【2:共闘】

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「海の悪魔」の本拠地は孤島であった。周囲は海流の関係で、海が荒れており、熟練の水夫でなければとても近づくことができない。  そして孤島は断崖絶壁に囲まれており、ある一か所からのみ中に入ることができる。まずその入口を知らなければ、無駄に波に翻弄されて難破するのが落ちであるし、入口を知ったとて各国の艦隊の大きさでは入口から入ることはできない。つまりは天然の要塞も同然であった。  だがひとたび中に入れば、外の荒れ狂った海とは異なり、波も静かな湾が広がる。そして湾に沿って船着き場や工廠が立ち並び、陸地には海賊たちとその家族の住まいが整然と並んでいる。まるでひとつの街のような景色が広がっていた。  かつては各地の海辺の修道院や、街や、無論航行中の商船も襲撃する純粋な海賊の集まりだったと聞く。けれど、いつぞやの時代の首領が、どこかの修道院を襲撃した際に、ある王族の姫君に一目惚れして連れ去ったのをきっかけに変わったと伝えられていた。  その王族の姫君もまた、不自由な生活から解放した首領に恩義を感じて、略奪するだけだった海賊に様々なことを教えた。  読み書きを始め、造船技術や農耕牧畜――つまるところ、海賊の一門が自給自足する術を。無論、それを知識として知ってはいても、実践する人間はおらず、故に当初はそうしたことを実践できる人間を連れてきたという。  やがてそれが受け継がれるようになり、逆に「海の悪魔」は自身を傭兵としてさえ売ることができるようになった。もはやひとつの一族一門とも言える規模の人間がそこには関わっていて、それは代々の「海の悪魔」の長たちが築き上げ、守り育ててきた宝でもあった。 「……お帰りなさい、お頭。よくまぁ、独断でこんな危険な行動をとれましたね」  その本拠地に帰港したジャックを出迎えたのは、参謀であるカイルの冷ややかな言葉と視線だった。吹雪よりも荒れ狂い、凍えそうなほど温度のない声に、さしものジャックも今回ばかりは申し開きができなかった。クロスチアと戦いたいという個人的な欲目のために、船を損傷させ、仲間数名を喪い、命からがら逃げ帰ってきたのは事実である。クロスチアにはああ言ったが、自分こそ長として正しい行動をしていたわけではない。 「……すまなかった」  ジャックは素直に頭を下げた。もちろんその程度では亡くなった仲間には詫びにもならないことは知っている。  だが「お頭についていくって言ったのは俺たちなんす!」「あの姫提督んとこの兵士とは戦うの楽しかったですし、俺たちの責任もあるっすから、謝らねぇでくだせぇ!」と仲間は言ってくれた。本心か建前かはわからないが、それで多少はジャックの心も救われる。  カイルはため息をついた。このジャックという男はこのカリスマ性を持ち合わせているがゆえに恐ろしくもある。ジャックのためなら命を擲ってもかまわない――いっそ狂信的なほどそう考える仲間が大勢いるからこそ、「海の悪魔」は成り立っている。 「……この件は既に、国王陛下のお耳に入っているようですので、申し開きはそちらで」  ジャックにだけ聞こえるよう、カイルは小声で呟く。ジャックは「ああ、わかった」と同じく小声で返した。そして仲間たちを振り向き、仲間の水葬の手配と船の修理の指示を出す。  すべての手配を終えて館に戻ると、世話係の女たちが「お帰りなさいませ」とにこやかに迎えてくれた。彼女たちはけっして略奪してきた人間ではない。市場で物のように扱われ売られていたところを助けた女性もいれば、仲間と恋に落ちて故郷から駆け落ちしてきた女性もいるし、はたまた海賊とその妻の娘もいる。  海の悪魔はけっして女性を粗略に扱わない。扱った者は死罪、それが掟である。  彼女たちを下がらせて、ジャックは自室に戻った。島の中でも高い位置に造られた長の館と、その中にある長の私室からは海が一望できる。  ジャックは海に向かって跪き、亡くなった仲間にしばらく黙祷を捧げた。  仲間を喪うことはこれが初めてではない。軍に殺された仲間もいるし、あるいは嵐にあって海に沈んだ仲間もいる。けれど、その感覚にいつまで経っても慣れることはない。  ましてや今回の件は、ジャックに正当性などありはしなかった。 (そういえば……あいつは大丈夫だったんだろうか)  ジャックはふと思い返す。スウェイト国の、クロスチアを狙っていた狙撃手。気がついたのはすでに発砲されたあとだったが、なおも追撃しようとしていたので、実はジャックがそいつを撃ち抜いたのだが、あの混乱の中、クロスチアの無事を確かめるまでには至らなかった。  ――彼女には生きていてもらわなければならない理由ができた。  ジャックは大きく息を吐いて、疲れ切ったように寝台に仰向けに転がると、服の下から首飾りを引っ張り出した。革紐の先にぶら下がっているのは、美しいモザイクで、海の女神を描いた護符でもあった。  かつてはある人の耳飾りだったもの。『海の神様の加護があるんですって。お父様のように船乗りになりたいあなたにはぴったりね』――そう微笑んで、片方をジャックにくれたのだった。  どうして欲しがっているとわかったのか――それで耳飾りなんて男はつけないと、照れ臭さからそう言ったら、笑って紐に通して首飾りに直してくれた。 片方はジャックが、片方はあの人が持っている、ふたつでひとつの装飾品。この世にふたつとない品で、もうこれを作れる場所も技術者もおそらくはいない。それなのに。 (どうしてクロアがこれを持っている?)  ジャックは紅の瞳を細めた。クロスチアの軍服の上着の切れ目からのぞいた一瞬のきらめき。それは見間違えるはずもない、この護符の片割れだった。 「……必ず、探し出してみせる」  この二十数年間、幾度となく心に立てた誓いを呟く。首飾りを見つめる紅の瞳が少しだけ憂いを帯びた。
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