第23話 事故

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第23話 事故

 頭の上で何かがわんわんと鳴り響いている。うるさいな、何の騒音だよ。  耳を塞ぎたくなるが、怠くて手が上がらない。しばらくして、それが人の声だと分かった。所長と…もう一人は…誰だっけ… 「勝手に手を出すな言うてるやろ! 守屋、お前が邪魔をするから前も逃げられたんやないか、何回言うたら解るんや!」 「あんまり可愛い子だったかったから、つい悪い癖が出ちゃったよ。でもローション仕込んで来るくらいだから仕上がってんだろ?さすが特別枠採用の子だ、そんなに怒らなくてもこの子は逃げたりしないよ」  うっすらと目を開けると、僕はソファに寝かされていた。  何があったんだっけ?  記憶を辿ると、所長と口論している守屋に、抱かれて飛ばされたことを思い出した。  気を失ってたのか…どれくらい? 時計を見ると、それほど時間は経っていなかった。  身体を起こすと、所長がすぐに支えて服を取ってくれた。それを受け取り、モソモソと着て整える。 「大丈夫か、誠。すまなんだなぁ、ワシが遅れたばっかりに…こんな奴、殴ったっても良かったのに」 「所長に……適当に相手をして待ってろと言われたので…」  所長が驚くと、その後ろで守屋が爆笑した。 「ほらな、この子は逃げるようなタマじゃないって。彼氏が居ながらお前の相手をするような子だ。その辺のウリ専より肝が据わってるよ」 「彼氏なんて居ません」  ハッキリ言葉にすると、また守屋が笑った。 「なんだ、奴の片想いなのか。それにしては凄い執着心を感じるマーキングの量だね。さっき私の所へ殴り込みに来ずに、長政を呼びに行ったのは、彼氏じゃないからか。今もその辺で様子を伺っているんじゃないか?」  守屋は、甲斐谷の存在が楽しくて仕方がないと言った感じだ。  甲斐谷に見られた。  でももう…何もかもどうでもいい。  生気なく床の一点を見ていると、蟻が1匹歩いている。もがくように歩く先に何があるのか。  僕の背中をさすっていた所長が静かに口を開いた。 「今日はもう仕事はええさかい、部屋で休み」  部屋で何をするって言うんだ。別にセックスが良くて酸欠になりちょっと気を失ってただけで、身体が痛いわけでも、熱があるわけでもない。部屋で転がっていたところで、することは何も無い。 「大丈夫です、仕事に戻ります」 「そうか? じゃあ、ワシらももう出かけるから、そこまで一緒に行こか」  立ち上がってもう一度床を見ると、蟻の居たところには所長の足があった。蟻は…所長に踏まれて潰されたのか、それとも既に何処かへ歩き去っていたのか。  所長室を出ると、見える範囲に甲斐谷と虎鉄が居た。少し離れたところからこちらを見ている。そして甲斐谷の目は、怒りと侮蔑に満ちていた。  所長が、僕と守屋を連れて部屋を出ると、所長室に鍵をかけ、駐車場の方へ歩き出す。すると甲斐谷がこちらに向かって歩いて来た。  マズい…守屋を殴ったりしないだろうな…  僕が甲斐谷の方を見ると、虎鉄が僕に気付いて走り出した。  突然引っ張られた甲斐谷は、バランスを崩し、地に膝をついて僕に向かって叫んだ。 「誠、虎鉄を捕まえてくれ!」    はいはい、大丈夫だよ、虎鉄は僕の事が好きだから、僕を見つけて喜んでるだけだ。いつぞやみたいに、僕に飛び付いて、尻尾を振ってくれる。  僕が笑顔で両手を広げると……後ろから守屋の怒鳴り声が響いた。 「何やってるんだ、お前は! 犬に引っ張られて綱を離すなんて、それでも訓練士見習いか!」  その怒鳴り声を聞いて、虎鉄の目の色が変わった。一瞬で毛が逆立ち、牙を見せ、殺気を放って、僕には目もくれず守屋に飛びかかった。 602f8f7a-e426-4b0c-a0aa-af7526a022af  ダメだ……虎鉄!!!!  次の瞬間、僕が守屋の前に出した左手に虎鉄が噛み付いた。  ガツンと金槌で殴られたような痛みが左手を襲う。興奮した虎鉄は口を離すことなく、そのまま全身を使って僕を振り回した。 「甲斐谷、今すぐ林と柏木を呼んで来い!」  所長の冷静な声が聞こえる中、ジャケットが鮮血で染まるのが見え、痛みと喧騒に記憶がドロリと濁った。
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