神触れ人は後宮に唄う

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   余命三年。それが十三歳の少年、古謝(こじゃ)にくだされた診断だった。  冬空澄みわたり、満月が艶やかな夜だった。古謝は、滴るような月光を浴び、城下の街をひとり歌い歩いていた。手にした三味線が凍える空に、明るく音を鳴らす。 〽夏の夜の 明くる間ま早み仮初(かりそ)めに  見るほどもなき月影を   惜しむとすれど()(がて)の   枕に(かこ)つ程をさえ 絶えて忍べと訪れぬ  深夜に近かった。家々の明かりは落とされて、みな(とこ)についている。古謝は気にせず、高らかにうたい歩いた。三味線の音が早まれば、応じるように川沿いの柳葉がさらさら揺れる。  空を見上げる古謝は、まだ幼い面立ちをしている。後宮の楽人顔負けの素晴らしい音を三味線で鳴らす以外は、城下の子どもと変わらない。うす茶に汚れた着物姿で、素足に下駄をひっかけている。背は年の割に低く、冬の寒さに頬を赤く染めていた。髪を「邪魔になるから」と()(わらわ)のようにおかっぱにしているせいで、歳よりずいぶんと幼くみえる。  古謝は自分の身なりに興味がない。産まれたときから孤児で、僧に育てられてきた。貧しさも見苦しさも、冬の凍てつく寒風でさえ慣れたものだ。たいていの苦境はこれまでの人生で味わっていた。けれど、余命三年という宣告はそれでも惨かった。古謝が唯一生きる楽しみとしたのは、音楽の演奏だ。死ねばそれもかなわなくなる。  〽君待つ夜半(よわ)に変わらぬは    ただひと声のほととぎす  弦をはじき、ほととぎすの声を模した音を流せば、冬の暗い街中でもそこだけ春が来たように感じられる。古謝の三味線の才は天賦のものだった。音につられて目を醒ました人々は、「なんだ、今ごろホトトギスが鳴いたか」「いやちがう、あれはいつもの古謝だ」と寝ぼけ(まなこ)で耳を澄ませる。夜中にうるさいことに変わりはないが、今宵の演奏には息をのむ哀愁がある。  夏の夜、ホトトギスの声を聞こうと船で川をのぼる曲だ。本来は明るい調子なのに、奏でられた音は秋の木枯らしにも似ていた。落葉し、季節の変わり目に命の灯が消えるように、音が細く小さくなっていく――明るい調とは裏腹に、込められた真逆の想いが音に悲嘆を出した。 「俺はあと三年しか生きられないのか……」  今日の昼、古謝は高名な僧から不治の病だと告げられたのだ。死の恐怖よりも、音楽を奏でられなくなることのほうが悲しい。残りすくない命なら、せめて多くの時を歌って奏でて過ごしたかった。  〽君待つ夜半(よわ)に変わらぬは    ただひと声のほととぎす  そんな古謝の演奏を、唖然と聴いていた人物がいた。 「なんだ、これは誰がひいてる!?」  王宮付の楽人、風虎(ふうこ)だった。ひげ面のいかめしい大男で、高貴な紅絹(こうぎぬ)の官服こそ着ているが、見た目はかなり怪しい。風虎は、新たな後宮の楽人探しに奔走している最中だった。町の外れで聞こえてきた音に衝撃を受けていた。 「これは夏の明るい曲だろう。しかし、これほど重苦しくなってしまうとは」  奏者の意図がわからずに風虎は唸った。楽しく喜びに満ちた雰囲気の曲なのに、なぜこうも哀切ただよう音になっているのか。いや、同じ音なのにこうも曲に感情をこめられるのは稀有な才能だ。聞こえる唄が小さくなっていく――奏者が移動しているのだ。そう気づき、風虎は慌てて耳を澄ませた。 「ようやく見つけた使えそうな楽人。絶対に逃がすわけにはいかん!」  