神触れ人は後宮に唄う

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   余命三年。それが古謝(こじゃ)にくだされた診断だった。  冬空澄みわたり、満月が艶やかな夜。  古謝は、滴るような月光を浴び、城下の街をひとり歌い歩いていた。手に持った三味線が、凍える空に明るく音を鳴らす。 〽夏の夜の 明くる間ま早み仮初(かりそ)めに  見るほどもなき月影を   惜しむとすれど()(がて)の   枕に(かこ)つ程をさえ 絶えて忍べと訪れぬ  深夜に近かった。家々の明かりは落とされ、みな(とこ)についている。古謝は気にせず高らかにうたい歩いた。三味線の音が早まれば、応じるように川沿いの柳葉がさらさら揺れる。  空を見上げる古謝は、まだ十五歳になったばかりの少年だった。三味線を持ち、楽人もかくやというほどにかき鳴らす以外は、城下の子どもと変わりない。うす茶に汚れた着物姿で、素足に下駄をひっかけている。  背は年の割に低く、冬の寒さに頬を赤く染めていた。髪を「邪魔になるから」と()(わらわ)のようにおかっぱにしているせいで、歳よりずいぶんと幼くみえた。  古謝は自分の身なりに興味がない。産まれたときから孤児で、僧に育てられてきた。貧しさも見苦しさも、冬の凍てつく寒風でさえ慣れたものだ。たいていの苦境はこれまでの人生で味わっていた。けれど、余命三年という宣告は惨かった。古謝が唯一生きる楽しみとしたのは、音楽の演奏だ。死ねばそれもかなわなくなる。  〽君待つ夜半(よわ)に変わらぬは    ただひと声のほととぎす  弦をはじき、ほととぎすの声を模した音を流せば、冬の暗い街中でも、そこだけ春が来たように感じられた。  古謝の三味線は天性のものだ。音につられて目を醒ました人々は、「なんだ、今ごろホトトギスが鳴いたか」「いやちがう、あれはいつもの古謝だ」と寝ぼけ(まなこ)で耳を澄ませた。夜中にうるさいことに変わりはないが、今宵の演奏には息をのむ哀愁がある。  夏の夜、ホトトギスの声を聞くために川をのぼるという明るい曲だが、奏でられた音は秋の木枯らしに似ていた。落葉、季節の変わり目に命の灯が消えるように、音が細く小さくなる――明るい調とは裏腹に、込められた真逆の想いが音に悲嘆を出していた。 「俺はあと三年しか生きられない……」  今日の昼、古謝は高名な僧から不治の病だと告げられた。死の恐怖より、楽がくを奏でられなくなることのほうが悲しい。残りすくない命なら、せめて多くの時を歌って奏でて過ごしたかった。  〽君待つ夜半(よわ)に変わらぬは    ただひと声のほととぎす  そんな古謝の楽奏を、唖然と聴いていた人物がいた。 「なんだ、これは誰がひいてる……!?」  王宮付の楽人、風虎(ふうこ)だった。  ひげ面のいかめしい大男で、高貴な紅絹(こうぎぬ)の官服を着ていた。風虎は、新たな楽人探しに奔走している最中だった。町の外れで聞こえてきた音に、鈍器で殴られた思いだった。 「これは夏の明るい曲だろう。しかし、これほど重苦しくなってしまうとは」  奏者の意図がわからず風虎は唸ってしまう。本来、楽しく喜びに満ちた雰囲気の曲なのに、なぜこうも哀切ただよう音になるのか。いや、同じ音なのに、こうまで曲に感情をこめられるのは稀有な才能だ。聞こえてくる唄が小さくなっていく――奏者が移動している。風虎は慌てて耳を澄ませた。 「ようやく見つけた使えそうな楽人。逃がすわけにはいかん!」  