第五章

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部屋の奥から香の匂いがする。 甘い花のような香りである。 顔をあげると、そこにいた少女と目が合った。 「あなたが……ツグ姫ですか?」 流れるような黒髪。真っ白な肌。 全てのパーツが小さく、結子よりも幼い顔をしている1つか2つ年下なのかもしれない。 藤色の着物を着て、上座に行儀よく座っている。 勝手な想像だが、あの時貞と結婚するのだから、もっと威勢のいいイノシシみたいな女かと思っていた。 そして、侵入者である結子に飛びかかってくるのではないかと。 しかし、目の前にいる彼女は岸壁に咲いた花のように危うく、風に吹かれ、今にも折れてしまいそうな儚さがあった。 ツグは眠りから覚めたように視線を彷徨わせると、結子に手招きをした。 結子は彼女が手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた なんとなく、そうした方がいいと思ったからだ。 案の定、ツグは結子の手を引いて、そっと耳打ちした。 纏った衣から、さらに強い香の匂いがする。 「私を助けに来たの?」 ツグは耳元でやっと聞こえるぐらいの声で、結子に言った。 結子は黙って頷いた。 すると、目を見開き、嬉しそうな悲しそうな、どこか諦めたような顔でツグも頷いた。 「ここまで来るのは大変だったでしょう」 まさかの労いの言葉に、結子は思わず「いや、そんなことないです」と言わざるを得なかった。しかも、敬語で。 「ツグ姫、私はあなたを迎えに来ました。時貞が待っています」 彼女は困ったように視線を彷徨わせた。 しばらく、幽霊でも探すように部屋のあちこちを見ている。 ーーーえ、まさか、迷うの⁈ すぐには立とうとしないツグ姫の手を、結子は引っ張った。 しかし、弱々しい抵抗があり、ツグ姫はすぐに腰をついてしまう。 同い年ぐらいの女の子なのに、彼女の方が悲しい思いを経て、ずっと年を重ねているように見えのはなぜだろう。 なまるで迷子みたいだ。 「ツグ姫様」 声をかけると、ツグ姫はようやく決意したかのように顔を上げ、指先でそっと結子の頬に触れる。 「私はあなたとは行けません。 いえ、行きません」 「は?」 そう返事をした瞬間、襖が蹴破られた。 現れたのは天狗だった。 そいつは今までに見たことのない天狗だった。髪は黒く、赤ら顔ではあるが肌艶がいい。彼もまた若そうだ。しかし、体格もは他のより一回り大きく、見て明らかにお頭だった。 彼はすぐに手を伸ばして、結子を突き飛ばし、 ツグ姫を抱き寄せた。 つき飛ばされた結子は、部屋の隅に転がる。 「お願い、その人を傷つけないで」 ツグ姫が手を掲げると、天狗はぴたりと動きを止める。 「なぜ?」 唖然とする結子の視線は、敵意をむき出して唸る天狗の腕の中で、寄り添うツグ姫に向けられる。 彼女はさらに天狗に身を寄せる。 「あの人に伝えて下さい。 私くしは、私くしの道を生きると」 それが何を意味しているのか、結子にもわかった。 「でも」と言いかけて前に踏み出した時、「ごめんなさい」という言葉と共に、結子は風で吹き飛ばざれた。 軽々と飛んだ己は、空いた窓から放り出され、また宙を舞う。 最後に見たのは、ヤツデの葉の形をした扇と、泣き出しそうな顔のツグ姫だった。 (待って、嘘、なんで?) 死を思うよりも、結子の頭はツグ姫のことでいっぱいだった。 だって、それじゃ、あんまりだ。 あまりにも、あまりにも、時貞がかわいそうだ……
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