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古謝と別れてから牛車におしこまれた蓮は、呂文官にこんこんと説教されていた。滴るような夕陽が街道を照らしている。外を見た蓮は、牛車の遅々とした歩みに苛つきを隠せない。対する呂文官は激怒している。
「聞いておるのか蓮! 儂を親だと思うなら、すこしは我が家のことも考えてくれ」
「考えています、父上。俺は後宮で誰より栄達を極める予定です」
「それはよい、それはよいのだ。だが問題はお前のその心にある。蓮よ、儂は悲しい」
呂文官は説教が効かぬとみるや戦法を変えた。白布でわざと目元を拭い同情をあおろうとしてくる。蓮は何事かと冷ややかに見やった。
「蓮よ。儂はお前のことを実子と同じく大切に育ててきた。他の兄弟たちをひいきせず、むしろ優秀なお前にこそ力を入れ、手塩にかけてきた」
その通りなので蓮は頷いた。蓮は呂家の血を引かない拾われ子だ。元々は疏州の武官の産まれだった。実父が失脚し、反逆罪で一族郎党滅殺の刑をたまわった身の上でもある。
天帝への反逆は国でもっとも重い罪とされている。当時六歳だった蓮は、側室だった母の機転で身代わりを使って、一人逃がされた。幼い蓮は生きるあてもなく疏州からこの城下までさまよい歩いた。特技の笛を糧として芸で銭を稼いだ、あの苦渋の日々──なかば乞食に似た生活を送っていた。横笛を吹き、天帝への恨みを音にのせていた。あの頃の思い出は鮮やかだ。大きくそびえる城門を睨み、この笛の音で天帝が殺せぬかと空想した。来る日も来る日も、一族が殺された日の夢を見た。父も母も兄も、弟も妹もみな殺された。すべては天帝がそうしろと命じたからだ。
――それほどの罪なのか。王宮とは関わりのない、家族を全員殺さねばならないほどの罪か。生きていることすら罪なのか。天帝にはそれほどの権利があるのか。
人は天帝を神だという。けれど蓮にはどうしても受け入れられない。神なら何をしていいわけでもない。むしろ神なら慈悲深くあるべきだ。
蓮の恨みは深い。幼いひとり寝の夜、露に濡れ寂しい思いをしたときは、天帝を心で百回殺した。腹が減り、悲しくなった夜には頭のなかで千回串刺しにした。なんとしても天帝を殺す――そう思っていたところへ、この呂文官が現れたのだ。それが約十年前のこと。
「蓮よ。お前はむかし儂に言ったな。儂がお前を拾い育てると言ったとき。この御恩は忘れない、いつかお役に立ちたいと」
「はい。忘れてなどおりません」
「ああ! はじめてお前を見たとき」
呂文官はわざとらしく鼻をぐずつかせ、遠くを見る。
「お前の楽の音はすばらしかった。しかしそれだけではないぞ。儂はお前の目の鋭さにこそ期待をかけたのだ。そこにある鋭さが出世欲や栄達心だと思った。孤児だろうが何だろうが、上へ登ろうとする強い心意気がある。それが身の内から溢れ、光って見えるのだと。これこそ我が家に必要な資質だと思った。『これは逸材だ、この機会を逃してはならぬ』と、そう己に言い聞かせたわ」
蓮は黙っていた。どこからどこまでが本気の話か判じかねる。
「とんだ間違いだった。お前の内にあったのは復讐心。天をも滅ぼさんとするなんとも大それた馬鹿馬鹿しい空想だった。それを知ってなお、儂がお前を大切に育ててきたのはなぜかわかるか?」
答えられないでいると、呂文官は涙で濡れた顔をひしと向けてくる。
「儂は信じていたのだ。誠意をもって育てれば、お前がいずれ我が家の、真に呂家の子になってくれると。いまこうして武具を買い求め、それを後宮へ持ちこもうとしたお前を見逃すのも、明日お前を後宮へそのまま送り出すのも、儂がまだお前を信じているからだ。けして我が家に災難をもたらすようなことはしない。そうだろう? お前は我が意に応えてくれる。違いないな?」
呂文官の演技は迫真で、十分に心を揺さぶられるものだったが、蓮は話半分に聞いていた。文官とは言葉たくみに人を動かすものだ。裏に別の思惑や意図があるのはわかりきっている。
(呂家にとって今は大切な時機だ。俺が後宮にいることこそ意味がある。そうなんだろう?)
だから生かされ、見逃されている。後宮での働きを見て不要とみなされれば、すぐにでも見放されるだろう。自らの状況をそう観察できるくらい、蓮は呂文官を信用していなかった。天帝への復讐に命を賭す覚悟も変わらない。
「父上、俺は必ずお役にたってみせます。これまで育てて頂いた恩も忘れてはいません」
明日こそ本当に今生の別れとなる。真っ赤に滴る夕陽を牛車の窓から眺め、蓮は決意を新たにした。
(後宮で俺は必ず出世する。天帝の寵を得て呂家への恩をかえし、それから……天帝をこの手で弑す)
そのために生きているのだ。復讐だけが生きる拠り所だった。
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