放課後、寄り道

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放課後、寄り道

 放課後の約束を取り付けてはみたが、さて何を話せば良いのだろう。近衛に相談しようにも今日は居ない。断ったのは結子だからどうしようもない。 【教室に行く】→【あいさつ】→【土曜日の話】……  そんな風にノートの隅に流れを書き留めてみるが、どうにも自分の都合の良いようにしか考えつかない。  挨拶をしていきなり土曜の話に持っていくのも無理がある。  そもそも、聞きたいのは単なる好奇心ではないか。香菜の都合を何も考えていない。人には誰しも触れられたくない話がある。  やはり、誘わない方が良かったのではないか。関わり持たない方が。  だが、時間とは非情なもの。過ぎてほしくないと願えば願うほど、その流れは早い。  帰りのHRが終わり、帰り支度をして、出来るならば香菜も嫌になって帰っていてくれればと祈りながら一組の教室を覗いた。 「あ、神崎さん。終わった?」  香菜は帰り支度を整えて待ってくれていた。  誘ったのだから、当たり前なのだろうけれど。嫌になってあれこれ理由を付けて帰るのは自分だろうに。そう気付いて、ため息をつく。 「どうした? 何かあった?」 「なんでもない」 「そ? じゃ、行こっか」 「行くって──」  どこに、と訊ねる前に香菜に手を引かれる。頭が付いていかない、引きずられるようにして連れて行かれる結子に、香菜はさも当然だというように返す。 「だって寄り道するんでしょ?」  寄り道?  教室で待っていて欲しいと言ったが、決して寄り道の誘いのつもりではなかった──のだが。 「別に、寄り道なんてしなくても……」  話をしようと思えば教室でもできるだろうに。結子はまだ急なことについて行けず、下駄箱に立ち尽くす。その間にも香菜は靴に履き替えて帰る支度は万端だった。 「じゃあ、私がお腹すいたからちょっと付き合ってくれる?」 「おなか?」 「そ。お腹。神崎さんの下駄箱、ここ? じゃあ──こっち?」  このまま押し切った方が早いと判断したのか、香菜は結子の靴を確認する。靴を出して、履き替えて、外へと連れ出されたのだった。 「神崎さん、いつも行ってるお店とかある?」  そんなものはないけれど、つい見栄を張ってしまう。 「神崎さんの行きたい所でいいよ」  そもそも寄り道などしたことがないのだ。学校周辺の店など一軒も知らない。 「そっか。私、たこ焼き食べたいんだけど、いい?」 「いい、とは……」 「嫌いだったりとかアレルギーだったりとか、そういうのあるかなって」 「特に、ないよ」 「じゃー決まり。美味しいお店あるんだ」  返事をするより先に、香菜に腕を掴まれる。そうして、細い路地を曲がる。その先には、結子の知らない景色が広がっていた。  香菜の言う"美味しいお店"とは路地裏にある小さなたこ焼き屋だった。道に面して大きく窓が開けられ、そこで初老の女性がたこ焼きを焼いていた。  店内は、二畳ほどの畳敷きの小上がりがあり、そこには同じ制服を着た女子生徒の姿があった。先客だろう。 「おばちゃん、たこ焼き二パック」  香菜が女性に注文をすると、その声を聞いた先客の一人がこちらを見る。そして、目を大きく開いて、これまた大きな声を上げた。 「香菜!?」 「うそ、香菜じゃん! 久しぶり!」 「こっちおいでよー」  店内の、同じ制服を着たグループが香菜に気付き、大きく手を振る。 「中で食べる? ちょっと詰めれば、あと二人は座れるけど」 「そうしなよ、香菜」 「ね、詰めて詰めて」 「ごめーん、今日は先約があるから。おばちゃん、持ち帰りで」 「えー、残念」 「絶対だよ」 「お昼も、こっちに来たら良いのに」 「やぁだよー。三年の教室遠いし、周りが変な気ぃ遣うでしょ」  女子生徒たちは、えー、と不満そうな声を漏らす。 「じゃー、またね」  ちらちらと結子に視線が向けられる。無視して立ち去るのも失礼に思えて、軽く会釈をして香菜の後を追った。  かさかさと音を立ててたこ焼きのパックが入った袋が揺れる。細い路地を歩いているが、どこに向かっているのかは全く分からない。  いくつか角を曲がり、車通りのある住宅街の道に抜けて、ようやく香菜が口を開いた。 「さっきの子たち、去年のクラスメイト」  同学年──のわりには、見かけたことがない。 「いやー、ここのたこ焼き久しぶりに食べたくなって、居なければいいなって思ってたんだけど」  失敗したなあ、と少し困ったように笑った。 「私さ、留年してるんだよね」  何の前触れもなく、何の前置きもなく、今日の天気を口にするように、香菜はさらりと言った。  いや、香菜にとってそれは当たり前のことなのだろう。 「だから、クラスの子たち、ちょっとよそよそしかったでしょ」  香菜を呼び出してもらった時のことを思い出す。 