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序章
――『アリ、だった』。それが最後の言葉でございました――
ゆらゆら揺れる、蝋燭の灯り。
小さな炎を頼りにそこまで共通語を便箋に綴り、老人は羽ペンを置いた。
質素なガウンに痩せた身を包んだその老人は、自分が上座を占める大きな角テーブルをぐるりと見回す。
何の飾り気もないテーブルを囲むのは、十人足らずの男たち。
いずれも、いかつい体躯に素朴な服を着た、ごくごく平凡な庶民だ。
そのうちの何人かは、木くずの付いたエプロンを身に付け、木槌やのこぎり、それに槍にも似た刃先の工具、槍鉋(やりがんな)を持っている。
どれもこれも、大工や木工職人など、木の加工に従事する人々が愛用する道具だ。
不安げな様子を隠さずに無言で立つ男たちを見渡して、テーブルに座った老人が、ゆっくりと男たちに言葉を投げる。
「それじゃあもう一度、最初から聞かせて下さい。手紙の最後の確認をしますから……」
男たちは、お互いの顔を見合わせた。
全員がひと通り表情を確かめ合ったところで、一番の年長らしい男がうなずいた。
「分かった。もう一度話すよ、村長」
鉞を引っ担いだその男は、虚空に視線を向け、記憶をもう一度初めからたどりながら、口を開いた。
――夜更け。
月はなく、満天の星々が辺りを淡く照らす。
深い深い森の只中を縫って延びる細い街道も、道筋にあるこの小さな宿場も、ひっそりと眠りについている。
と、突然、人々の叫び声が夜の帳を切り裂いた。
「や、夜盗!? 盗賊!?」
「いやぁーっっ!!」
「まずい! 家から出るな!!」
寝静まった宿場が、喧騒に包まれる。
多くの住民たちが扉を堅く閉ざして家々に閉じこもる一方、血気に逸(はや)った若者たちが、往来へと跳び出してくる。
棒や鋸、それに槌や手斧(ちょうな)などの木工具を手に、村を守るために集まった若者たちは、十人ばかり。
彼らは徒党を組み、怪しい影を追う。
ここは小さな宿場の村。
特に自警団や、用心棒がいるワケではない。
だがこの村の大工や木工職人は、みんな血の気が多くて、この宿場が大好きだ。
何かあれば、職人たちは跳び出してきて、互いと村を守り合う。
そんな空気が息づく宿場だ。
「どこがやられた?」
「肉屋の倉庫だそうだ。後は酒屋とか……」
「本当に盗賊か? 熊とかバケモノじゃねえのかよ?」
「熊もバケモノも、この辺には出ねえだろ。もっと山奥に行かねえと」
緊張したやりとりをしながら、小走りに宿場町を駆け回る。
と、右手に松明を掲げた若者が、建物の角を睨んで叫んだ。
「お!? いやがったか!?」
左手に槍鉋(やりがんな)をしっかと握ったその若者の目は、走り去る黒っぽい人影を捉えている。
影は二、三体いるようだ。
どうやら独りではないらしい。
「やい逃げるな! 盗賊どもめ!!」
木槌と松明を振りかざし、男が徒党の中から独りで跳び出した。
がむしゃらに盗賊を追いかける若者の背中に、仲間が警句を飛ばす。
「あ、おい待て! 離れるな!」
そんな必死の止める声も聞かず、跳び出した若者は人影を追って、建物の角を曲がった。
と、次の瞬間、血も凍るような叫び声が、仲間たちの耳をつんざいた。
「どうした!?」
仲間たちも、男が曲がった建物の角に急ぐ。
そして、建物の裏手に回った若者たちは、凄惨な光景を前に、慄然と立ち尽くした。
星明かりが冷たく照らす地面に、火の消えかけた松明、それにあの若者が仰向けに倒れている。
肩口から胸元にかけて服は引き裂かれ、ぱっくりと開いた大きな傷から、真紅の鮮血がどくどくと溢れ出る。
「ああっ!?」
仲間たちが、わっと倒れた若者に駆け寄った。
「しっかりしろ! 傷は浅いぞ!」
「盗賊団にやられたのか!?」
血だまりに仰向けた男は、仲間たちの手当てを受けながら、離れた茂みを弱々しく指差した。
茂みの中にも、誰か倒れているようだ。
下草の覆い被さる地面には、二本の足の先が見えている。
灌木の間ににゅっと突き出すのは、旗竿を思わせる一本の棒。
若者の槍鉋だ。
倒れた何者かに突き刺さっているのだろう。
「アレは盗賊団の一味か!?」
必死の仲間に問われた仰向けの男が、息も絶え絶えにこう告げた。
「あ……、アリ、だった……」――
そこまで記憶を言葉に綴り、年長の男が口を閉じた。
居合わせる仲間たちも、複雑な表情で黙りこくっている。
テーブルを囲む若者たちを順に見回して、『村長』と呼ばれた老人が何度もうなずく。
「……よく分かりました」
村長は、ペン挿しに立てた羽ペンを再び手に取ると、手紙に達者な共通語をしたためる。
『目下、このメノーテは脅威に瀕していると称しても、過言ではございません。この件、全て騎士団に付託致します。なにとぞ、一日も早いご助力をお願い致します……』
書き終えた手紙を封筒に収め、厳重に封をした村長は、その手紙を年長の男に差し出した。
「面倒を掛けますが、この手紙をザグマルティアの騎士団総本部へ、すぐに届けて下さい」
「え? き、騎士団っすか?」
若い職人の一人が横から口走った。
目を白黒させながら、職人が村長に尋ねる。
「そこまでする必要があるっすかね……?」
すると村長は、険しい顔で深刻そうに、何度も首を横に振った。
「いや、この地方は一部の菌類を除いて、他の地域のような脅威とは無縁でした。怪物も猛獣もほとんどない、この平穏なメノーテです」
村長が憂鬱な吐息をつく。
蝋燭の薄い光が、村長の顔のしわをより一層深刻そうに見せている。
「しかし今、この平穏の裏に、何か途方もないことが起きつつある、そんな気がするのです。このメノーテだけでは収まり切らない、何かが……」
手紙を持ったままの村長が、神妙な面持ちの若者に視線を戻した。
「だからこそ、まだ何も分からない今から、騎士団を頼るのが最善。必要な旅費と、酒場に貼る紙も後でお渡しします」
「……分かったよ、村長。夜が明けたらすぐに発つ」
男が素直に手紙を受け取ると、村長はもう一度居並ぶ若者たちを順に見渡した。
「その、今夜の盗賊たちを追いかけたのは、ここにいる皆さんで全員、ですか?」
「ああ。間違いない」
手紙を持った男が即座にうなずく。
「ケガしたヤツは、自分の家で寝込んでる。命に別条はねえが、当分は起き上がれん」
「分かりました」
村長が、真摯な眼差しを一人一人に送る。
「いいですか? 今夜のことは、他言無用でお願いします。騎士団がここへ来て、きちんとした指示が下るまで、くれぐれも内密に。盗賊たちのことも、この家の地下室に運んだ者のことも……」
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