シノちゃんと私

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 思うに、私は幼い頃に冒険をし過ぎたのだ。私が生まれて間もなく母親は離婚し、それ以来女手一つで育てられてきたが、本当に色々なことがあった。実家とは絶縁状態の母は、頼れる親戚もなければ、学も資格もなく、仕事を掛け持ちして必死で私を育てあげた。日中はパートのレジ打ちを必死にこなしたが、幼い頃の私は保育園でしょっちゅう体調を崩した。そのため、母は早退せざるを得なかった。その分の給与を賄うために家で始めた内職も金額は微々たるもので、私の家は日々の食事にも困る状態だった。  そんな母を助けたのが、スナックのママだった。昔は夜間に保育をしてくれる施設は殆どなかった。そのため、ママは困窮する母を助けようと、当時1歳の私を連れての出勤を認めてくれたのだ。  1歳の私を連れての勤務は大変だったに違いない。よちよち歩きの私を放って仕事をすることは難しく、母は私をおぶり接客をしていたそうだ。そんな母をママと常連客は寛容に受け入れてくれた。おかげで私達は路頭に迷うことなく済んだのである。  物心つく頃には、毎晩スナックへ母に連れられるのは当たり前となっていた。厨房奥の一角に、パイプ椅子と折り畳みのテーブルがあり、そこが私の定位置だった。テーブルの上でおままごとや人形遊びを行い、小学生になると宿題はスナックで取り組んだ。文房具を買うお金は殆どなく、短い鉛筆を指先で摘み文字を書き、消しゴムが失くなると手の甲でノートを擦り、無理矢理消した。見かねた常連客が家に余っているからと大量の筆記用具を私に持たせてくれた。おかげで周りの友人と同じように勉強をすることが出来た。
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