「最初のHRの自己紹介で、二年生二回目ですけどよろしくおねがいしまーすって言ったら、クラスがざわついちゃって」  失敗したなー、とあっけらかんと笑う。 「あ、別にそんな悲壮なことじゃないし。入院してたんだけど、退院してからも家でだらだらしてたら出席日数足りなくなって、それで留年ーって感じだし」  店でのやり取りを見るに、留年しているからといって変な気を遣われるのは嫌なのだろう。もし結子が同じような立場であったら。一級上だからといって敬語を使われるのは嫌だ。香菜もきっと、それが嫌で最初から打ち明けたのだろうし。  それに、今更改めて敬語を使うのもおかしく思える。今は同級生なのだから。 「そうなんだ」 「そ。だから、友達がいないのよ、私。寄り道するのも久しぶり」 「さっきの、去年のクラスメイトは?」  結子の問いかけに、香菜は曖昧に笑う。 「まあ──……色々あるじゃない?」  言葉を濁し、それ以上は明かされなかった。結子にも色々とあったから、黙って頷いておく。 「公園で食べよっか」  これ、とたこ焼きのビニル袋を掲げてみせる。  公園に子どもたちの姿はあったが、皆日陰で額を寄せ合って手元を見せあっている。 「ゲームでもしてるのかな」 「そうじゃない?」  ベンチは子どもたちで埋まっていたから、二人はブランコに座ることにする。ぎい、ぎい、と音を立ててブランコを漕ぎながら、香菜が袋の中のたこ焼きをひとパック渡す。 「あ、お金──」 「いーの、いーの。土曜のお詫び」 「でも」  誘ったのは結子の方だ。これでは奢ってくれとたかったようではないか。 「とりあえず、食べてみてよ。ここのたこ焼き美味しいから」  パックを開けると、ソースの匂いが鼻孔をくすぐる。蒸気で生地がふやけているようだった。隅のひとつに刺してある爪楊枝をつまみ、一口、頬張る。  口の中いっぱいに青のりと鰹節、ソースが混じり合った風味が広がる。そして、噛むととろりとした生地がそれに絡む。葱とシャキシャキとした歯ごたえはキャベツと紅しょうが。そして、弾力のある歯ごたえの具は、たこの足。大きく切られたそれを噛んで飲み込み、ひとつを食べ終える。 「どう? 生地がとろっとしてて好きなんだー」 「うん、美味しい。……けど、口の中、火傷しそう」 「そー。そこ気を付けとかないといけないんだよね」  しばらく、そうして黙々と手元のたこ焼きを消費する。少しずつ冷えて食べやすくなってきた頃に、香菜がぽつりと言った。 「土曜日はごめんね、ほんとに」  口の中のたこ焼きを飲み込み、首を横に振る。 「いや──うん、全然」 「や、土曜だけじゃなくてそもそもの始まりが、だ。あんな急に声かけられて行くねって言われても困るよね」 「まあ……そうねえ」  実際、困ったというより驚いたという方が近い。驚いて、やや呆れて、引いたのだ。 「あんな気味の悪いこと言われたら、神崎さん、居ないんじゃないかなって思ってたんだけど」  でも、居たねえ──と香菜はからからと笑った。  気味が悪い、と香菜も思っていたのか。あれは、つまり意図したことで、全ては計算づくのことだったのか。初対面からの失礼な態度も、だが今更怒る気になれなかった。  だが、ますます分からなくなる。どうしても、神社にお参りする必要があったのか。ならばわざわざ断りなど入れずに来れば良かったのだ。神社のことを知っていたのなら、結子と知り合う前に。 「縁を切らせたかったの、母の」 「お母さまの?」  しかし、赤い糸は誰とも繋がっていなかった。 「うーんとねえ……」 「あ、いや、別に──込み入ったことなら……」  これはあまりにプライベートなことなのだ。興味半分で聞いて、そのままずるずると話を続けていたけれど、踏み込まれたくないと思っているのではないか。 「いいよ、私が聞いて欲しいの」 「私に?」 「そう。神崎さんに。迷惑をかけたし──……」  その後に何か続きそうだったが、しかしそのまま少しの沈黙が流れるばかりだった。  たこ焼きをもう一つ、頬張る。  香菜もまた同じように食べながら、ブランコを揺らしていた。手元のパックが空になって、途切れた話の続きが始まる。 「お母さんに、縁を切って欲しかったの。お母さんと、お父さんの」 「お父さまとの?」  そう、と首肯が返ってくる。 「お母さん、未婚の母ってやつなんだよね。不倫の末に──ってやつ」  どう相槌を打てば良いのか分からず、ただ手元を見る。  不倫。その響きに思わず眉根が寄った。  結子が糸を切ろうと切るまいと、そういう関係を持ってしまう人は居るのだ。 「入院してる時に縁切り神社をテレビで見て、どうにかして連れて行きたかったのよね」  それで、昼間のテレビを見ていたのか。わざわざ録画してでも見るような番組でもないものを。入院していたのなら、ぼんやりと眺めるのも頷ける。 