ひんやりと やわやわと

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午後五時。 まだ日は高い。買ったばかりの花茣蓙(はなござ)に、湿り雑巾をそっと当てる。左から右に畳の目に沿ってサッと拭き取るとい草の香りがぷんと鼻腔を擽る。 私にとってこれは夏休みの香り。 プールの後のお昼寝は花茣蓙の上。目が覚めると決まってほっぺや肩に茣蓙の跡がヨダレと共に残っていた。夜は家族団らんの場。父さんはビール、私はアイス。母さんは洗い物が終わってからそっと私の傍で宿題チェック。 そして今は私が母さんの立ち位置。 手早く仕上げたつもりだけど、拭き終わった頃にはこめかみからくるぶしまで汗が吹き出していた。 午後六時。 少し日暮れてきた。シャワーで汗を流し、炭酸水を手に花茣蓙の部屋に戻る。 そのままぺたりと座ってみた。 特にこれまでと変化なし。炭酸水を茣蓙の上に置いて寝転がってみた。 冷たすぎない茣蓙の温度が火照った体に心地よい。 簾越しに窓から入るまだ少し生ぬるい風が、頬を腕を脚を、ぬるんと撫でていく。 午後六時半。 夕焼けの赤が簾を突き抜けて花茣蓙と、そこに手足を伸ばしている私を赤く染めあげる。 蝉の音に蛙の声が混ざり始める。 家族の帰宅まであと三十分。 コロンと仰向けになり深呼吸。 ペットボトルの表面から滑り落ちた水滴が花茣蓙を濡らす。内側で炭酸が時々思い出したようにシュワシュワと上に昇ってくる。 そろそろ動かないと、と頭では思う。でももう少しだけ味わいたい。 蒼を思わせる藁の香りとぬるく体を包む風。 素肌に触れる茣蓙の感触。 それはひんやりと心地よく、やわやわと幼き頃へと私を誘ってやまない。 完
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