人ひとりいない深夜の街で、寒風に三味線の音がちぎれ聞こえてくる。寂寥にみちた音は実に美しく、人ならざるものを連想させた。風虎は暗闇を進みながら、ぶるりと身を震わせた。あたりは鬱蒼として人の気配もない。やがて音は山の端の僧院で止まった。暗く浮かびあがる僧院は不気味だ。  せっかく見つけた稀有な才能を逃す手はない。手ぶらで帰るわけにはいかないと、風虎は意を決し、僧院の扉を叩いた。 「何用です?」  風虎が僧院の戸を叩くと、現れたのはまだ年若い僧だった。面長の顔は異様にのっぺりとして、暗闇に白く浮かんでみえる。風虎は思わず出かけた悲鳴をのみこんだ。 「わ、儂は――」  言いかけたのを、僧は手で押しとどめた。鋭い猫目が、風虎を上から下までねめつける。何事か悟ったような顔で、そっと頭を下げてきた。 「どうぞ。御用件はわかりました」 「はあ? いったいなにが──?」  僧は答えない。無言で先へ進む背を、風虎は慌てて追った。「どうぞ」と案内された部屋を覗くと、ちょこんと座る少年がいた。みすぼらしいおかっぱ頭の童が、板間でうつらうつらしている。少年のか細い手には、三味線が握られていた。僧は憎たらしいほど平然と告げた。 「お役人様、王宮の楽人様でいらっしゃいますね」 「お、うむ。なぜそれを?」 「お召し物を見ればわかります。その紅服。王宮で楽をたしなむ者にのみ許される色でありましょう」  風虎は眉をしかめ頷いた。不気味だった。のっぺりとした白い顔の僧が、風虎はいまいち好きになれない。僧はちらりと冷たく少年を見た。 「……となれば。我が僧院で、王宮の楽人様のお役に立てそうなのは、この古謝だけです」 「は? ほ、他の者は? 儂はさっき、町ですばらしい音を聞いたのだ。あれは──」 「三味線の音でございましょう?」 「あ、うむ」 「こんな夜更けに、愚かにも歌い歩くのは古謝だけです」  ありえない。あの三味線の奏者が、これほど若いとは。街で聞いたのは簡単な曲ではなかった、大人でもああも軽やかに、感情をのせ奏でられるかわからない。立ちすくむ風虎をさしおき、僧は少年へとしかめ面を向けた。 「古謝。古謝、起きなさい」 「んー」 「古謝、起きよ! 板間で寝るでない、何度言えばわかるのだ!」  木の数珠飾りで頭を叩かれた古謝は、夢うつつから痛みにのたうっていた。涙目で風虎を見上げると、今気づいたとばかり唖然とする。 「ふわー、俺、毛女郎なんてはじめて見たや」  毛女郎とは、顔が毛むくじゃらの遊女の妖怪だ。たしかに、風虎はぼうぼうの髭面で、体も大きく派手な紅服姿だ。王宮の者を見慣れない子どもには、物の怪のように映るのかもしれない。しかしあまりに無礼だ。風虎が口を開く前に、僧の木数珠が鞭のように飛んだ。 「愚か者! いつも考えてからものを言えと言うておるであろう!」 「えう、痛い、痛いって、ぬり壁師匠!」 「誰がぬり壁か、この粗忽者が!」  容赦なく繰り出される木数珠はもはや凶器だ。硬い小さな玉粒が、少年の額や頬をびしばし打ち、赤いすり傷をつけていく。古謝が木数珠から三味線をかばい丸くなったので、風虎は慌てて僧を止めた。 「待てまて、儂にはまだ信じられん。その子どもが、あの三味線を弾いたというのか?」  ようやく折檻の手をとめた僧は、呼吸を整え古謝に目配せした。 「お見せしなさい」  ぶつくさ言う古謝は、痛んだ手や頬をさすっている。それでも三味線を構えた。軽やかな弦音が放たれた瞬間、部屋を新緑の息吹が洗った。 〽我が宿の池の藤波咲きにけり   山ほととぎすいつか()鳴かん  去年(こぞ)の夏 鳴きふるしてしほととぎす  無邪気で明るいホトトギスの曲だ。