第八章

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はっと気づいた貴明は結子に叫んだ。 「結子、ぼーっとするな!走れ!」 その言葉で我に返った結子は弓を放り出し、全速力で走りだす。 「時貞!」 呼んだ声に時貞は振り返ってくれた。 伸ばした手は引き寄せられ、抱きしめられる。 「結子、来てくれたんだな」 ほっとしたようなその声に結子の方が泣きたくなった。 その顔を見て、時貞が親指で眉をなぞる。 「よせよせ、美人が台無しだぞ」 「だってー」 だって、ここで手を離したら、きっともう二度と会えなくなる。 もしかしたら、時貞は結子のことを忘れてしまうかもしれない。 結子達が『時を超える力』についてわかっていることは、ほんの一握りなのだ。 確かなことなど、何もない。 たった3日間の出会いだが、彼の存在は結子の中でとても大切なものになっていた。 忘れたくなんてなかった。 時貞も同じ気持ちなのだろう。さらに強く、結子を抱きしめる。 「結子。わしはここにいる。 この町の草木の中に、人々の中にわしはいる。 わしはこれからもこの国で生きていくからな。 お前のことを絶対に忘れたりしない。 だから、また見つけてくれ。 心配するな。もし、見つけられなかったら今度はわしがお前を見つける」 風が吹いて、桜が結子達を包む。 「時貞は強いね」 「お前がくれた、恋だからな」 「時貞様、お時間です」 日和が静かに言った。 「時貞、私ね……私もね……」 伝えたいことがたくさんある。 もっと側にいたいと、ありがとうと、きっと夜が明けるまで伝えたいことがたくさんある。 結子は泣きたい気持ちを耐えて、伝えようと口を開く。 が、時貞はもう腕の中にいなかった。 空いた腕の中、桜の花びらだけが舞い落ちていった。
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