沼で、川で

1/1
49人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ

沼で、川で

 次の日の早朝、私は沼へ行くべきか、やめておこうか、迷った。行かない方が無難だと頭で思っているのに、気が付けば沼に向かって自転車を走らせていた。沼の近くで誰かが私を呼び止めた。 「どこへ行く?」 声のする方を振り向くと、木立の陰から背の高い男の人が出てきた。色白で痩せて目だけギョロリと光っている。唇が妙に赤い。どことなく谷令草と似ている。彼のお父さんだろうか?  昨日の話が頭の中にフラッシュする。怖い。私は返事もせず、向きを変えて一目散に自転車を走らせた。  家に着き、とりあえず布団に潜り込む。中学3年という今の自分は、世の中のどれくらいを理解できているだろう?半分くらいは理解しているつもりだったけれど、もしかすると4分の1くらいしか理解できてないかも・・・・いや10分の1かも・・・・と思う。今まで、自分の知っている大人は、たまたま皆、いい人だったのかもしれない。それとも大人には、私の想像できない様々な顔や生活が隠されているのか。  昨日、谷令草が言った「犯す」という言葉が私の胸の底に突き刺さっていた。大人は実際、どんな大人であっても「犯す」ことを生活の一部としているのだろうか。「愛し合う」のと同じ行為でも、二人が求めていれば「愛し合う」ことで、片方の気持ちが後ろ向きなら「犯す」ことになるのだろうか?  昼過ぎ、私は恐る恐る谷令草の家がある地域へ向かう。そこは町の人々から別荘地区と呼ばれていたが、今は空き家が多いことから『心霊スポット』と呼ぶ人もいた。確かに、真夏の昼間でも、この辺りは妙にヒンヤリしていて人の姿も見えず不気味な静けさに包まれている。  なぜ、こんなに気になるのか。私は何を知りたいのか。ただ谷令草に会いたいのか。自分で自分がわからない。何軒かの空き家の前を通り過ぎ、一番奥にある谷令草の家の近くまで来た。自転車から降り、昨日の河原へ行ってみる。  すると令草らしい少年が、裸で川に腰まで浸かっている。下着まで脱ぎ捨て川に入るとは、どういうことだろう。まさか、変なことを考えているのではないか。自殺とか・・・・ 「令草・・・・どうしたの?大丈夫?」 私はできるだけ驚かせないように、穏やかな声をかけた。 「あら・・・・見られちゃった。ヤバッ・・・・」 と言いながら、彼はどこを隠すでもなく、ザバザバとこちらへ向かって歩いてきた。彼のアソコは最初はタランとしていたのに、私の前まで近づいて来た時には別物のように硬直していた。 「どう?触ってみない?」 彼は私の手をつかんで自分のソコへ触れさせた。 「今、きれいに洗ったばかりだから。握ってみて。」  私は彼の体中に傷跡があることに気づいた。肩から腕にかけて真新しい血の滲んだような傷跡もあった。殴られたのか胸の一部は内出血で紫色に変色していた。太ももは、過去の火傷の痕だろうか、広範囲に皮膚がひきつれていた。その体を見てしまったため、彼が望むなら、アソコを握るくらいはどうってことないような気がして、私はソッと、ソコを握った。 「ああ・・・・嬉しい。最高に気持ちいい。こんな幸せがあるなら、やっぱり、ここへ引っ越してきたのは正解だったかも。」 そう言いながら彼は空を見上げた。  その後、彼は何事もなかったように服を着て、私たちは昨日と同じ木陰の大きな石に腰かけて話をした。 「さっき、令草って呼んでくれたね。嬉しかったなあ。これからは令草って呼んで。僕もアサヒって呼んでいい?」 「いいわよ。」 「今日の朝、家に警察が来た。昨日のうちに施設に帰ることになってた兄妹たちが戻って来てないから迎えに来たというんだ。でも、その時は、オヤジの姿は見えないし、若い母さんは赤ん坊にオッパイ吸わせてるし、家中のどこを探しても兄妹はいない。僕は本当に何も知らなくて『わからない』って答えたのさ。そうしたら警官が急に怒り出して・・・クソッ・・・オヤジのせいで、いつも僕まで悪者扱いだ!」 令草はそう言いながら日焼けした腕で涙をぬぐった。  今朝、沼の近くでお父さんらしき人に呼び止められたことを思い出し、私はゾッとした。その事実が怖すぎて、令草に伝えるべきかどうか迷った。 「確かに昨日のうちに施設まで送って行かなきゃならないことは僕も知っていた。だけどオヤジは朝から酒を飲んで運転できる状態じゃなかった。施設に電話した方がいいと思ったけど、余計な事を言うと、また『偉そうなこと言うな』って殴られる。面倒だから放っておいたんだ。夜は珍しく、兄妹みんなと一緒に、仲のいい大家族みたいに夕食を囲んだ。オヤジは弟や妹たちと一緒に布団に入って、夜の9時頃には眠ってた。僕はホッとして自分の部屋で勉強して2時か3時くらいには眠った。」 「そんなに勉強したの?」 「あのね・・・こういう家庭の子どもだと、勉強なんかできないと想像してるでしょ?どこでも、誰でも、そう。みんな、こういう悲惨な家庭の子どもは成績も性格も悪いに決まってる、と勝手に決めつけてる。」 そう話す彼の目を見て、私は思った。体中にある傷と同じように心も傷だらけなのかもしれない、と。 「僕は、オヤジと同じような生き方は絶対しない。たとえ学校へ行けなくても勉強して、勉強して・・・・」 その続きの言葉が見つかる前に、彼は何かを思い出し 「忘れてた。こうしちゃいられないんだ。」 と立ち上がった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!