目まぐるしい超絶技巧。ほととぎすの声を模した音も手早くとり入れ、速いテンポで弾きあげる。腕は玄人はだしだった。 「これは……すごい。だが、これは?」  明るく楽しい曲なのに、しだいに呪わしく、恨めしい響きになってくる。古謝は木数珠で叩いた僧を恨みがましく睨みつけていた。地を這うような声で歌い、三味線を弾く。 〽今さらに 山へ帰るなほととぎす   声の限りは我が宿に鳴け  声の限りは我が宿に鳴け  外で雷鳴が(とどろ)いた。にわか雨の気配がする。明るい曲は怖ろしげに演奏され、歌本来の明るさは消え去っていた。じっとりと、恨めしい響きの歌は、降り出した外の雨模様に似て不気味だ。雷がひとつ、建物の近くへ落ちた。僧院の窓や天井が衝撃でガタガタ鳴り、風虎は怖ろしくなった。そんなはずはないのに、古謝の奏でる音が外の悪天候を呼び寄せている気がした。風虎は大声で怒鳴っていた。 「わかった、もういい! 古謝、か。お前の腕が一流なのは、ようくわかった。儂はお前のような楽人を探していたのだ」  ようやく手を止めた古謝は、またぼんやりと眠たげな顔に戻ってしまう。三味線を奏でている時は生き生きと感情をあふれさせていたのに、ひとたび曲が止まると頼りない子供に戻ってしまう。風虎は軽い頭痛をおぼえたが、幼子にもわかるようにと、優しい声を出した。 「あのな。天帝の後宮に、才ある楽人を集めておるのだ。儂はお前を連れて帰りたい。どうだ、正式に国の楽人になってみんか?」  風虎は後宮の楽人だ。国の頂点、現世神である天帝のために、甘美な音色を手配するのが仕事だった。このたび、不幸な事故により後宮に楽人が少なくなってしまった。風虎とその同僚たちは、急いで使えそうな楽人を探していた。 「てんてー、ってなに?」  無邪気な問いにぎょっとする。刹那、僧の木数珠が古謝を攻撃した。風虎は咳払いし、しかたなく声をひそめる。 「天帝とは、烏羅磨椰国(うらまやこく)の主、神さまのことだ。国にあるもの、存在するすべての人や家財は、天帝の手中にあるものなのだぞ」 「へぇー」 「……本当にわかっておるのか? 儂もお前も、生きていられるのは天帝のおかげなのだぞ」  語る風虎の声は自然と小さくなってしまう。本来なら天帝のことは、口にするのもはばかられる。現世神である天帝の存在は、それくらい国にとって重大だ。王宮に仕える風虎には、その畏怖が骨の髄まで染みついていた。けれど、古謝は臆する様子もない。わからない。市井の子どもとは、これほどまでに無知だっただろうか。 「楽人様。この古謝を、後宮にお召しになりたいと?」  僧は問うように視線で古謝を見やった。すると古謝はにっこり首を振る。 「嫌だよー。俺は後宮なんぞに行きたくない」 「なっ、なぜだ?」  風虎は僧がまた木数珠を繰り出すかと思ったが、意外にも彼はじっとしていた。古謝はあっけらかんとしている。 「だって、後宮は牢獄なんだろ? 入ったら最後、一生出られないって技芸屋の姉さんが言ってたよ」 「それは」 「それに後宮はフクマデンのコウビ地獄だって、みんな言ってたよー。入ったらヤり殺されるって兄さんも、痛っ」 「失礼。技芸屋に演奏で出入りするので、聞かじったことを言っているのです」  風虎は市井の噂に唸ったが、説得を試みることにした。 「たしかに、後宮へ上がれば俗世へ戻ることは難しい。けれど後宮の内なら、飢えも寒さもない。一生遊んで暮らせるのだ。それに、さようにいかがわしい場所ではないわ。