それは甘い罠

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「……新しい、支配人?」 ──一週間前。 夕刻差し迫る頃。朝日奈は、いつもの様に職場であるホストクラブ──【Chanty(シャンティ)】の事務所で寛いでいた。 彼のお気に入りは、簡素な室内の内装にはそぐわない、大きな黒革張りのソファーである。元々ここには無かった代物であったが、コレは朝日奈が自ら運び入れたという特注品だ。少々手狭な事務所の幅をとるその存在はなんとも言えぬ圧迫感があり、「邪魔だから自分の部屋(いえ)にでも突っ込んでおけ」と周りから何度言われたか分からない。けれど、クラブNo.1ホスト──『ヒナ』こと朝日奈には、そんな小言は通用しなかった。 実際、キャストの中でも群を抜いて飛び抜けた人気を誇るヒナにあまり強く言える者は居ない。遠回しに、甘やかされている、とも言うのだろう。 「うん、そうだよ。急に決まったことなんだけどね。」 それはこの、【Chanty】のオーナー──青柳 貴弘(あおやぎ たかひろ)ですら、例外でなく。否、寧ろこの男こそ、周りのキャストが引くほど朝日奈のことを猫可愛がりしている張本人である。事務所で寝泊まりしたいからソファーを置きたいなどという、身勝手ないちホストの我儘を、二つ返事で許してしまうぐらいには(やぶさ)かでない。それを甘んじて受ける事にも、もうすっかりと慣れてしまった。 まだ出勤前だからと、今日も今日とてだらしのない格好でソファーに転がる朝日奈を、青柳は柔らかく微笑んで見つめる。タレ目がちな瞳が細くなり、以前より少し増えた目尻のシワ。 普通歳を重ねる事に見てくれは廃れていくものだが、こう余計に色気が増した様に感じられるのは一体何故なのだろう。やはり、この男には叶わない。朝日奈は一人心の中で苦笑する。ナンバーワンと謳われる自分ですら霞んでしまいそうだ。 青柳はシャツを少したくしあげて腕時計を確認する。規則正しく動くソレを、彼は先程から何度も見ては溜息を吐いていた。 「……うーん。今日、来るはずなんだけど、それ以降音沙汰無しなんだ。全く、ルーズなのは相変わらずだな……まあ、頼りになる(やつ)だから心配はしていないんだけど。」 「知り合いなの?ソイツ。」 「ああ、うん。昔馴染みというか、…腐れ縁、みたいな感じかなぁ……。」 少し遠くを見遣り、何かを思い出すかのようにはにかんだ青柳は、デスクに置いてあったティーカップを手にする。 ゆっくり啜るその仕草すら絵になる人だ。 これでもうすぐ四十歳になるのだと言うのだから、とてもじゃないが信じ難い話である。 (──ほんと、もうちょい歳が近かったらなァ。) 青柳の雰囲気や顔立ちは、正に、ゲイである朝日奈の好みドストライクである。物憂げな儚い感じといい、滲み出る柔らかい空気はこの上の無い癒しだ。 ただ、朝日奈はまだ三十にも満たない若造であり、青柳からはまるで弟や息子のような扱いを受けている。別に恋などでは無いから特に気にしないし、青柳のことは心から尊敬してるから、それで構わないのも確かだけれど、どうしても時折子兎を思わせ、手が出そうになる事がある。
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