【1:好敵手】

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【1:好敵手】

 どぉん、と鈍い音とともに撃ち放たれた鉄の塊が、見事に命中する。油混じりの火矢による攻撃も受けて、すでにぼろぼろだった艦が沈んでいく。  それを見ていた他の艦――それらもすでに帆は破れ、中にはマストが折れているものや、指揮官まで実は失っているものもある――は、一斉に退却を始めた。それを見ていたこちらの艦の船員たちからはわっと声があがる。 「やった! やりましたよ!」 「僕たちがベストーレの無敵艦隊を退けるなんて――!」  飛び跳ねて喜ぶ者、仲間と抱き合って喜ぶ者――いずれにしても勝利の歓喜につつまれた甲板で、ひとりの女性が退却していく敵の艦隊を見つめていた。  潮風に括った黒髪をたなびかせ、黒曜石にも似た瞳で何かを確かめるように佇んでいるその女性に声をかけたのは、穏やかな表情を浮かべた青年だった。 「よくやったね、ブラッドアイ大佐。……君の昇進は間違いないだろう」 「ありがとうございます、アクロイド中将。ですが、今回の勝利は私ではなく、艦の力が大きいかと」  女性が謙遜してそう言えば、青年はその蜂蜜色の瞳を和ませた。 「けれどこの戦列艦の開発を進言したのも、そしてこれを用いた海戦術でベストーレ国の無敵艦隊を退けたのも、君の功績だよ。さあ、我々も帰還するとしようか」  青年が喜びに舞い上がっている部下たちに指示を出す。女性もまた帰還の準備に取りかかるべく、踵を返した。  そんな甲板でのやりとりを――とはいっても、声は届かないため、姿形だけだが――望遠鏡でうかがっている小型船があった。一見すれば、ただの商船にも見えるが、先ほどまで戦場であった場所に紛れ込む商船など、ただの命知らずか馬鹿としか言い様がない。  そんな命知らずな商船のマストから、先ほど終わった戦いの様子をうかがっていた紅の瞳の男は、にやりと唇の端をつり上げた。移乗戦ではなく、戦列艦を用いた砲撃戦――なかなか面白いものを見ることができた。  艦を造るというのは、なかなかできることではない。ましてやあの国の財力では、一隻造るのが関の山のはずだ。それを三隻揃えるとは、よほどベストーレ国が目障りだったらしい。 「……お頭? まだそこにいるんですか?」 「ああ、いや。もう戻る。やるべきことができたからな」  紅の瞳の男は愉しげに笑った。 ◇◇◇ 「昇進おめでとうございます。ブラッドアイ大佐――いえ、本日から少将でしたね」 「ありがとう。これからもよろしくお願いしますね、ハミルトン中尉」  祝いの言葉に、クロスチアはにこりと微笑む。それに副官であるクライド・ハミルトンは軽く一礼した。彼女が指揮官的地位についたときから、彼女を補佐し続けるクライドは今回の昇進を心底喜びこそすれ、妬みはしなかった。  ――先祖代々、優秀な提督を輩出し続けるブラッドアイ公爵家の令嬢。十代で入隊してから、わずか二十代の若さで少将まで昇進――字面だけ見れば、どんな軍人でも嫉妬を覚えざるを得ない経歴がクロスチア・ブラッドアイの経歴だ。ついた異名は「姫提督」。今ではあまりに功績をあげすぎて、海戦ともなれば各国が競って彼女の首級をほしがる有り様である。  クロスチアの家名と、海軍の指揮官的地位の将兵が少ない事実は確かに異常な速さの昇進の一因でもあったが、そればかりではない。彼女の海戦術、白兵戦における柔軟な戦闘指揮、そしてそれを補うための部下への訓練――すべてが彼女の連戦連勝を支えていた。  特に先のベストーレ国の無敵艦隊と呼ばれる海軍を退けたことは大きな功績とも言え、また、彼女の用いた海戦術はここから先の海戦の有り様を変える大きな要因とも言えた。  そんなクロスチアの執務室の扉がノックされた。「どうぞ」と入室を促して入ってきたのは、蜂蜜色の瞳にダークブラウンの髪を持つ青年だった。