けていた。
待ち人来らず。酒のつまみも尽きた深夜は、退屈しのぎに妖を眺める程度の時間潰しが関の山だった。
「疲れた。もう帰って寝るか」
時間通りに来ない方が悪い。そう決めた真桜の呟きに応じたように、白い影が舞い降りた。
「真桜、あれをみよ」
注意をひくアカリの声に、火照った手で欠伸を覆い隠しながら顔を向ける。整った顔をほんのり赤く染めたアカリが目を輝かせた。
美しい白い狐が空を歩いてくる。その尾は大きく、複数がそれぞれ意思をもつように自由に揺れていた。見覚えのある知己の姿に、真桜が手を振る。
「求未、こっちだ」
『久方ぶりよの、そなたも息災で何よりじゃ』
大仰な話し方は古い時代を感じさせる。しかも九尾の狐は雌であるらしい。柔らかな声が狐の口から流暢な言葉となって放たれる姿は、異形を見慣れた彼らにとっても珍しかった。
「息子はどこだ?」
預かる予定の息子がいないと真桜が指摘すると、求未は器用に笑った。空中を駆けて鬼門の上に降り立った狐は、くるりと回って人の姿を真似る。
白い肌を縁取るは、足元まで届く艶やかで美しく手入れされた黒髪だ。寒気がするほど整った顔立ちは、アカリと並んでも遜色がない。
白い衣をまとい、大きな尻尾を9本揺らしながら彼女は静かに座った。藤姫の優雅さに負けず劣らぬ仕草で衣を捌き、己の尻尾に寄りかかる形で斜めに身を傾ける。怠惰な印象があるのに、ひどく煽情的だった。
『慌てるでないわ。奴ならば、そら……彼処におろうが?』
「……置いてきたのか」
まだ飛ぶ事を知らぬ息子を置き去りにした母狐は、平然と微笑む。蛍と露草が描かれたお気に入りの扇子を広げ、顔の半分を隠した。
『そなたに預けるゆえ、あとはよしなに』
「完全に任せると闇の眷属にするぞ」
笑いながら物騒な発言をすれば、九尾の狐はさも堪えられぬとばかりに笑い出した。
『我が子が次代の闇の王に仕えるなら、それもまた良し。妾は気にせぬ』
豪快なのか、頓着しない性質か。言い切った彼女は扇子をぱちんと音をさせて畳んだ。扇子で拾い上げるようにした息子を目の前に着地させ、尻を叩いて座らせる。
狐姿の息子は腰を落とした。じっと真桜の顔をみて、次にアカリに視線を移して頬を染める。
男女を勘違いされたと気付きながら、婉然と微笑んで誑かすアカリに「やめておけ」と注意した。今後一緒に生活するのに、へんな痼りを残すことはない。
「この子を預かればいいんだな?」
『妾と人の間の子じゃ。妖力は溢れるほどに持っておるが、霊力に変換する術がなっておらぬ。妾が教えるには限界があるゆえ任せた』
本来、妖である九尾の狐は妖力を使う。それは限りなく霊力に近い力だが、生来の妖である彼女は苦労なく変換して使い分けてきた。しかし息子は人の血を引いている。同じように妖力を扱うことができなかった。
人の世で生きるなら、霊力も妖力も自在に操る能力が必要だが、彼女には教えてやることが出来ない。妖狐にとって呼吸と同じように容易にこなす、簡単な事だけに他者に伝える事が難しかった。
誰もが己の心臓を止めたり、呼吸の仕方を意識しないのと同じ。同じように人の血が混じった真桜ならばと考えて預けるのは、母心でもあった。
『では任せたぞ』
明け方の空が紫色に染まるのを見るや、求未は空を駆けて消えた。
「……本当に自由な女だよな〜」
呆れ半分で呟いた真桜は、振り返った先で行儀よく座る狐の姿に眉をひそめる。
「人形はとれる、よな?」
不安に駆られた真桜に、妖狐の子は首を傾げた。
「やられた、そこからか」
先の長い弟子を撫でながら、真桜は苦笑いした。
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