2人が本棚に入れています
本棚に追加
/52ページ
部屋の奥から香の匂いがする。
甘い花のような香りである。
顔をあげると、そこにいた少女と目が合った。
「あなたが……ツグ姫ですか?」
流れるような黒髪。真っ白な肌。
全てのパーツが小さく、結子よりも幼い顔をしている1つか2つ年下なのかもしれない。
藤色の着物を着て、上座に行儀よく座っている。
勝手な想像だが、あの時貞と結婚するのだから、もっと威勢のいいイノシシみたいな女かと思っていた。
そして、侵入者である結子に飛びかかってくるのではないかと。
しかし、目の前にいる彼女は岸壁に咲いた花のように危うく、風に吹かれ、今にも折れてしまいそうな儚さがあった。
ツグは眠りから覚めたように視線を彷徨わせると、結子に手招きをした。
結子は彼女が手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた
なんとなく、そうした方がいいと思ったからだ。
案の定、ツグは結子の手を引いて、そっと耳打ちした。
纏った衣から、さらに強い香の匂いがする。
「私を助けに来たの?」
ツグは耳元でやっと聞こえるぐらいの声で、結子に言った。
結子は黙って頷いた。
すると、目を見開き、嬉しそうな悲しそうな、どこか諦めたような顔でツグも頷いた。
「ここまで来るのは大変だったでしょう」
まさかの労いの言葉に、結子は思わず「いや、そんなことないです」と言わざるを得なかった。しかも、敬語で。
「ツグ姫、私はあなたを迎えに来ました。時貞が待っています」
彼女は困ったように視線を彷徨わせた。
しばらく、幽霊でも探すように部屋のあちこちを見ている。
ーーーえ、まさか、迷うの⁈
すぐには立とうとしないツグ姫の手を、結子は引っ張った。
しかし、弱々しい抵抗があり、ツグ姫はすぐに腰をついてしまう。
同い年ぐらいの女の子なのに、彼女の方が悲しい思いを経て、ずっと年を重ねているように見えのはなぜだろう。
なまるで迷子みたいだ。
「ツグ姫様」
声をかけると、ツグ姫はようやく決意したかのように顔を上げ、指先でそっと結子の頬に触れる。
「私はあなたとは行けません。
いえ、行きません」
「は?」
そう返事をした瞬間、襖が蹴破られた。
現れたのは天狗だった。
そいつは今までに見たことのない天狗だった。髪は黒く、赤ら顔ではあるが肌艶がいい。彼もまた若そうだ。しかし、体格もは他のより一回り大きく、見て明らかにお頭だった。
彼はすぐに手を伸ばして、結子を突き飛ばし、
ツグ姫を抱き寄せた。
つき飛ばされた結子は、部屋の隅に転がる。
「お願い、その人を傷つけないで」
ツグ姫が手を掲げると、天狗はぴたりと動きを止める。
「なぜ?」
唖然とする結子の視線は、敵意をむき出して唸る天狗の腕の中で、寄り添うツグ姫に向けられる。
彼女はさらに天狗に身を寄せる。
「あの人に伝えて下さい。
私くしは、私くしの道を生きると」
それが何を意味しているのか、結子にもわかった。
「でも」と言いかけて前に踏み出した時、「ごめんなさい」という言葉と共に、結子は風で吹き飛ばざれた。
軽々と飛んだ己は、空いた窓から放り出され、また宙を舞う。
最後に見たのは、ヤツデの葉の形をした扇と、泣き出しそうな顔のツグ姫だった。
(待って、嘘、なんで?)
死を思うよりも、結子の頭はツグ姫のことでいっぱいだった。
だって、それじゃ、あんまりだ。
あまりにも、あまりにも、時貞がかわいそうだ……
最初のコメントを投稿しよう!