バカげた賭け

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バカげた賭け

 ダーツマシンは、池宮君が女性とゲームをしていた奥のマシンだった。  ダーツは店にあるものから少し重めのものを選んだ。軽すぎない方が狙いやすそうに思ったからだ。 「練習してもいい?」  尋ねると、彼は首を振った。 「投げるのは一回だけって条件のはずだよ。そうじゃなくても僕に不利な勝負なんだ。練習はなし」 「そう」  しかたなくうなずいた。  ダーツを持たずにラインの上に立ってみる。ボードまでの距離は2m半ほど。しかし、端で見ていたよりも、実際にその場に立つとボードはとても遠く感じられた。さらに、彼が指定したトリプルリングの内側も思っていたより小さく見える。  見よう見まねで半身になり、スローイングの動作を繰り返してみた。そうは言っても、きちんと投げさえすれば入る気がする。ただ問題はチャンスが一度だけということだ。  私がラインから足を外すと、 「じゃあ、そろそろいこうか」  池宮君がダーツを手渡してくれた。  それを受け取り、ふたたびマシンに向かおうとした。すると彼は、一歩近づいて耳打ちをした。 「大丈夫、ここでキスしろとは言わないよ。ふたりきりの場所でさせてあげるからさ」  眉をひそめて彼を見た。  彼は自信ありげな顔で口もとに笑みを浮かべている。まるで、私が外すことなど織り込み済みといった表情だ。  プレッシャーをかけてきてると感じた。  私はなにも答えず、ラインの前に立った。  半身の姿勢を取り、肘を折りたたんでボードを見据える。  思いきって投げようとした。  けれど、腕が動かない。  的となる場所がいっそう遠く、小さく感じた。  気持ちのこもったキスという言葉が脳裏をかすめる。同時に、ふたりきりの場所という言葉が。彼は、いったいどこで、どういうキスを考えているのだろう。  私だってもういい大人だ。キスくらいでうろたえるような歳じゃない。しかし、相手が教え子ともなれば話は別だ。それも、賭けに負けて私からキスをするなんてあってはならないことだ。ならばなぜ、私は乗ってしまったのだろう。こんな、バカげた賭けに。  私は姿勢を解き、ラインから足を外した。大きくひとつ息をつく。 「どうしたの?」  声をかけてくる彼を、 「話しかけないで」  強い口調で制した。  静かに瞳を閉じ、もう一度大きく息をついた。  つまらないことを考えたらダメだ。今はただ投げることだけに集中しなくてはいけない。  背筋をまっすぐに伸ばして、ラインに立った。  高校時代のバスケットを思い出した。フリースローの要領だ。体をぶらさず、まっすぐに腕が振れれば左右に外れることはないはず。あとは弧を描いて飛ぶダーツの軌道をどれだけ計算できるかにかかっている。  背筋を伸ばし、体と一直線に肘を折りたたんだ。  構えたら、あとは手首を使いすぎないよう、リリースの瞬間だけに集中して一気にダーツを放った。  次の瞬間、ボードに刺さったダーツがタンと小気味いい音を立てた。 「参ったな」  背後で呟く声がした。  ダーツは、ボードの中央の小さな円のあたりに突き刺さっていた。彼が指定したトリプルリングよりはるか内側、あとほんの僅かずれればボードのまん真ん中を捉えようという位置だった。  振り向くと、池宮君はびっくりした表情で私を見つめていた。
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