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「ゆいこ!」
衝撃と共に、結子は背中からは抱きしめられた。
足は地面につかず、まだ宙に浮いている。
「危なかったなー」
後ろから抱きしめている時貞の、ほっと吐いた息が首を掠める。
彼は日和に跨り、結子を迎えにきたのだ。
「お見事でございます。時貞様!」
「天狗を引き止めきれんかったのは、わしのせいだからな。
いやー。間に合ってよかった」
時貞が軽く笑うと、日和はようやく地面に足をつけた。
「結子、お前一人か」
結子は黙って頷いた。
今すぐにでも、真実を告げねばならぬと、頭の中は警鐘を鳴らしていたが、うまく声がでない。ようやくでたのは、
「ツグ姫は大丈夫だった」
「怪我はなかったのか?」
結子はようやく「うん」と声に出した。
「そうか、そうか。
結子、ありがとう。ツグ姫の無事が確認できただけでもよかった」
時貞はそう言ったが、その顔は曇っている。
「わしが不甲斐ないばかりに、また助けることができなったか。
ほんに、情けないのう」
「違うの!」
結子はとっさに、時貞に腕を取った。
「ツグ姫が」
「うん?」
ーーーちゃんと言いなよ。
あの時、彼女は意地悪のつもりで言ったのかもしれない。急かして、結子を追い詰めようとしたのかもしれない。
だが、その言葉が結子の背中を押してくれた。
そうでないと、ここまで来た時貞に申し訳がたたない。
「ツグ姫が…時貞とは結婚できないって」
消え入りそうな声だったが、ちゃんと時貞には届いたようだった。
彼は初め、きょとんとした顔をしたがやかで、信じられないものを見るように目を見開き、口を開けている。
「嘘だ」
「ごめん!ほんと、私にもわかんないけど、行けないんだって」
「だが!あいつはわしの国をどうする気だ。
それでも、一介の姫か⁈」
激昂する時貞に気圧されて、結子は後ずさる。
彼は今にも泣きそうだった。
異国に来るよりも、もっと生活の隔たりがあり、帰れぬかもしれない未来に来た時より、ずっと不安そうだった。
「知らないわよ。
だって、ツグ姫にはあんたの国を助けるより大切なことがあるんだから仕方ないじゃない」
ーーー弓道より大切なことが人にはあるの!
はっ、となって結子は立ち止まる。
「ツグ姫は、嘉次郎とかいう天狗のことが好きなんだって。
彼と生きていきたいって言ってた」
「それは……恋というやつか?」
結子は頷く。
時貞は今にも血を吐きそうなほど、苦しそうな顔をする。
「その恋に比べて、わしは!わしは、そんなに役立たずか?」
「違う!ツグ姫はそんなこと言いたいんじゃない!」
「いや、そうだ!わしは所詮、三男。
ツグ姫と結婚することでしか価値がない。
夫婦となったところで、わしにやるべきことも居場所もない。
ただ、花や畑を愛で、余生を過ごすのみ。
それでも、民のためならと思いここまで来た。
けれど、どうして……どうして誰もわかってくれない!」
そんなことない。
と、叫んで上げたかったが、それを裏付ける物を、結子は持ち合わせていなかった。
恋と民。
愛という言葉を持って、二つはその存在に輝きをます。
けれど、その二つはけして交わることがない。
片方を取れば、片方が死ぬ。
どちらを取っても後悔が残る。
それでも、どちらを選ぶかは、本人次第なのだ。
「ツグを探す!」
時貞はそう言って、駆け出した。
その背中に結子は手を伸ばしたが、掴みきれず、見送るだけとなった。
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