その青年を見た瞬間、「アクロイド中将!」とクロスチアは慌てて立ち上がり、上官への敬礼を取ろうとしたが、青年――ルイス・アクロイドは「そのままでいいよ」とクロスチアを座らせた。 「昇進したばかりのところに申し訳ないのだけれど、指令が入った。これが指令書だ」  ルイスが手渡したのは、この国の最高権力者たる女王陛下のサインが入った指令書だった。それにさっと目を通したクロスチアは沈黙する。 「……あの、これ、間違っていなければ、商船の護衛と読めるのですが」 「うん、そうだね。東国から帰還する商船の護衛だ。……まあ、上層部の嫌がらせ、だね」  ルイスの肯定に、クロスチアは溜息をついた。昔からこういうことは頻繁にあった。  一部のお偉方はクロスチアを目障りに思っているのか、クロスチアの失脚材料を探そうと、困難な事案を押しつけてくることがあった。もっとも、それらすべてを成功させ、だからこそよりクロスチアの実力が本物だと証明されているのだが、それで納得するような連中ではなかったらしい。  かといって、商船の護衛任務でクロスチアの失脚を図ることが果たしてできるのか、クロスチアは首を傾げた。それくらいの任務ならば、幾度となくこなしている。もっとも海戦に関して言えば、現在ベストーレ国の無敵艦隊を打ち破ってしまったが故に、当面どの国もおとなしくしているという現状があるので、失脚材料を探す適度な任務がないのかもしれないが。  けれど副官であるクライドは指令内容をのぞいたときに、思わずその水色の瞳を細めてしまった。理由はその航行ルートにある。指令書を眺めていたクロスチアは怪訝な顔をした。 「どうしたの?」 「いえ、その指令なんですけど、航行ルートに海賊が出るんですよ……」  クライドの説明にクロスチアは耳を傾けた。その様子にルイスは瞳を和ませる。クライドの地位は中尉とかなり下位だが、それでもクロスチアはけっしてその将兵の言葉を拒絶しない。それもまたよき司令官たる資質のひとつともいえた。 「『海の悪魔』?」 「ええ。少し前から急に力をつけてきた海賊でして。各国の商船を襲い、護衛の艦隊を殺傷し、荷を略奪していく――その手並みが鮮やかすぎて、未だ捕縛できた国はないんですよ。おかげで各国の財政に大打撃、無論うちも例外じゃありません」  クライドの言葉に、クロスチアはしばらく黙り込んだ。つまり上のお偉方は、それで自分の実力を計るつもりと察したらしい。クロスチアは思わず顔をしかめたくなった。 「……わかったわ。こちらで作戦を考えます。アクロイド中将、失礼いたします」  クロスチアは立ち上がると、ある人物のもとへ向かうことにした。「どちらへ?」とクライドがたずねると、「情報部へ。しばらくしたら戻るから」と答えが返ってきた。 「情報部……確かあそこには」 「ああ。ブラッドアイの幼馴染みが配属されているからね。確かに彼ならば、その海賊の詳細な情報を持っているかもしれない。作戦書を作成したら、一度見せに来るよう、ブラッドアイに伝えておいてくれ」 「わかりました。それにしても、貴方が上層部を押さえつけられないなんて珍しい。何か理由でも?」  親友でもあり、かつては自身の副官でもあったクライドの問いにルイスは溜息をついた。 「……ブラッドアイの戦術が認められてね。徐々に戦列艦を増やしたいらしいのだが、いかんせん莫大な費用がかかる。そんな中、財政に打撃を与える海賊を放置はできないと、さすがに全会一致で言われてしまえばね……」  それでクライドは納得した。無論失脚材料を探す狙いもあるのだろうが、大半の上層部の意図としては、各国に向けたさらなるデモンストレーションを狙ってのことだろう。ルイスもそれでは強く反論できまい。  ではあとは任せたよと、ルイスもまた執務室をあとにしたのだった。
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