それは甘い罠

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「……ふぅん、妬けるなぁ、青柳さんのそんな優しい顔。余程イイオトコなんだ?」 「ヒナの考えてるヤツとは違うよ。昔、ちょっと借りがあってね。良い男である事には違いないかな。」 「へぇ。」 「──まあ、会ったら分かるよ。きっとね。」 ふん。 大して興味も持てない癖に、面白くないな、と朝日奈は小さく鼻を鳴らす。 普段他人にはあまり肩入れしない青柳がここまで言うのも珍しい話だ。それだけに、かなり信頼に足る人物であろうことは想像に容易い。 因みに先に断っておくと、青柳は決してゲイではないので、彼の良い男発言に深い意味など皆無である。まあ、一児の父であるから当然と言えば当然だが。 (この口振りからして、たぶん俺の知らない人間……ってことは、高校時代の友人か。) 青柳とはかなり長い付き合いだ。それこそ、この業界に入るよりもずっと前から──幼少の頃から可愛がってもらっていただけに、彼という人間がどんなかを朝日奈は良く知っている。 物腰柔らかな風体の癖に、他人との線引きが明白としていて、隙のない。ウサギの皮をかぶった豹のようなひと。朝日奈が青柳と出会った当初、確か彼もまだ大学生ぐらいだったと思うが、当時から既に今のような落ち着きを放っていた。 だが、聞くところによれば、高校時代の青柳は随分と荒れていて、手のつけられないような悪ガキだったらしい。まあ、らしい、というのも、なぜか実際に目撃していた人間はおらず、あくまでそれは噂の域を出ないのだけれど。 ただ、いつだったか、朝日奈が興味本位で本人に問い詰めた事があったのだが、その時の、無言ながらも微動だにしないあの笑顔の圧力が全てを物語っていたように思う。余程の黒歴史なのだろう。 以来、眠れる獅子をわざわざ起こす必要もない、と、彼の地雷には触れていなかった。 ──自分の知らない青柳。 新しく支配人としてやってくる例の男は恐らく、荒くれ者だった青柳を知る数少ない人間なのかもしれない。 そう思うとなんだか、…ちょっと妬ける話だ。 「──でも、なんでまた突然、支配人なんて入れることにしたわけ?今の体制でも充分統率は取れてるでしょ。」 「……うーん、そうなんだけど、何かあった時僕が居なかったら大変だし……僕もいつもバックにいるわけじゃないからね。」 「そんなの、今までだってそうだったと思うけど。」 「…ぅ、うーん……。」 「それに、そういう時はいつも俺が対処していたし、それで特別何か揉めることも無かっただろ。今更感拭えないんだけど。」 「……ね、ねえ、ヒナ、もしかして怒ってる?」 「……別に。」 ぎこちなく視線を外すと、朝日奈はぐるりと身体を回転させて青柳に背を向ける。そしてそのまま無意識に丸まって縮こまった。 暫しの沈黙が辺りを包む。 ……ああ。こういうところが餓鬼っぽくて駄目だと痛感する。昔から、青柳にだけはどうも素直に感情を出してしまうのだ。大の大人が聞いて呆れる……。 だが、頭を抱える朝日奈に対して、青柳はにこやかな笑みを浮かべていた。穏やかな瞳で朝日奈の背中を見つめて、小さく笑う。 「別にヒナのことを信用していないってことじゃないんだ。これは、その……まあ、言ってしまえば利害関係の一致…ってやつかな。」 「……?利害関係?」 「そう。それに、ちゃんと支配人をつけておけばヒナの負担も少しは軽くなるだろうと思ってね。」 「ヒナには頼りっぱなしだからなあ……」と続け、少々苦笑いする青柳に、朝日奈は意外そうに目を見開いて顔を上げる。 ナンバーワンに座しているとはいえ、一従業員に過ぎない朝日奈にできることなどたかが知れている。それに、ここに置いてもらっている恩もあるのだ。朝日奈こそ、青柳をずっと頼りっぱなしで、甘えてしまっているはずであった。 ……寧ろ、もっと負荷を与えられても構わないぐらいだというのに。 こういう優しさが少しむず痒い。
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