人ひとりいない深夜の街で、寒風に三味線の音がちぎれ、聞こえる。寂寥にみちた音は実に美しく、人ならざるものを連想させておそろしい。風虎は暗闇を進み、ぶるりと震えた。あたりは鬱蒼として人の気配もない。やがて風虎の足は山の端の僧院で止まった。暗く浮かびあがる僧院は不気味だが、間違いなく先ほどの音の行きつく先はここだった。せっかく見つけた稀有な才能を逃す手はない。手ぶらで帰るわけにはいかないと、意を決して僧院の扉を叩いた。 「何用です?」  風虎が僧院の戸を叩くと、現れたのはまだ年若い僧だった。面長の顔は異様にのっぺりとして、暗闇に白く浮かんでみえる。風虎は思わず出かけた悲鳴をのみこんだ。 「わ、儂は――」  言いかけたのを、僧は手で押しとどめた。鋭い猫目が、風虎を上から下までねめつける。何事か悟ったような顔で、僧はそっと頭を下げた。 「どうぞ。御用はわかりました」 「はあ? いったいなにが──?」  僧は答えない。無言で先へ進む背を、風虎は慌てて追った。「どうぞ」と案内された部屋を覗くと、ちょこんと座る少年がいた。みすぼらしいおかっぱ頭の童が板間でうつらうつらしている。少年のか細い手には三味線が握られていた。僧は憎たらしいほど平然という。 「お役人様、王宮付の楽人様でいらっしゃいますね」 「お、うむ。なぜそれを?」 「お召し物を見ればわかります。その紅服。王宮で楽をたしなむ者にのみ許される色でありましょう」  風虎は眉をしかめ頷いた。不気味だった。のっぺりした顔の僧の雰囲気が、いまいち好きになれなかった。風虎が王宮付の者だと聞いてすこしも委縮せず、そんなことはどうでもいいという顔をしている。僧はちらりと冷たく少年を見おろす。 「我が僧院で王宮付の楽人のお役に立てそうなのは、こちらの古謝だけです」 「は? 他の者は? 儂はさっき、町ですばらしい音を聞いたのだ。あれはたしかに──」 「三味線の音でございましょう?」 「あ、うむ」 「こんな夜更けに、愚かにも歌い歩くのは古謝だけです」  ありえない。あの三味線の奏者がこれほど若いとは。街で聞いたのは簡単な曲ではなかった、大人でもああも軽やかに、感情をのせて奏でられるかはわからない。立ちすくむ風虎をさしおき、僧は少年へしかめ面を向けた。 「古謝。古謝、起きなさい」 「んー」 「古謝、起きよ! 板間で寝るでない、何度言えばわかるのだ!」  木の数珠飾りで頭を叩かれた古謝は、夢うつつから痛みにのたうった。涙目で風虎を見上げると、今気づいたのか唖然としている。 「ふわー、俺、毛女郎なんてはじめて見たや」  毛女郎とは、顔が毛むくじゃらの遊女の妖怪だ。風虎はぼうぼうの髭面で、体も大きく派手な紅服姿だ。王宮の者を見慣れない子どもには物の怪のように映るかもしれない。けれどあまりに無礼だった。風虎が口を開く前に、僧の木数珠が鞭のように飛んだ。 「愚か者! いつも考えてからものを言えと、そう言うておるであろう!」 「えう、痛い! 痛いって、ぬり壁師匠!」 「誰がぬり壁か、この粗忽者が!」  容赦なく繰り出される木数珠はもはや凶器だった。硬い小さな玉粒が少年の額や頬をびしばし打ち、赤いすり傷をつけていく。古謝が木数珠から三味線をかばい丸くなったので、風虎は慌てて僧を止めた。 「待て、儂にはまだ信じられん。その子どもが、あの三味線を弾いたというのか?」  ようやく折檻の手をとめた僧は、呼吸を整え古謝に目配せした。 「お見せしなさい」  ぶつくさ言う古謝は、痛んだ手や頬をさすっている。それでも三味線を構えた。軽やかな弦音が放たれた瞬間、部屋を新緑の息吹が洗った。 