120人が本棚に入れています
本棚に追加
賭けの続き
ダーツマシンが空くのを待って、池宮君はケースから一本のダーツを抜き取った。
賭けの話をしてから口数が減っている。気持ちを集中させている様子だ。
彼がどれほどダーツが上手いのかはわからない。ただどれほどの腕であっても、確実といえる確率でインブルが決められるはずがない。むしろ外す確率のほうが大きいはずだ。
それでも必ず入れてみせるという彼の想いが伝わってきた。だからこそ私は、この賭けを断ることができなかった。
池宮君がスローイングラインに立つ。半身の姿勢で、マシンの上のボードに相対した。
胸が痛いくらい高鳴っている。私が賭けられたダーツが今投じられようとしている。そう考えるだけで、背筋が震えるような昂ぶりを感じる。
「行くよ」
彼は小さく言ったあと、呼吸を整えモーションに入った。
息を止めて見守る。
が、次の瞬間、姿勢を解いた池宮君は、大きく息を吐いてスローラインから退いた。
プレッシャーを感じているようだ。
「情けねぇな」
小さく舌打ちするのが聞こえた。
チラリとこちらを見る。
視線と視線がぶつかりあった。
この瞬間、私は、彼に勝って欲しいと思っていた。
この躊躇いの呪縛から、彼自身の力で私を奪い取って欲しい。そう願っていた。
池宮君がふたたびラインの上に立った。
静かにモーションに入る。
今度は間髪を入れずに腕が振られ、ボードが小気味いい音を立てた。
深く大きな溜息が聞こえた。うめくような溜息だった。
ダーツは内側の円には入らず、アウトブルギリギリの外側の円の端に突き刺さっていた。
「格好つけておいてこんなもんか」
吐き捨てるように池宮君は言った。
振り向いた顔は泣きそうに歪んで見えた。
そして彼は、私の横を通って立ち去ろうとした。
「待って」
それを止めた。
「これって、センターコークだって言ったよね」
池宮君は足を止めた。
「だったら私にも投げさせてくれない?」
「いいけど」
彼は、不思議そうに顔を上げた。
「投げたダーツが、あれよりセンターに近かったら私の勝ちね?」
私は、手にしたバッグから淡いブルーのダーツケースを取り出した。一本のダーツを手に取る。それを見た池宮君は、驚いた表情を浮かべた。まさか私がマイダーツを持っているなど、思いもしなかったのだろう。
「言ったでしょ。あれから少し勉強したの」
この三ヶ月間、私はすっかりダーツにはまってしまっていた。あの夜、この手を離れたダーツがブルに突き刺さった瞬間、体にまるで衝撃のような快感が走り抜けた。それが忘れられなかったのだ。
ダーツ好きの友人を呼び出し、細かく手ほどきを受けた。ダーツのできるビリヤード場を教えてもらい、暇があれば通い詰めた。マイダーツを手に入れ、さらにはどうしても欲しくて、今では自分の部屋にボードさえ置いている。
私は池宮君と入れ替わりにスローイングラインに立った。
彼のダーツよりも内側に入れると言うことは、アウトブルを決めると言うことだ。
今はもう三ヶ月前の私じゃない。そこそこゲームはできるし、ブルだってそれなりに狙って入れることができる。ただ、この一投でアウトブルを決められる確率は、池宮君がインブルを決める確率よりも低いのではないかと思う。
でも、私はこのダーツに賭けてみようと思っていた。
一歩踏み出せずにいる彼への想いを……。
もし外れれば、すべてを終わりにする。
でも、もし決まったら……。
無言のまま半身の姿勢を取り、スローイングの体勢に入った。
しっかり顎を引き、呼吸を乱さず、ぶらさないことだけを考えながら腕を振り出す。
緩やかな放物線を描いて、ダーツがボードに突き刺さる。
タンと小気味いい音が響いた。
振り向くと、不満そうな顔をして池宮君がこちらを見ていた。
「私の勝ちね」
笑みを浮かべて言うと、彼はしぶしぶうなずいた。
ダーツはボードのまさに中心、インブルに決まっていた。
静かに近づいて囁いた。
「賭けの対象は池宮君、あなた自身でいいのかな?」
最初のコメントを投稿しよう!