いくら楽の腕がたつからといって、天帝に引き立てられる機会など、万にひとつもないだろう」  烏羅磨椰国(うらまやこく)の後宮には、男女が数千人もいる。楽人ばかりではない。士族の娘や高官の子息、彼らに仕える者など職位も様々だが、天帝の目にとまる者はその中でもひと握りだ。現世神たる帝の寵愛を得るのは、大きな家を後ろ盾に持つ者と、見目麗しく特別な才に恵まれた者だけだ。間違っても古謝にそんなことは起きない。古謝は、見たところ才能はありそうだが、貴族の後ろ盾も、人並みの知性もない。なによりこの幼子のような見た目だ。むしろ後宮では後ろ指をさされないよう、隠れていたほうがいいだろう。 「儂がお主に求めるのは、その三味線の腕だけだ。後宮に入れば、一生飢えのない裕福な暮らしを約束しよう」 「嫌だよー。俺は自由に三年は歌い、奏でて生きるんだ」 「なるほど。何が望みだ?」  風虎は引く気はなかった。ようやく見つけた使えそうな楽人だ。たいていの望みは聞いてやる覚悟でいた。 「望み? ないなぁ。俺はただ演奏を自由にできればそれでいい」  けれど古謝は無欲だった。僧院で暮らしているせいか、欲しい物や金品の要求がひとつもない。風虎は賭けに出ることにした。 「お前、(がく)が好きなのか?」 「そうだよー」 「後宮にある『神衣曲(しんいきょく)』を知っているか?」 「シンイ?」 「楽人なら誰もが求めてやまぬ、天上の楽奏だ。どんな玄人も、古今の才人も、その音のつらなりを聞けばひとたまりもない、この世で最高の楽に魅了されてしまう。聞く者の耳をとろかす至宝の名曲だぞ」  それまで胡乱だった古謝の目が輝きはじめる。横で話を聞いていた僧は、けれど渋い顔でもの言いたげにしていた。 「そのシンイっての、どんな音?」  身を乗り出した古謝は釣り餌に引っかかった。風虎は笑い、いかにも重々しく語ってみせる。 「わからん、儂も聴いたことがない。ただ後宮で認められた楽人の、ほんのひと握りがその譜を手にできる。かなりの達人をも悩ませる、極度の難曲だそうだ」  憧れにぼんやりした顔の古謝をよそに、僧がしらと風虎を見る。黙っていろと風虎は目配せしておいた。  『神衣曲(しんいきょく)』とは伝説上の産物だ。古くより噂されてきた、後宮の奥深くに封印されし神の一曲。風虎は、その存在を信じていない。後宮に勤めるようになってから、それを弾いた者も、聴いたという者も見たことがない。時おりこれが神衣曲と主張する者が現れたが、それらはすべて奏者の自作自演だった。優れた奏者が、自らの力を誇示するために伝説を借り、嘘をついたのだ。自ら神衣曲を名乗るくらいだから、彼らの演奏はそれなりに優れていた。しかし、後宮の神事をつとめる鎮官たちの目はごまかせない。そのとき起きたことを思い出し、風虎は身震いする。王宮で虚偽の申告は万死に値する。風虎の職場は、血煙と謀略の渦巻く危険な場所でもあった。 「俺、後宮へ行ってみたい」  古謝が屈託なくそう笑ったとき、だから素直に喜べない部分もあった。この子はまるで物を知らない。その楽の腕に奢り、軽はずみなことをすれば、推薦人の風虎にまで影響が及ぶ。  ――仕方あるまい。これから色々と教えてやればいい。  非常にざっくりと風虎はそう考えた。どのみち、古謝より優れた楽人を見つけられない現状では、他に選択肢がない。腹をくくるしかなかった。かくして、風虎は古謝を僧院から引き取る運びとなった。
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