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第24話 白い部屋
一昨日救急車で運ばれた僕は、麻酔の注射を打ち、傷を開いての地獄のような消毒の後、入院することになった。
訓練所に帰りたかったが、仕事にならないのは元より、翌日・翌々日と消毒が必要ということで…親には連絡しない事を交換条件に、所長に入院させられた。
白い部屋に並んだベッドの上で、特にすることも無くただぼうっと窓の外を眺める。寝過ぎたからか、少し頭が痛い。外は明るいが、街並みは春雨に煙っていた。
4人部屋だがベッドの間は厚めのカーテンで仕切られ、半分閉じられたカーテンの外に人の気配はあるが、他の入院患者さんと交流する気にはなれなかった。
TVを見たところで興味を引くような番組は無く、たった2泊しただけだが退屈で死にそうだ。
左手首に貼られた大きな絆創膏の下では、心臓の拍動に合わせて痛みが響き、周辺は紫色になって腫れている。
痛みに耐えながら味の薄い昼食を残さず食べ終わると、ちょうど年配の女性看護師さんが僕の名前を呼んだ。
「誠さーん、食べ終わったら消毒行きましょか」
看護師さんについて診察室へ行くと、主治医の女性が座っていた。白衣を着た30代くらいの…第一印象は女性だけど、じっくり見てると男性のようにも見えてくる、ひどく中性的な医師。
「体調どう? 気持ち悪いとか無い?」
「……寝過ぎで少し頭が痛いです」
「あはは、傷より頭の方が痛いか。君、なかなか負けず嫌いやな」
医師は和かに談笑しながらゴム手袋をはめると、傷を覆っている絆創膏を剥がした。
皮膚が5cmほど裂けた部分が二ヶ所…犬歯の位置だ。中の赤い筋肉が露出しているが、出血は治っている。ちょうどカミソリで切った傷と皮膚の裂け目が重なっていて、カミソリ痕はほとんど分からなくなってた。
連日、傷の奥まで器具を突っ込んで洗浄されたが、今日もまたやるのだろうか。
麻酔のあまり効かない激痛の洗浄を想像して緊張していると、傷の具合をまじまじと観察していた医師が少し表情を弛緩させた。
「じゃ、縫合します。退院してもしっかり薬飲んでよ」
若い看護師さんに何やら道具を持って来るよう頼むと、看護師さんが席を外した隙に、医師は厳しい表情で机の上で消毒液に浸かっていたピンセットを傷に近づけて僕に説明をした。
「一昨日から気になってたんやけど、やっぱり言うとくわ。これはな、犬に噛まれて裂けた傷や。でもコレ…見えるか? この細い線はな、刃物で切った傷や」
サァッと血の気が引いて行くのを感じた。僕が切った本人だから傷がある事を知っていたが、見る人が見れば傷がこんな状態でも刃物の傷だと分かるのか。
「位置、方向、深さなんかから、事故か自傷かも判る。その新しいカミソリ痕は、その吸引性皮下出血と関係あるんか?」
傷を診る為に捲り上げた腕と、ゆったりした病院着ではギリギリ見えてしまう胸元に付けられたマーキングを指差す医師。
喉にナイフを突きつけられたような質問に冷や汗が流れ落ちる。大声を出して暴れられれば良いのに。でも僕には、ちょっと冷たく答えるくらいしか出来なかった。
「……あなたには関係無い」
「そらそうや、私も君が甥っ子とかやったらよう聞かんわ。赤の他人やから聞けるんや」
医師はカラカラと笑い、すぐに真剣な眼差しに戻った。
「君の人生に何があるのか私には分からんけどな、助けが必要ならいつでも言いなさい。犬が消してくれたんやから、もう新しい傷作ったらアカンよ」
虎鉄が…消してくれた…?
そこへ器具を乗せたトレーを持った看護師さんが入って来た。医師は、僕の左腕を銀色の楕円形の器に乗せ、机の上で洗浄する。今日は傷の中まで洗浄されなくてホッとしていると、ホチキスのような物で傷口を閉じられた。
「しっかし、初めて噛まれて入院て…相当運悪いな。噛んだ犬が中型犬で良かったね。治るまで最低1ヶ月はかかるけど、このまま膿まへんかったらゴールデンウィーク明けには抜糸出来るやろ」
医師は、憮然と左腕を見つめる僕の肩にポンと手を置くと、帰宅準備をするよう言って診察を終わらせた。
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