第26話 選別

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第26話 選別

「虎鉄はな、これまでに何人も噛んで、飼い主も何人も変わってるんや。最後の飼い主が安楽死の為に連れて来た虎鉄を、入間先生が引き取ったそうや。あの先生はこの道30年のベテランや。自腹切ってウチに預けるような優しい人やねんけどな……アカンと思たら決断して実行出来る人や」  虎鉄は悪くない。悪いのは、大声で怒鳴ったあの税理士だ。虎鉄は…ちょっと怖がりだっただけ。  視界が歪み、頰を伝う水を所長が拭う。 「誠は"トリアージ"って言葉を知ってるか?」  聞いた事が無いカタカナに首を横に振ると、所長は僕を膝に乗せたまま説明した。 「救急事故現場で怪我した人とかに優先順位をつけることでな[重症な人を優先]して治療し、全員の[命を救う]為の"選別"をすることや。えぇか、人間の場合は[重症な人優先]や」  そして、紙と鉛筆を取り出し、図を描きながら、いつも以上に饒舌に持論を展開した。 「動物はその逆や。[重症個体を見捨て]て[健康な個体を優先する]のが動物のトリアージや。重症化した動物を救う手間・時間・費用を考えたら、同じ手間・時間・費用で軽症の動物を10頭救った方が効率がええからな。まぁ、口蹄疫やら鳥インフルなんかは効率無視で全処分やけどな」  白い紙を汚していく下手くそな絵を見ながら黙って聞く。人によって考え方は千差万別だと思うが、所長の意見もそれなりに説得力があるように思えた。 「例えば車に轢かれた犬を助けたとする。手術に百万円かかって命は助かったけど、一生下半身付随で、排泄の介助が要る。そんな犬と、健康な子犬と、どっちを飼いたい? もちろん中には優しい人も居る。でも現実はほとんどの人が健康な子犬を選ぶ。それなら車に轢かれた犬は見捨てて、浮いた百万で健康な子犬10頭に訓練入れて里親探した方が良いんちゃうか?」  犬の寿命は約10〜15年。それを介護で過ごす為に犬を飼う人は稀だ。大抵は犬とハイキングに行ったり、ボール投げする事を夢見て犬を飼うんじゃないだろうか。 「犬は年間何十万頭も処分されてて、救うにしても一個人の力には限界がある。その限界の中で、より多くを救う為にはどうすればええか…よう考え。虎鉄を引き取ろうと思った気持ちで、これから他の犬を10頭救えばええんや」  所長も少しはそんな思いで訓練士になったのだろうか? 「訓練士に限らずやけどな、動物を扱う仕事は、割り切りが大事や。自分が生きていく為に生活費も稼がなあかん。腹括って割り切る事を覚えやんと、全部背負ってたらすぐ潰れるで。潰れたら結局1頭も救えやん。割り切って、ザルのように救えやんかっても、1頭救えたらそれで勝ちや。ええな…潰れたら負けやで」  年間何十万頭……ザルのようにすり抜けていく救えない命。虎鉄は、その内の1頭にすぎなかったのか。  それを割り切る? いつか僕にも出来るようになるのだろうか。今はとても無理だ。初めての担当犬だったのに…。  僕は噛まれて嬉しかった。カミソリ痕が消えて…嬉しかったよ…虎鉄。  僕に飛び付いた重さや尻尾を振る姿を思い出すと、はらはらと目から水が流れ落ちた。所長がまた溜め息をつく。  肩を引き寄せられ所長の胸に落ちると、所長は僕の頭を撫で、抱きしめた。今は…今だけは、所長の人肌がありがたい。 5d63a5d8-d53b-4c5d-9c3e-e3e4599e6a2e  どのくらいそうしていたか、しばらくすると所長は僕を起こし、選択肢を3つ提示した。 「この後どうする? 仕事するか。部屋で休むか。それとも、ワシの相手でもするか?」  服の中に手を入れてまさぐられ、少しでも所長を優しいと思った僕がバカだったと反省した。急速に冷えていく心を所長が弄ぶ。 「何か嫌なことがあったらワシにぶつけたらええ。忘れさせたるで…せいぜい一瞬やけどな」  柏木先輩や林さんの下で、大した役にも立てないまま左手の傷を気遣わせて仕事をするか……  誰も居ない、カミソリのある部屋で独りで過ごすか…  ほんのひと時だけ、温かい人肌に触れて快楽に溺れ、全てを忘れるか……  所長の手がズボンの紐を緩め、ブリーフの中に入って来る。ねっとりと時間をかけて扱かれ、そんな気は無かった僕の下半身も、ヨダレを垂らしながら鎌首をもたげた。  準備など全くしていないが、所長はそんなこと気にしないだろう。
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