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チリン、チリンとそよ風が風鈴を鳴らす音に不意に目が覚めた。空色に覆われた硝子製の風鈴だ。
額と背中にじっとりと汗をかいていたのがわかる。寝苦しい夜にだいたい75%の可能性で起こることはあの一つしかない。
声が聞こえた。呻き声にも似たか細い声が耳元で囁くように。気のせいかとも思うその音は次第に大きくはっきりと増幅していき、同時に身体が痺れていく。唯一自分の意志で動かすことのできる眼球で辺りを見回すも視覚的な変化は起こらない。シンプルなベッドに暗闇でも浮かび上がるホワイトで統一したテーブルにクローゼットに白い布で覆ったキャンバス。いつもの部屋ーーいつもの時間?
真っ暗闇の中、壁に掛けたアナログ時計で時間を確認する。
2時22分。
(ーーゾロ目だ)
そう思った途端にラップ音が弾かれた。部屋全体を押し潰すように何重にも重なる不協和音と耳元の声が休むことなく心身を侵襲してくる。
『……っ……い』
耳元の声がはっきりと認識された。ベッドの遥か下の方、地の底からという言葉がピッタリと合うような喉奥から絞り出したようなその声がもう一度同じ言葉を繰り返す。
『あ……っ……い』
(あ……っ……い? ーーあっつい?)
「暑い?」
言葉が聞き取れたところで金縛りが解けて口回りの筋肉が滑らかに動き出した。ガバッと薄地のタオルケットを剥いで起き上がると、目の前にはまだ半透明のそれがいた。
『あっついぃぃぃぃ!!!!』
生前と変わらず非常識な大声に身体が反応して、思わず透き通った頭をいつもの調子で叩いてしまった。
「お前が言う台詞じゃねぇ!!」
飛び出た右手は茶色がかった黒髪をすり抜けて額を目を鼻を通り抜けて左頬から抜き出てくる。その間、掌の温度が-5℃程下がったような、金魚すくいの水槽に手が触れたような、スライムをぐにょぐにょと握り潰したような、風鈴がそよ風に揺れたような、何とも言えないひんやりとした感触が掌を覆った。
『……そ、そうだけど。あっついんやもん』
涙目になりながらも半透明のそれは真っ直ぐにこちらを見上げて主張を譲らない。やたら睫毛の長い大きな瞳が至近距離で瞬いた。
『まだこの身体に慣れてないから。でも、猛暑が続いてエアコンも扇風機も効かなくて、めちゃくちゃあっつい』
「それはなぁーーこの時期に死んでしまったことを恨むしかねぇよ。個人差は大きいが次第に幽体の方に慣れていくもんだ」
いつものように喋り方が関西風に釣られてしまうのを意識して直しつつ、言葉を続けた。
『だからその間、涼しくさせてーー君がまだ彼氏だったら』
不意ににぃっと上の歯を見せて笑ったその笑顔から数秒間目が離せなかった。
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