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第九話 猫耳
「こちらになります」
猫耳に部屋を案内された。かつての記憶を思い出し、メイに伝える。
「うん、ありがとう。メイお願い」
「はい、ではこちらチップになります」
「え? いえいえ、うちではそんなチップは必要としていないので」
「え? そうなの?」
「はい。ですので――」
「いやいや、どうもすみませんね。こいつは亜人で少々人間社会のルールに疎いところがありまして。ヘヘッ、これはしっかり受け取らせてもらいますよ」
猫耳から話を聞いていると、にゅっと毛むくじゃらの男の手が伸びてきて、猫耳が返そうとしていたチップを取り上げた。
「……そのチップはその子に渡したものですが、貴方は?」
「おっとこれは失礼。俺もこの宿の経営者の一人でね。ま、同時に厨房も任されているんですがへへっ」
後頭部を摩りながら男が言った。年の功は下の宿主とそう変わらないか。もしかしたら夫婦なのかも知れないな。
毛深い男で髭も口を囲むようにモサッと生えている。腕が太くガタイもいい。森で出くわしたらゴリラと間違えるかもな。
「旦那様、しかし普段チップは――」
「へへっ、それじゃあこれで。どうぞゆっくりしてください。お前はちょっとこっち来い」
猫耳は何か言いたいことがあったようだが、男は全ては聞かず、話を打ち切るようにして少女を引っ張って部屋を出ていった。
う~ん、私が気にすることでもないのだろうが、ふむ。
「ちょっと見てみるか」
「観察虫ですねご主人様」
そう。私は無限収納リングから小型の虫サイズの魔導具を取り出す。これには特殊な魔導レンズが仕込まれていて、鑑定眼鏡とリンクすることが出来る。
これでこの虫が見た物を映像として眼鏡から見ることが可能だ。更に言えばその映像を記録することも出来たりする。中々のすぐれものだ。
さてドアに隙間を作り虫を放つ。あの2人は奥に行ったようだな。
『おい、どういうつもりだ亜人の奴隷風情がよぉ!』
『申し訳ありません旦那様。ですが、これまでこの宿ではチップを貰ったことがなかったので……』
『それはこれまでの客が貧乏ったらしい連中ばかりだからだよ! お前がそんな連中しか連れてこねぇからだろうが! あの連中みたいな上客がチップくれるというんだからおとなしく貰っとけばいいんだ! 寧ろ上手いことやってもっと沢山要求するぐらいやれや! 全くこれだから亜人はつかえねぇ。お前みたいなくたばり損ないの野良猫をわざわざ飼ってやってるっつうのに、飯ばかり一丁前に食うくせに使えねぇ』
『……申し訳ございません』
『ふん! 晩飯は抜きだからな!』
ここまでか。これを見る限り、やはり奴隷の扱いはよくなさそうだ。本当に何百年も経ってると言うのにここまで変わってないとは逆に驚きだ。
しかもあの程度で夕食が抜きとは。あの亭主、食事は与えているみたいな言い草だったがそれも怪しいものだ。もし十分に提供されていたなら、あそこまで痩せることはないだろう。奴隷の衛生環境もこの調子じゃ期待できないな。
尤も、少なくともチップに関してはあの猫耳も迂闊だったというべきか。今までの客から受け取っていないから受け取るわけにはいかないか。
おそらくはそれが公平で正しいこととでも思ったのだろうが商人の世界では通じない良識だ。連中の考えは基本取れる相手からは取れだからな。
正しい心の持ち主なのだろうが多少のずる賢さも世を上手く渡るには必要でもある。
「正直褒められた行為ではないけど、私達が首突っ込むことではないか……」
そして私は改めて部屋の中を確認する。2人部屋だがベッドは一つだった。2人乗れるベッドがあるという意味で、このクラスの宿では部屋にベッドが2つということはないようだ。
トイレは部屋にはなく、各階に共同トイレ、お風呂もなしだ。どちらもそれなりに値の張る宿でないとお目にかかれないというのはメイから教えてもらった。
「まぁ、それは全く問題ないのだけどな」
私は適当な壁を探し、腕輪から亜空間創室プレートを取り出した。
プレートに設計番号を設定し、とこれで後は壁にプレートを貼り付ける。プレートは魔力があるところならどこでも貼れる。
すると――何もなかった壁に扉が出来上がった。
このプレートには事前に作成した設計図がマイフ粒子体に変換されて記録されている。設計図には番号がふってあり、その番号を下に設計図通りの部屋を亜空間に創造する。
つまりこのプレートさえ貼ることが出来ればどこにでも部屋が出来るというわけだ。この扉は部屋への出入り口となる。
「さて、メイ入ろうか」
「はい、ご主人様」
設計図通り上手く出来てるかな? 何せ私は数々の魔導具を作ったが、最初にテストはするもののその後すぐ別の魔導具作成に夢中になったりであっというまに300年過ぎてしまっていた。
つまり、この魔導具を使うのもかなり久しぶりということになる。ドアを開け、中へと足を踏み入れた。
「うん、問題なさそうだな」
中に入って視界に飛び込んできたのは広いエントランスだ。天井は吹き抜けになっていて高く、開放感があって全体的に余裕がある構造。
昔みたとある貴族の屋敷を参考にして設計したものだが、うん想像通りの出来栄えだな。オープン状態の踊り場からは左右に一本ずつ緩やかな曲線を描くようにして階段が伸びている。
照明の魔導具もしっかり反映されていて、天井のシャンデリアからは煌々とした明かりがエントランス全体を優しく包み込んでいる。
「うむ、いい感じだな」
「……ですが、これは少々広すぎでは?」
