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古謝は風虎に王宮の門前町まで連れてこられた。
「ここで身なりを整えていろ。儂は他で寄るところがあるのだ」
風虎は店主に何か言い含めると「おとなしくしていろ」と散々に注意し、店を出て行った。好々爺のような店主に古謝は服を見繕われることになった。
「坊ちゃん、私の手にかかればどんな方でも輝けますよ」
身を洗い髪をくしけずられた古謝は、初めて見る店に興味津々だった。
「きらきらした物、たくさんあるー」
王宮の門前にあるこの店には、官服やめずらかな宝玉飾りが揃っている。新たに後宮入りする者たちの多くがここで身なりを整えていく、王宮御用店のひとつだった。
古謝が目をとめたのは、鏡台の前に置かれていた飾り爪だ。中指ほどもある純金製のもので、竜のかぎ爪のように長く湾曲している。翡翠や真珠、細かな玉がちりばめられた豪奢な代物だ。風虎から支度金をたんまりもらった店主は、にこやかにそれを見せてくれた。
「この飾り爪が気に入りましたか?」
「カザリヅメ?」
「こうして爪につけるのです。坊ちゃんは楽を奏されるので不要だと思いますが、後宮の貴人の方々はこういった物で身を飾るのです」
試しに指につけてもらうと重かった。三味線を弾くにはとても適さない。
「こんなもの、つけてる奴の気がしれないや」
不敬ともとれる発言だが、心得た店主は意に介さない。代わりに機嫌をとろうと、銀色の細い腕輪を見せてくれる。
「こちらは純銀製です。装飾品としてこちらならお使いになれます。坊ちゃんの身を守る毒見にもなりましょう」
風虎から支度金をもっとふんだくる気でいた店主は、古謝にていねいに腕輪の使い方を説明してやった。銀は一部の毒を検知できる。腕輪を毒と思われるものへ触れさせて黒く変色すれば、それはけして食べてはならないものだ。
「へぇー、すごいや」
なぜ毒見の必要があるのか。後宮で身を守る必要があるとはどういうことか、古謝は気づきもしない。ただ質素な銀の細い腕輪を気に入り、左手首へはめた。
店主は話しながら髪を整え服を替えさせ、確かな腕前で古謝を後宮にいる楽人の姿に生まれ変わらせた。しかし手練れた店主も、古謝のおかっぱ頭には困惑していた。この時代、後宮付の楽人は髪を伸ばし、男女の別なく結っていた。無惨に切られたおかっぱ頭ではそれができない。店主はしかたなく髪はそのまま、片耳を出す形にまとめておいた。そうしてみれば斬新な風に見えなくもない。なにより後宮へ入ってしまえば店主には関りないことだ。風虎さえ丸めこめればそれでよかった。
そうこうするうちに新たな客がやってくる。古謝の支度を終えた店主は、売り子に「この子に茶を」と言いおき、店の入り口へ消えた。
しばらくすると客を連れ、店主が古謝の隣へ戻ってくる。新たな客との間には背の高い衝立があり、向こうの様子はわからない。隣に来た客も、古謝がここにいるとは思わなかったのだろう。
「聞きたいことがある」
隣に座った客は開口一番、店主へそう告げた。つんと挑むような少年の声だった。若竹のように真っ直ぐな声は耳に心地よく、芯が強い面立ちを連想させる。古謝はこっそり聞き耳をたてていた。
「爪飾りや冠、指輪、なんでもいい。後宮へそれとなく持ちこめる武器はないか」
「それは……」
「わかっている。工面してくれれば相応の礼はする。後宮へ入れば貴方のことは忘れよう」
「しかしですね、坊ちゃん。私の店にさようなものはございません」
小石の擦れ合うような音がして、店主が息をのむ。
「これの倍を支払おう。足りない分は明日持ってこさせる」
ちょうどそのとき、店の売り子が古謝へお茶を運んできた。隣に人がいると察した少年が衝立の上から覗きこんでくる。
「誰だお前」
