賭けの続き

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賭けの続き

 ダーツマシンが空くのを待って、池宮君はケースから一本のダーツを抜き取った。  賭けの話をしてから口数が減っている。気持ちを集中させている様子だ。  彼がどれほどダーツが上手いのかはわからない。ただどれほどの腕であっても、確実といえる確率でインブルが決められるはずがない。むしろ外す確率のほうが大きいはずだ。  それでも必ず入れてみせるという彼の想いが伝わってきた。だからこそ私は、この賭けを断ることができなかった。  池宮君がスローイングラインに立つ。半身の姿勢で、マシンの上のボードに相対した。  胸が痛いくらい高鳴っている。私が賭けられたダーツが今投じられようとしている。そう考えるだけで、背筋が震えるような昂ぶりを感じる。 「行くよ」  彼は小さく言ったあと、呼吸を整えモーションに入った。  息を止めて見守る。  が、次の瞬間、姿勢を解いた池宮君は、大きく息を吐いてスローラインから退いた。  プレッシャーを感じているようだ。 「情けねぇな」  小さく舌打ちするのが聞こえた。  チラリとこちらを見る。  視線と視線がぶつかりあった。  この瞬間、私は、彼に勝って欲しいと思っていた。  この躊躇いの呪縛から、彼自身の力で私を奪い取って欲しい。そう願っていた。  池宮君がふたたびラインの上に立った。  静かにモーションに入る。  今度は間髪を入れずに腕が振られ、ボードが小気味いい音を立てた。  深く大きな溜息が聞こえた。うめくような溜息だった。  ダーツは内側の円には入らず、アウトブルギリギリの外側の円の端に突き刺さっていた。 「格好つけておいてこんなもんか」  吐き捨てるように池宮君は言った。  振り向いた顔は泣きそうに歪んで見えた。  そして彼は、私の横を通って立ち去ろうとした。 「待って」  それを止めた。 「これって、センターコークだって言ったよね」  池宮君は足を止めた。 「だったら私にも投げさせてくれない?」 「いいけど」  彼は、不思議そうに顔を上げた。 「投げたダーツが、あれよりセンターに近かったら私の勝ちね?」  私は、手にしたバッグから淡いブルーのダーツケースを取り出した。一本のダーツを手に取る。それを見た池宮君は、驚いた表情を浮かべた。まさか私がマイダーツを持っているなど、思いもしなかったのだろう。 「言ったでしょ。あれから少し勉強したの」  この三ヶ月間、私はすっかりダーツにはまってしまっていた。あの夜、この手を離れたダーツがブルに突き刺さった瞬間、体にまるで衝撃のような快感が走り抜けた。それが忘れられなかったのだ。  ダーツ好きの友人を呼び出し、細かく手ほどきを受けた。ダーツのできるビリヤード場を教えてもらい、暇があれば通い詰めた。マイダーツを手に入れ、さらにはどうしても欲しくて、今では自分の部屋にボードさえ置いている。  私は池宮君と入れ替わりにスローイングラインに立った。  彼のダーツよりも内側に入れると言うことは、アウトブルを決めると言うことだ。  今はもう三ヶ月前の私じゃない。そこそこゲームはできるし、ブルだってそれなりに狙って入れることができる。ただ、この一投でアウトブルを決められる確率は、池宮君がインブルを決める確率よりも低いのではないかと思う。  でも、私はこのダーツに賭けてみようと思っていた。  一歩踏み出せずにいる彼への想いを……。  もし外れれば、すべてを終わりにする。  でも、もし決まったら……。  無言のまま半身の姿勢を取り、スローイングの体勢に入った。  しっかり顎を引き、呼吸を乱さず、ぶらさないことだけを考えながら腕を振り出す。  緩やかな放物線を描いて、ダーツがボードに突き刺さる。  タンと小気味いい音が響いた。  振り向くと、不満そうな顔をして池宮君がこちらを見ていた。 「私の勝ちね」  笑みを浮かべて言うと、彼はしぶしぶうなずいた。  ダーツはボードのまさに中心、インブルに決まっていた。  静かに近づいて囁いた。 「賭けの対象は池宮君、あなた自身でいいのかな?」
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