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【2:共闘】
――数年後。
ざざ、と波をかきわけて艦の一団が進んでいく。今年も今年とて、航海のシーズンがやってきた。外洋に繰り出していく商船、逆に戻ってくる商船――ともかく護衛のために艦隊を出す機会が増える季節である。
「とりあえず今回は平穏に終わってよかったですね」
クライドがそう声をかけてきた。クロスチアたちは今、商船の護衛を終えて軍港に戻るところであった。
船室で報告書を記していたクロスチアは「そうね」と微笑み返す。
「今年はまだ『あれ』が来ていないから……。いると商船を逃がさなくちゃいけないし、やること増えるものね……」
おかげで報告書に書くことも少なくてすむわ――そんなクロスチアの冗談に、クライドも苦笑した。あとは軍港に戻ればそれで終わりだ――そう思った瞬間。
「少将! 前方から例の一団が来ます!」
突然、見張り役の部下が飛び込んできた。それを聞いた瞬間、クロスチアの手がぴたりと止まった。クライドの苦笑も凍り付く。……噂をすればなんとやらだった。
「あの、いかがしますか? 振り切りますか? それとも……」
「相手の船の数は?」
部下にそう問うと、部下は「見える限りで……」と船影の数を答えた。それを聞き、クロスチアは応戦することに決めた。もともと今回の商船の一団が小規模なこともあり、出していた艦隊の数も少なかったのである。場合によっては逃げ切ったほうがいいと思ったが、部下の見た船影の数ならばじゅうぶん応戦できる。それにクロスチアにはここ数年、とある目的があったのだ。
「ぎりぎりまで引きつけて。旗艦以外は砲撃でつぶして、旗艦はあえてここに接舷させること。目的は――」
そう指示すると、部下は「承知しました!」と敬礼して船室を出ていく。クライドは「あっちもまったく懲りませんねぇ……」とここ数年を思い返して呟く。
クロスチアは「私たちも準備するわよ」と立ち上がって、外していた装備を手に取った。
◇◇◇
「よう、クロア、久しぶりだな。元気にしてたか?」
甲板に出たらば、開口一番そう声をかけられた。
あれから相手方の旗艦は唯一砲撃をかいくぐり、こちらの旗艦に接舷した。もっともあえてそうさせたのだけれども、目の前の嬉々として乗り込んできた男は、その目的さえも見透かしているような気がする。
目の前の男――「海の悪魔」の長であるジャックは、相変わらず飄々としていた。からっと爽やかな笑顔も、これからのクロスチアとの闘いに子供のようにわくわくと輝く紅の瞳も、出会ったときから毎シーズン変わることがない。
「また来たわけ……?」
クロスチアは正直げんなりした。初めて出会ってから数年、航海のシーズンになるたび、こうも道場破りのように乗り込まれてきてはたまらない。
(この男、もう略奪が目的ってこと、忘れているんじゃ……)
対峙するたび、そう思わざるを得ない。だいたい嬉々として商船ではなく、海軍の旗艦に乗り込もうとしてくる海賊がどこにいるというのか。商船の護衛をしていようがしていまいが――現に今回は商船の護衛を終えて帰還途中であった――勝負を挑んでくるのである。
去年だかいつだかに一度「あなた、本当の狙いはいいわけ?」と呆れながら訊ねたところ、「お前らから略奪するのは骨が折れるから、参謀いわく他国の商船を狙うほうがいいんだと」と胸を張って答えた。「それにお前を倒せば、ある意味俺たちの勝ちでもあるだろ?」と付け加えたように言われたときには、この男は頭がいいのか悪いのかわからなくなったものだ。
だが、クロスチアにとっても好都合な状況なのは事実であった。だからあえて相手に接舷させているという事情もある。
この「海の悪魔」たちは、どう考えても後ろにどこかの国か、それに匹敵する富裕層が背後についている。でなければ海賊でありながら、各国の戦艦よりも最新技術を有する艦を――しかも年々改良されている――複数所有することはできない。
もしも財宝の略奪と引き換えに、戦力の増強や本拠地の提供を約束されているのなら、ジャックか参謀であるカイルを捕らえてその背後関係を暴く必要がある。そのためには相手の船に乗り込んで、どちらかを拘束して引っ張ってくるより、こちら側に乗り込ませて拘束し、とっとと退却した方が効率はいいのだった。
その戦果はといえば――現在、ジャックがこうしてクロスチアの目の前で笑っていることが結果である。もっとも自国の商船がそもそも他国の軍艦や他の海賊たちに狙われる率が格段に下がったので、まったくのゼロ効果というわけではないが。
「さて、やるか。お前ら手出しすんなよ。準備はいいだろ? クロスチア」
ジャックが仲間をけん制しつつ、腰のカトラスをすらりと引き抜く。紅の瞳が闘いへの高揚感にぎらりと輝き始めた。
クロスチアに対する宣戦布告に、部下たちが腰のレイピアに手をかけてクロスチアを守ろうと駆け寄ってくる。だが、クロスチアはそれを手で制した。このジャックという男、並の力量ではないことは毎年交戦していれば嫌でもわかる。部下たちでは対応できない。
「あなたたちもよ。下がっていなさい」
クロスチアもため息をつきつつ、やはり腰のレイピアに手をかけた。
刹那、クロスチアの姿がかき消えた。部下も海賊も目を擦った。どこへ――そう思った瞬間、きん、と金属のぶつかる音が響いた。
風にたなびく黒髪、ぶつかりあう黒の瞳と紅の瞳。クロスチアのレイピアを、ジャックがカトラスで受け止めていた。ジャックの唇の端がにやりと持ち上がる。
「相変わらず速いな、腕が鈍ってなくて嬉しいぜ」
「お褒めに預かり、どうもありがとう! 動きを見切っている相手にそう言われても、嬉しくないけど、ねっ!」
出会った数年前は、まだどちらかといえばクロスチアの体つきは少女に近かった。今はそれよりも女性としての重みが体についていて、軽さは当時より失われているはずなのに、相変わらず速さは衰えていない。どころかますます磨きをかけてきている。腕が鈍っていないことに、ジャックは歓喜にも似た感情を覚える。
体重をかけてレイピアをはじき返す。レイピアが折れないようにと素直に引き下がったクロスチアへ、今度はこちらから攻撃をしかける。
突き出し型の武器であるレイピアと、切り払うための武器であるカトラス。その攻撃速度は部下も海賊たちも目では追えなかった。それほどすさまじい剣劇だった。近づいては離れ、金属同士がぶつかる音が響き渡り、そうして何合打ち合ったのか。
クロスチアの方が体力に限界が来たのか、少しふらついた。その隙をジャックが狙う。カトラスが空気を斬る音が聞こえた。
――ひゅんっ。
描かれた軌道はクロスチアの胸の前を真一文字。誰もがクロスチアの胸元から鮮血が吹き出すさまを想像して目を閉じた。けれどもそうはならなかった。
クロスチアが間一髪、飛び退ったおかげで、斬られたのは軍服の上着だけですんだからだ。見事な反射神経と速さに、ジャックは口笛を吹きたくなった。クロスチアが布きれと化した軍服の上着を脱ぎ捨てる。
しかしその瞬間、ある物がジャックの目に飛び込んできた。
クロスチアの胸元に、きらりと何かがきらめく。ジャックはそのきらめく物を見て、目を見開いた。それは――。
一方のクロスチアはそんなことにかまわず、動きを止めない。ジャックの斬撃にひるまず、クロスチアが再度踏み込もうとした瞬間だった。
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