声の雰囲気のままに、凛とした面立ちの少年だった。歳は古謝と同じ十四、五くらいだ。髪は城下で流行りのみずら結いで、高価な紅絹の服を着ている。ひと目で高貴な生まれとわかる品のよさがあった。黒いつり目で睨まれたとき、古謝は何となく傷ついた野犬が唸っているのを連想した。少年の両瞳は敵意に濡れ、触れれば即座に噛みつかれそうだった。なにかに怯えているのだ。
「お前は誰かと聞いている」
再度問われ、古謝は少年を見上げた。
「俺、古謝だよー」
「古謝。楽人なのか?」
「そうだよ。お前は?」
細めた目で少年は古謝の身なりを上から下まで眺めた。おかっぱ頭に目をとめ、呆れとも嘲りともつかない失笑が浮かぶ。薄い唇が何かを言う前に、店主が間に割り入った。
「坊ちゃん。あちらで身づくろいをさせて頂きます」
店主に案内されて立ち去る間際、少年は「蓮蓮」と名乗っていった。黒目に敵意を滲ませ、挑むようにつけ加えた。
「楽人選抜に出るなら、いずれまた会うだろう。願わくは俺の朋友であれ」
朋友であれ、つまり敵にはなるなと脅しているのだ。「今聞いたことを黙っていろ。さもなくば容赦しないぞ」と告げたのである。そこまで考えの及ばない古謝はあっさり手を振った。単に友達が増えたと喜んでいた。
風虎が迎えにきたのは夕方だった。
「これを取りに行っていたのだ」
最新式のお洒落な三味線を渡された古謝は飛び上がり喜んだ。試しに弦を弾くと、これまでのものとは音色が異なった。ぴんとはられた高価な弦は明確な音で、甲高く夕暮れの空気を震わせる。
「ありがとー! 俺、すごく気に入った!」
「そうだろう。こうしてみればお前も本物の後宮楽人らしく見えるぞ。さ、選抜は明朝だ。今日は宿で休もう」
そのとき、店奥から怒鳴り声が聞こえた。蓮が身なりのよい男に引きずられて店から出てきた。男は嫌がる蓮を無理やり連れ出し、地面を引きずっていく。
「この親不孝者が! 何度言えばわかるのだ!」
「父上、お許しください。大丈夫、ひとつくらいバレませんからっ」
「馬鹿者、口を閉じよ!」
蓮は男に平手打ちされ、尻もちをついている。綺麗に整えられた髪が乱れ、口もとに血が滲んでいた。
「蓮!」
古謝がかけ寄ると、蓮は気丈にも一人で立ち上がった。血の滲む口もとを拭い、恰幅のよい男をねめつけている。男は怪訝な顔で古謝を見て、それから風虎に気づくと渋面をつくった。
「これは……風虎殿」
「呂文官。お久しぶりですな」
風虎は王宮風の礼で応えた。文官とは、王宮の高官のことだ。国政に携わる文官は格式ある家の者ばかりで、呂家は国でも代々続く名家のひとつだった。格下の風虎を見る呂文官の目は、しかしなぜか怯えた風だった。
「いや、お見苦しいところを。それでは」
呂文官は礼もそこそこに急いで蓮の腕をつかんだ。待たせていた牛車に入り、あっという間に店から遠ざかってしまう。
「なんじゃあ? ありゃ」
逃げるようなその態度に風虎は訝しんでいたが、古謝は地面に落ちている鳩の根付に気をとられた。拾ってみると、黄緑色の飾り紐の先に愛らしい陶器の鳩がついている。蓮が落としていったのだ。
「明日、蓮に会えるかな?」
「そりゃ、会えるだろうが」
風虎はあいまいに語尾をぼかした。呂家の蓮といえば音に聞く神童だ。楽の名手で見る限りその容貌うるわしく、芯も強そうだ。
「お前、あいつと話したのか?」
「すこし」
「あいつには関わらんほうがいいぞ」
「なんで?」
きょとんとした古謝に風虎は言葉をつまらせる。王宮の機微など古謝にはわからない。蓮は楽の名手と呼び声高く、今回の選抜でも有望株の一人だ。仮に仲良くできたとして、優秀な蓮にはその後も周囲から妬み、そねみが向けられる。後宮において蓮の周りに諍いが起きるのは間違いない。そんな場所へわざわざ近づく必要はない。
「なんでもだ。儂の言うことを聞かんと、あとで死ぬほど後悔するぞ」
「ふうん」
頷く腹のうちで、古謝は蓮に話しかけることを決めていた。どのみち残り三年の命だ。後悔する前に死んでしまうと思えば、怖いものなどなかった。
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