〽我が宿の池の藤波咲きにけり   山ほととぎすいつか()鳴かん  去年(こぞ)の夏 鳴きふるしてしほととぎす  無邪気で明るいホトトギスの曲だ。目まぐるしい超絶技巧。ほととぎすの声を模した音も手早くとり入れ、素早く弾きあげる。三味線の腕は玄人はだしだ。 「これは……すごい。天才だ! だが、これは?」  明るく楽しい曲なのに、しだいに恨めしい響きになってくる。古謝は木数珠で叩いた僧を恨みがましく睨みつけていた。地を這うような声で歌い、三味線を弾く。 〽今さらに 山へ帰るなほととぎす   声の限りは我が宿に鳴け  声の限りは我が宿に鳴け  外で雷鳴が(とどろ)いた。にわか雨の気配がする。明るい曲はおどろおどろしく演奏され、歌本来の明るさは消えていた。じっとり恨めしい響きの歌は、降り出した外の雨に似て不気味だ。雷がひとつ建物の近くへ落ちる。僧院の窓や天井が衝撃でガタガタ鳴り、風虎は怖ろしくなる。そんなはずはないのに、古謝の奏でる音が外の悪天候を呼び寄せた気がした。風虎はつい大声で怒鳴っていた。 「わかった、もういい! 古謝、か。お前の腕が一流なのは、ようくわかった。儂はお前のような楽人を探していたのだ」  ようやく手を止めた古謝は、また眠たげな顔に戻ってしまう。三味線を奏でている時は生き生きと感情をあふれさせていたのに、ひとたび曲が止まると頼りない子供に戻ってしまう。風虎は軽い頭痛をおぼえたが、幼子にも伝わるように優しい声を出した。 「あのな。天帝の後宮に、才ある楽人を集めておるのだ。儂はお前を連れ帰りたい。どうだ、正式に国付の楽人になってみんか?」  風虎は後宮の楽人だ。国の頂点、現世神である天帝のために、甘美な音色を手配するのが仕事だった。このたび後宮に楽人が少なくなったので、急いで使えそうな楽人を探しているところだった。 「てんてー、ってなに?」  無邪気な問いにぎょっとさせられる。刹那、僧の木数珠が古謝を攻撃した。風虎は咳払いし、しかたなく声をひそめた。 「天帝とは、烏羅磨椰国(うらまやこく)の主、神さまのことだ。国にあるもの、存在するすべての人や家財は、天帝の手中にあるものなのだぞ」 「へぇー」 「……本当にわかっておるのか? 儂もお前も、生きていられるのは天帝のおかげなのだぞ」  語る風虎の声は自然と小さくなる。本来なら天帝のことは口にするのもはばかられる。現世神である天帝の存在は、それくらい国にとっては重要だった。王宮に仕える風虎には畏怖が骨の髄まで染みついている。けれど、古謝には臆する様子もない。わからない。市井の子どもはこれほど無知なものなのか? 「楽人様。この古謝を、後宮にお召しになりたいと?」  僧は問うように視線で古謝を見やった。すると古謝はにっこり首を振る。 「嫌だよー。俺は後宮なんぞに行きたくない」 「なっ、なぜだ?」  風虎は僧がまた木数珠を繰り出すかと思ったが、意外にも彼はじっとしていた。古謝はあっけらかんとしている。 「だって、後宮は牢獄なんだろ? 入ったら最後、一生出られないって技芸屋の姉さんが言ってたよ」 「それは」 「それに後宮はフクマデンのコウビ地獄だって、みんな言ってたよー。入ったらヤり殺されるって兄さんも、痛っ」 「失礼。技芸屋に演奏で出入りするので、聞かじったことを言っているのです」  風虎は市井の噂に唸ったが、説得を試みることにした。 「たしかに、後宮へ上がれば俗世へ戻ることは難しい。けれど後宮の内なら飢えも寒さもない。一生楽して暮らせるぞ。それに、さようにいかがわしい場所ではないわ。