【1:好敵手】

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「お頭!」 「大丈夫ですか!」  ジャックがなんとか甲板に飛び移ったら、途端に仲間たちが心配そうに声をあげた。「俺は大丈夫だよ。お前らこそ大丈夫か?」と笑いながら聞き返すと、「大丈夫っす!」「お宝が手に入らなかったのが残念ですけど!」と元気な声が返ってきた。確かにこの分なら心配いらないだろうと、ジャックは苦笑した。  振り向けば、艦隊はみるみる反対方向に遠ざかっていく。つまり退却しているということだ。別の一団などにこちらを追わせる様子もない。深追いをしないというのはいい判断だ。指揮官が手柄を焦る間抜け将校ではないということが知れた。 「……クロスチア・ブラッドアイか」  去り際に見た認識票の名前を思い出す。立ち居振る舞いも名前も貴族の令嬢であることは間違いない。しかし怪我をしながらも戦意喪失せず、あれだけの速度で迫ってくるあたり、確かにジャックの方が女だからとなめてかかっていた。  重量で押し負ける分を速度と反射神経で補い、神速のレイピアを繰り出してくる。何より狙いを商船と知って対策を打つ用意周到さ、深追いしないという判断――そのすべてからわかることは、あれは貴族のお姫様のお飾り人形ではなく、無敵艦隊を退けたとも偶然や他の人間の功績ではなく、あの女の功績であるということだ。  ここのところ腰抜け将校どもを相手にすることが多かったジャックにとって、久しぶりに心躍る戦いができた相手。まっすぐひたむきに、なんの躊躇いもなく突き出される神速のレイピアも、凛とした声音も、たなびく黒髪も、手段を選ばぬ戦術も、何一つとして相手に不足がない。  それに他の兵士たちも海賊とほぼ互角の白兵戦を繰り広げていた。海賊の変則的な――軍で習うような「優等生」の動きではない――戦い方に対応できるあたり、よほどの訓練を積んでいると見た。おかげで、仲間たちも退屈しなかった模様。 「あいつとまた戦いてぇな。なあ、カイル。他のやつらも動き悪くなかったしな」  だがカイルはその藍色の瞳でジャックに冷たい視線を投げてよこしてきた。 「あんた、あの蹴り食らっておいてそう言えるなら、たいしたもんですよ」  そのひとことにジャックの笑顔が再び凍り付いた。思い出したら足の間に痛みが戻ってきたような気さえする。自然と内股になってしまった。あれはさしものジャックも死ぬかと思った。もう二度とあれだけは勘弁願いたい。 「……次は鉄の下履きでも履いていくわ」 「何馬鹿言ってんですか。ま、お頭のアホ発言は今に始まったことじゃないですが。とりあえず頬の傷の手当しますから、こっちへ」 「ひどいな!? 俺、これでも長なのに! ……いっ」  消毒薬を染みこませた布が容赦なく頬に当てられる。ものすごく沁みて痛い。カイルは一応手当をしてくれているが、この深さでは傷が残るだろうと、ジャックはなんとなく予想できた。 (まったく、そんな女はあいつが初めてだな)  苦笑する。そんなジャックに「痛いのになんでにやにやしてんですか、まさかそういう趣味でもあるんですか」とカイルが呆れた視線を寄越してきた。 ――これがクロスチア・ブラッドアイと、ジャックの因縁めいた出会いであった。
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