終章

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 この宿の広いロビーは、まだ朝早いせいか、人の姿はまばらでがらんとしている。  ロビーの片隅にしつらえられた長いカウンターのバーにも、客はいない。  ただマスターだけが、暇そうに酒瓶を磨く。 「おはよう、エルドレッド君」  自分を呼ぶ青年の声に、エルドレッドは顔を上げた。  宿の玄関扉の横に、騎士ルーテルが立っている。 「おはようございます、ルーテルさん」  エルドレッドはその騎士の方へと歩み寄った。 「他のみんなは?」 「もうみんな発ったよ。君が最後だ」  騎士ルーテルは、玄関の扉を押し開けた。  早朝の精妙な空気と光が、ロビーの中へと入り込む。  騎士が扉を一杯に開いたまま、右の手袋を外した 「君には何から何まで、大いに助けられた。本当にお世話になったね。ありがとう、エルドレッド君」 「俺の方こそ、いろいろありがとうございました」  エルドレッドも、右の素手でルーテルの手を強く握りしめる。  堅い握手を交わしながら、ルーテルがどこかうらやましげに言う。 「昨日の話のとおり、私は来年の今日、ここで君を待っている。だが私には、君の人生を型にはめてしまう権利はない。君の前には無数の岐路と、無限の可能性が横たわっている。君が本当に望む道を選びたまえ。どの道を選ぼうと、歩むのは君自身だ。自分に忠実に行けばいい」  深くうなずき、エルドレッドはルーテルから手を離した。  ルーテルが、最後の言葉を投げてくる。 「また逢う日まで、しばしの暇乞いを。元気で、エルドレッド君」  無言のうなずきで応え、エルドレッドは表通りへ開かれた扉の正面に立つ。  目を閉じ、大きく息を吸った彼の胸の内に、湧き上がる希望とちょっぴりの不安の影が差すのを感じる。  静かに目を開いたエルドレッドは、光に溢れる玄関から踏み出した。  道は拓かれた。  あとはもう、自分の意志を貫徹するだけだ。  自らの望みに、忠実に――  ――終――
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