いくら楽の腕がたつからといって、天帝に引き立てられる機会など、万にひとつもないのだからな」  烏羅磨椰国(うらまやこく)の後宮には男女があわせて数千人もいる。士族の娘や高官の子息、彼らに仕える者など職位も様々だが、天帝の目にとまる者はその中でもひと握りだ。帝の寵愛を得られる幸福な者は、大きな家を後ろ盾に持つ者か、見目麗しく特別な才に恵まれた者だけだ。間違っても古謝にそんなことは起こらないだろう。古謝には才能はあるようだが、貴族の後ろ盾もなければ、人並み程度の知性もなさそうだ。なによりこの幼子のような見た目。むしろ後宮では後ろ指をさされないように、隠れていたほうがいいかもしれない。 「儂がお主に求めるのは、その三味線の腕だけだ。後宮に入れば一生飢えない裕福な暮らしを約束しよう」 「嫌だよー。俺は三年は自由に歌って生きるんだ」 「なるほど。何が望みだ?」  風虎は引く気はなかった。ようやく見つけた使えそうな楽人だ。たいていの望みは聞いてやる覚悟だった。 「望み? ないなぁ。俺はただ演奏を自由にできればそれでいいんだよ」  けれど古謝は無欲だった。僧院で暮らしているせいか、欲しい物や金品の要求がひとつもない。風虎は賭けに出ることにした。 「お前、(がく)が好きなのか?」 「そうだよー」 「後宮にある『神衣曲(しんいきょく)』を知っているか?」 「シンイ?」 「楽人なら誰もが求めてやまない、天上の楽奏のことだ。どんな玄人も古今の才人も、その音のつらなりを聞けばひとたまりもない。この世で最高の楽曲に魅了されてしまう。聞く者の耳をとろかす至宝の名曲だぞ」  それまで胡乱げだった古謝の目が輝きはじめる。横で話を聞いていた僧はもの言いたげにしたが、黙っていた。 「そのシンイってのはどんな曲?」  身を乗り出した古謝は釣り餌に引っかかった。風虎は笑い、いかにも重々しく語ってみせる。 「わからん。儂も聴いたことがないのだ。後宮で認められた楽人の、ほんのひと握りがその楽譜を手にできる。かなりの達人をも悩ませる、極度の難曲だといわれておる」  憧れにぼんやりしている古謝をよそに、僧がしらりと風虎を見てくる。黙っていろと風虎は目配せした。  『神衣曲(しんいきょく)』は伝説上の産物だ。古くより噂されてきた、後宮の奥深くに封印されし神の一曲だ。風虎はその存在を信じていない。後宮に勤めるようになってから、それを弾いた者も、聴いたという者も見たことがない。時おりこれが神衣曲だと主張する者が現れたが、それらはすべて奏者の自作自演だった。優れた奏者が力を誇示しようと伝説を借り、嘘をついた事例ばかりだった。自ら「神衣曲を弾ける」と言い出すくらいだから、彼らの演奏はそれなりに優れていた。しかし、後宮の神事をつとめる鎮官たちの目はごまかせない。天帝の前での偽りが明らかにされたとき、むごたらしい拷問の末に大量の血が流されたことを思い出し、風虎は身震いする。王宮での虚偽の申告は万死に値する。風虎の職場は血煙と謀略の渦巻く危険な場所でもある。 「俺、後宮へ行ってみたい」  古謝が屈託なく笑ったとき、だから素直に喜べない部分もあった。この子供はまるで物を知らない。その腕におごり軽はずみなことをすれば、推薦人の風虎にまで影響が及ぶ。  ――仕方あるまい。これから色々と教えてやればいい。  非常にざっくり風虎はそう考えた。どのみち古謝より優れた楽人を見つけられていない。他に選択肢がなかった。かくして、風虎は古謝を僧院から引き取る運びとなった。
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