第四章

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勝手知ったる我が家の時貞は、ずんずんと進んで行き、 確かに、屋敷はテーマパークとは違っていた。 生活感があり、木の色合いや、光の加減が再現されたものとはまるで違う。 そもそも、緑のライトが点滅する防犯システムもないし、消化器などもない。 「失礼、仕ります!」 奥の部屋から声がした。 置いて行かれた結子は声のする方へ歩いていく。 「時貞。また、民の仕事を手伝っておったのか?」 「はい。彼らは大切な民です。 今はみな沈んだ顔をしていますが、この国を慈しみ、この国で共に生きていく者達です。 私はそんな彼らとおるのが愉快でなりません」 「そうか」 時貞の父である上月昌貞は、微笑ましそうに頷いた。 「いつかお許し頂けるならば、他藩へ旅に出て、見聞を広めて参りたいと思うております」 彼のハツラツとした声に、誰もが目を細めた。 父である昌貞以外は。 「さて、今日ここにお前を呼んだのは他でもない」 恐らくだが、時貞が呼ばれることはほとんどないのだろう。 時貞は身を乗り出して、父の話を今か今かと待ちわびている。 重い呼吸と共に、昌貞が口を開いた。 「我が領地だがここ何年かは日照りが続き、作物が育たなかった。 年貢の取れ高も悪く、近隣諸国との小競り合いも続いた。 徳川が倒れ、新しい時代となったが、だからと言って民の暮らしがよくなったわけではない」 政事の話に参加できる期待が高まった、時貞はさらに前のめりになる。 「お前も時機に元服する年となる。 もう一人前の男だ。わしもお前に期待してる」 その一言で、時貞の鼻の穴が一気に膨らみ、口角は平常を保とうとワナワナと震えている。 その様子を控えている家臣達も微笑ましくみている。 「時貞、お前に命ずる」 昌貞の言葉で、時貞はせすじを伸ばす。 「そこで元服した後は、薬加賀家の御息女ツグ姫と祝言を挙げよ」 ようやく話が腑に落ちた結子は思わず叫んだが、その声は誰にも届かない。 時貞な神妙な顔になり、口を結んで俯いた。 「待って下さい。それでは……わしは、この国にいらぬのですか?」 「そうではない。お前に民の命を救ってほしいのだ。 薬加賀家は、薬の原材料である薬草で財を成している。 だが、家に男子がおらん。 お前が婿養子となれば、薬加賀家は安泰なのだ」 彼は膝に乗せた拳にぎゅっと力を込める。 袴にシワが深く刻まれ、今にも千切れてしまいそうだった。 誰もが時貞の夢を蔑ろにしたいわけではない。 むしろ、本当に救ってほしいと願っている。 もっと世界を見たいという未来を背負う探究心。この国を変えてやるという野望。 自分はもっとすごいことができるという自尊心。 小さな少年の夢は現実という魔物の前で何もかもが泡となって消えたとしても。 そして、それは彼もわかっている。 「お前が望む通りにしてやれず、わしは父として本当に不甲斐ないと思っている。 だが、身を切るのはお前だけではない。 この婚儀が決まれば、上月家の家宝を家同士の契りとして、薬加賀家に譲り渡す」 その宣言に、家臣達が動揺する。 「殿、しかしあれは! 邪な心のものが使えばどうなることか。 危険すぎます!」 老臣である、重吉が身を乗り出して苦言を呈する。 「危険なことは百も承知。 しかし、向こうが提案してきたことだ。 国を救う代わりに、時貞と時かけの玉を渡せと」 「薬加賀家はなぜ、時かけの玉のことを?」 時貞が問うた。 「恐らくだが、以前に薬加賀家へ嫁に言った誰かが話したのであろう」 苦虫を噛み潰したような昌貞に、誰もそれ以上は言えなくなっていた。 自分の代で上月家にとって、大切な物を二つも失うのは、昌貞にとっては苦渋の決断だったのだろう。 父の顔を見ながら、ずっと唇を噛んでいた時貞だったが、やがて顔を上げ言った。 「父上、姫は美しいといいですな!」 その剽軽な言葉と笑顔に、みながほっと胸を撫で下ろしたように破顔する。
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