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その夜、時貞は木刀を持って山の中を駆け巡っていた。
手当たりしだいに、木刀を振り回し、幹に振り下ろす。
木と木がぶつかる音が山にこだまする。
彼は獣のように叫びながら、山を駆ける。
日和の目は溢れるほどの哀れみを向けていた。
「不幸せなわけではありません。
けれど、時貞様にとっては檻のない、幽閉ですよ。
婿に行ったところで何ができます?
国政の実権は薬加賀城主が握るでしょう。
そして、その後は時貞様の子供に継がせる。
彼はこれから、ただ何もすることなく、こらからの人生を生きるのです」
それを幸せだと思えたなら、どんなによかっただろう。
彼の叫びは、月夜に飲まれていく。
そして、場面は次々と変わる。
婚儀の最中。時貞は横目でツグ姫を見るが、白練帽子で顔は見えない。
ただのお飾りで、雛人形のように二人は黙って並んで座っていた。
しかし、それは突然やってきた。
窓の障子が吹き飛ばされ、強烈な夜風と共に桜の花びらが舞い込んでくる。
上月の身内や、家臣が騒然とする中で、そいつは現れた。
黒髪の天狗。
そいつは持っていたヤツデの団扇を大きく扇ぐ。
部屋の中で突風が吹いた。
御膳や酒や座布団がひっくり返り、悲鳴や怒号が上がる。
時貞はツグを庇って前に出るが、吹雪く桜で何も見えない。ここから逃げようと、腕で顔を庇いながらツグに手を伸ばしたが、そこにはもう誰もいなかった。
慌てて部屋中を見渡すと、白無垢を抱えた天狗が窓辺に足をかけ、片手には時の玉を持っていた。
時貞は真っ青になりながら、天狗に追いすがる。
しかし、時すでに遅し。
天狗は桜吹雪と共に夜空に駆けて行った。
時貞は甲冑を着て、神社へと走る。
そして、日和を叫ぶように呼んだ。
絞り出すように、悲鳴にも似た声で。
結子の後ろで月が登っていた。
これから起こる彼の物語を照らすように。
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