「でも、お母さんも一緒に見てて縁切り神社を知ってたし、お参りに行こうって言ったらさすがに気付くでしょ。世間的には良くない関係でも、父親のこと好きみたいだしさ」  香菜なりに、どうしようかとあれこれ頭を悩ませたのだろう。そうして、結子と偶然にも図書館で出会った。香菜にとってはまたとないチャンスで、これを逃す手はなかったはずだ。そこで、押し切るようにして約束をした。結子の憶測でしかないが、きっと大きく外れてはいないだろう。 「でも、別れて欲しかったんだ」  香菜は黙って頷く。 「……父親のことは、好きだよ。だけどやっぱり、別の人のものなんだよね。気持ちが誰に向いていようと」  香菜の母親を一番に会いしていたとしても、糸は繋がっていない。気持ちはどうあれ、その関係は皆から祝われるものではないのだ。 「やっぱりね、お母さんが悪者にされるのは嫌なんだ。……でも、父親と居る時は幸せそうで、直接別れて欲しいなんて言い出せなくて」  母親のことが好きだから、大切だからこそ。誰かに悪く言われてほしくない。だけど、好意を知っているから別れてほしいとも言いづらい。  よく縁が切れると評判の縁切り神社は、香菜にとって天の助けにも思えたことだろう。 「お母さんもさ、周りにあれこれ言われて苦労したと思う。少しも表に出さないけど。私も、それが分かるから、何で産んだの、とか馬鹿みたいなことは言わない。私の存在が、誰かに嫌な思いをさせてるのも、分かる。──ああ、もう」  香菜はそこで言葉を切り、ブランコから立ち上がる。 「めんどくさい!」  公園に、その声が響いた。  結子も、そしてベンチでゲームをしていた子どもたちも驚いて香菜を見る。けれど、声を上げた当の本人はすっきりとした表情で深呼吸をしていた。  結子には想像できないような嫌なことがあったのだろう。江東香菜という人間がこの世に存在するだけで、不快に思う者たちが居るのだろう。  香菜は悪くなくとも。  これまで、神社にお参りに来た人たちの中にも、そんな思いでお参りに来た人が居たのかもしれない。ただ恋人と、伴侶と別れたいだけでなく、不倫相手と別れて欲しい、といった願いもあったかもしれない。  あの紙束の中には、別れたいと願うだけでなく、別れさせたい、別れて欲しいという願いでお参りに来た人もあったのかもしれない。  結子はただ、そんなことなど考えもせずに糸を切り続けるばかりだったけれど。 「神崎さん、変わってるね」 「どこが?」 「私を憐れまないところ」  これまで、憐れまれてきたのだろう。結子は別のことを考えて、すっかり忘れていたけれど。だが、他のことを考えていなかったにしても、憐れんでは──いなかったろうと思う。憐れむのは、何か違う。 「憐れむようなことじゃないと思う」 「でも、軽蔑もしなかった」 「江東さんは悪くないでしょ?」  香菜が今の立場を臨んだ訳でもないだろうに。軽蔑するなど馬鹿馬鹿しい。 「やっぱり、私の勘は正しかったな」 「勘?」 「神崎さんはちょっと違うって」  何を根拠にそう思ってくれたのかは分からないが、香菜が結子を見込んでくれたのは嬉しかった。  だから、ではないけれど。小さな嘘が小骨のように引っかかる。 「私も、ひとつ嘘ついちゃった」 「嘘?」 「私、誰かとこうして寄り道するの初めて。行きたいお店なんてないの。学校近くのお店なんて、ひとつも知らない」  高校に入ってどころか、中学生の頃まで遡ってみても、初めてだ。 「神社が忙しいのに、無理やり付き合わせちゃった?」 「ううん。単に友達がいないの。私も」  友達を装っていた人は居たけれど。友達は居なかった。口にすると、すっきりする。 「せっかくだから、友達がいない者同士で仲良くしない?」 「私でいいの?」 「神崎さんがいいの」  消去法でなく、何となくでもなく、手頃だからでもなく。  香菜は結子の手を取って、そう言ってくれた。  帰り道は、いつもより薄暗かった。電車に乗る時に父には連絡を入れたが、寄り道などこれまでないことだったので心配していたようだった。土曜日に神社にお参りに来てくれた子と一緒だったと伝えると、ようやく安心してくれたのだが。  戻ったら、真っ先に近衛に報告をしよう。元をたどれば、近衛が香菜と話してみてはどうだと言ってくれたからだ。電車を降りて改札を抜け、自然と早足になる。 「……あ」  神社の鳥居の前で腕を組み、行ったり来たりを繰り返す神使の姿が、ひとつ。  一体、いつからそうしていたのだろう。結子の身に何かあっても、糸が繋がっているのだから分かるだろうに。  真っ先に報告したかった。早足でも遅いくらいだ。 「近衛さん!」  周りに聞こえているかもしれないと気を付けるのも忘れ、駆け出していた。
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