「そうか? まぁ狭いよりはいいだろう」
メイがざっとエントランスを見回してから言うが、さっきの部屋は正直手狭すぎたしな。
「よし、一応部屋の確認もしておこう。ついてきてくれメイ」
「承知いたしました」
早速メイと各部屋のチェックを行う。ベースとなった貴族の屋敷は部屋数が150と無駄に多かったが、流石にこの設計ではコンパクトに押さえて15部屋程度のこじんまりとした物だ。その中には書斎や魔導具開発の為の研究室も備わっていた。
勿論調理するための厨房や用をたすための手洗い場、体を洗うための風呂場もある。というよりはこれが一番重要なわけだけどな。
それらの部屋をメイと確認していくが。
「ところでご主人様。出入り口となる扉は隠しましたか?」
「……あ――」
そう言われてみると鍵も掛けてなかったな。そんなに問題にはならないとは思うけどこの魔導具は中から鍵を締めたり扉ごと亜空間にしまって外側からは見つからないようにすることも出来る。
だけど、それは扉横のスイッチでの操作が必要だ。うっかりしていたな。私はメイと戻り、スイッチで外側からは見えないよう設定した。
これで大丈夫と。さて、改めて内部を確認していくか。
◇◆◇
side猫耳
また旦那様に怒られちゃった……私はいつになってもご主人様に認めて貰えない。チップの件は下手に受け取って後で誰かから話を聞いて文句を言われては大変だと思ってのことだったのに、どうやら余計なことだったみたい。
それにしても、これで3日食事を抜きにされてしまったよ……水だけは1日3杯与えては貰ってるけど、流石にお腹も減ってきたな。
だけど、ここでへばっていては余計に怒られてしまうだけ。とにかく、仕事をしないと。
あ、そういえば先程のお客さんに食事の件を伝えてなかったな……旦那様に呼ばれてしまってうっかりしてたよ。
食事……いけないいけない。余計なことを考えては駄目だ。お腹もなってしまうよ、とにかく目立たないように。
私は先程のお客さん、確か名簿にはエドソンと書されていた。二人が宿泊されている部屋をノックする。
返事がない? 今さっき部屋に入ったばかりなのにもうどこかへ行ったのかな?
あれ? でも鍵が開いてるみたい。
「しつれいします……」
部屋の中を確認してたけど、誰もいない、て、あれ? ドア? なんで部屋の壁にドアが? ここは一部屋だけで二部屋なんて、そもそもこの宿にそんな何室もあるような部屋はないんだけどな……。
気になって部屋に入り、壁に出来ていたドアを開けてみたんだけど……。
「え?」
思わず声が漏れた。え? どうなってるの?
ドアを開けた先には、信じれないほど広い部屋が広がっていて……私は呆気に取られてしまった。
隠し部屋? ありえないよ。だってこれ、どうみてもこの宿より大きいし、天井だって高い。
もうわけがわからないよ。思考が追いつかない。夢、じゃないよね? 耳を抓ってみる。痛い、夢じゃない!
て、あ、何か足音が、私たちビスティアは耳がいい。
とにかく、部屋を出て走る。
「ちょっとお前! 廊下を走ってるんじゃないよ!」
すると、聞こえてきたのは奥方様の怒鳴る声。階段を上がってきた奥方様が私の姿を見つけたのだ。
「全く耳だけじゃなく行動まで野良猫と一緒なのかい!」
「い、いえすみません。ですが、部屋でおかしなことがあって!」
「おかしなこと?」
「はい、実は……」
私は部屋で見たことを奥方様に説明する。眉を顰め訝しそうな目で見下ろされた。
「あんた、私を馬鹿にしてるのかい?」
「ち、違います。本当なんです……」
奥方様に訴えると、フンッ、と鼻を鳴らしあの方たちの部屋に向かって歩き出します。
「さっさとついておいで。全くどんくさいんだから!」
「す、すみません……」
奥方様はエドソンとあのメイドの宿泊している部屋をノックした。
「はい」
「すみません。ちょっと部屋に入らせてもらっても宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
入るよ、と目で語りかけられ、私は奥方様の後ろをついていく形で部屋に入った。
奥方様はすぐに部屋の様子を確認したんだけど……壁に出来てたはずのドアが無くなっている。え? どうしてなの?
「え~と、どうかされましたか?」
「いえいえ、この子が部屋でおかしな物を見たというので、もしかしたら前の客が何か残していったのかなと思いましてね」
「そうですか。特に何もないようだけどな」
「そうですね。きっと見間違えたのでしょう。失礼しました、ほら、行くよ!」
奥方様がものすごい形相で私を睨み、出るよう促された。
そして――
「この馬鹿! 何がドアだい!」
「で、でも本当に!」
「だったらさっきのはどう説明するんだい! 何もなかったじゃないか!」
「そ、それは――」
その時、私のお腹がぐぅ~となった。よりにもよってこんな時に……。
「……へ、へぇ~なるほどね。そういうことかい。つまりあんた、私達が食事を抜いたのを根に持って、こんな遠回りに嫌味を言おうと考えたんだね。お腹がへりすぎて幻覚を見たとでも言いたいのかい!」
「ち、ちがい――」
奥方様は木の棒を取り出して、私を殴ろうとする。いつも躾といって使われる仕置棒だ。自然と体が縮みこんでしまうよ……。
「ちょっといいかな。もしかして君、ドアが見えたのかい?」
ふと、声が私の耳に聞こえてきた。奥方様の棒を振り下ろす手もピタリと止まった。この声は、あのお客さん?
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