魔術

1/1

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
     (一)  全ては光から始まった。  閃光の嵐が瞼に降り、余りの衝撃に「あっ――」と喉を震わせた瞬間から、全ては動き出したのだ。  私の産声は空気中の粒子を伝わり、壁に反響し、母の耳朶から奥へと向かい、魂に共鳴した。  産湯の熱い刺激を不快に思っていた私だったが、その数秒後には母の息吹を感じ取っていた。やや冷たくこすれる布地を通して、私は母の優しさに抱かれ、安堵していた。  間もなく、意識は未来の奥深くへと落ちて行った。      ★  次に私の自意識が働いたのは、三歳の頃だった。  この時は、はっきりと~自分はどこから来たのだろう?~と脳内のもう一人の自分に問い掛けていた。  目の前にいる、白い布で包まれた見知らぬ幼子とはまた別の自分。自分の産声を私は覚えていたが、まだ存在意識については無に等しかった。  そして今、再び私は自己を意識し、今度は自分に問い掛けている。  この幼子がこうしており、ここにいるのは私である。今自分は三歳。その前は二歳の筈だが、それ以前の記憶がどうしても思い出せない。ゼロ歳の記憶も、大人になったある日突然に、思い出したことなのだ。では、今ここにいる私はどこから来たのか。  コウノトリが運んで来た、というような言葉は端(はな)から相手にしなかった。なぜなら、コウノトリが赤子を連れて来たところを見たことも、私自身が空を飛んだ記憶もなかったからだ。  私は両親を見て、二人にこの問いをして良いものかどうかしばし考えた。  この問いは、きっと両親を困らせるに違いない。なぜなら、私自身が産み出された痕跡を、過去私は一度たりとも微塵も認めなかったからだ。それはつまり、その問いが難解だということを意味するのだと私は考えた。私は両親を困らせることを好まなかった。             (二)       小学三年ごろになると、父は変身した。それまでの顔が仮面だったのか、この頃の顔が仮面だったのかは分からない。とにかく、父は初め、そろりそろりと私の心に近付いて来た。 「拓海。勉強頑張ってるか」 「うーん、まあ」 「拓海は何の教科が好きや」 「うーん、算数?」 「ほう、算数か。それやったら拓海は理系やな」 「理系?」 「そうや。算数と理科が得意な人のことや」 「ふーん」  父は最初、友人のように語り掛けて来た。それ以前は、嫌なことをされたことも、良い想い出もなかったから、父はその辺の人形とさして変わらなかった。そんな父が話し掛けて来たのだ。  私は初め、何が起きたのか理解出来ず、しばし心がぽかんと宙に浮いたようになった。父の顔を見上げ、その四角いベース顔の中の目が涼しく笑っている。その全てが、私にとっては新式のゲーム機を手にしたような新鮮さだった。父への興味が俄かに沸き上がって来るのを感じた。  それから、父は何かにつけて私に関わるようになった。 「銭湯に行こうか」  当時、私が住んでいた地域には団地が多く、一軒家でも自宅にお風呂のない家庭も多かった。丁度、ブロック崩しやインベーダーゲームなどが流行り始めた時期である。  その日から、私は女風呂から男風呂に行くことが多くなった。実は、女風呂の時に美しいお姉さんが入って来ると、その胸に目が行くこともよくあった。もちろん、まったく性的な興奮はなかったが、幼心に綺麗だなと思っていたのを今でも思い出す。とは言え、幼い私にとって、女風呂が男風呂に変わっても、虻と蠅ほどの差もなかった。  ある日、父と湯船に浸かっていると、父がさり気に私に囁いた。 「お前、医者になるか」 「医者?」 「そうや。医者や」と父はまなじりに皺を作って言う。でも、その目が笑っている訳ではないことを私は感じ取っていた。父には私には考えの及ばない思惑があったのである。 「うーん……」  その時の私にとっての医者は、予防接種を打つ白衣のおじさんの姿や、学校の保険医の先生ぐらいしかイメージがなかった。そもそも医者がどういうものか、今一つピンと来なかった。ただ、父にとってのそれが、何か特別のものであることは、その様子から分かる気がした。 「塾に行ってみるか」 「塾?」  塾の知識も私は持ち合わせていなかった。知らないことばかりで、私は不安よりも好奇心を刺激された。 「うん、まあ」  私は次の瞬間、丸腰の兵隊のように頷いていた。その一週間後、私は向心学園の門を叩いていた。     ★  向心学園は大阪では知る人ぞ知る、超有名進学塾だった。そこで学んだ者の八割が、有名中学に進学できるとされていた。ただし、私にとっては無名も同然だった。というのも、塾と名の付くモノを知ったのは、向心学園が初めてだったからである。だから、向心学園と聞いてもビクともしない。知らぬが仏である。父の変身は、これを機に本格化した。  駅前の商店街の一角のビル。当時、まだ存続していた中規模書店が一階で、その二階から五階全てが向心学園だった。その近代的にそびえる堂々とした佇まいに、私もさすがに緊張の糸がピーンと張った。これから自分はどこに向かうのだろうか。不安が夜霧のように首に巻き付いて来た。  事務室に入って行くと、スーツ姿の長身でハンサムな男性が応対した。  男性は、父と私に入塾に際しての簡単な説明をした後、教室に案内した。  そこはやや手狭だったが、壁の集音効果や床の絨毯が、高級感を演出していた。  私たちはそこに座るよう促され、私の前には数枚のプリントが置かれた。 「まずこちらをやって頂けますか」  プリントは算数と国語の問題がぎっしりと詰まっていた。  塾に関する何の知識も情報もない私は、その量の多さを特段嫌悪することもなく、「では始めて下さい」という号令の元、何となく解き始めた。  算数は計算問題が半分を占めていた。平易なものに始まり、少しずつ難解になって行く。  習ったばかりの小数点の掛け算や割り算は、大人でも間違えそうな複雑さを帯びていった。  文章題や図形問題は、学校では余り複雑なものを習っていなかったので、よく分からない問題も多かった。それでも、私なりに知恵を絞って答えを導き、その中には明らかに解き切ることの出来た問題もあった。それはやや苦しい反面、快感でもあった。  次は国語だったが、七割が読解問題だった。それはワザとそんな問題構成にしていることが、次第に私にも察せられた。漢字や文法は基本のものばかりで、ほとんど書くことが出来たが、読解問題は手こずった。それでも、その難解さが、私の好奇心をくすぐったようで、五十分いっぱいを使って解ききることが出来た。出来栄えまでは分からない。  ジグソーパズルやプラモデルならば、間違えていればすぐに分かる。知識問題がそれに近いのかもしれない。  一方で、算数全般や国語の読解問題は、その答えが合っているかどうかが定かでないことも多いことに、私は気付いていた。それはむしろ私には新鮮だったかもしれない。  三十分ほどすると、グレーのコンサバ系スタイルの女性が、先ほどのプリントを持って教室に入って来た。 「こちらが先ほどの試験の結果です」大人の女性のやや低音の声。  ふあっとわら半紙の風が、私の顔に絡まっている。目の前では、先ほど必死で問題を解いたプリントが、静かに私を見上げていた。女性が前の席にこちらを向くように座る。  国語が八十点で、算数が六十五点。意外と正解していた気がする。  彼女が涼し気に目を眇め、そんな私の胸の内を読み取るように言った。 「これでしたら、標準コースに進んで頂けると思います。国語はよく出来ていますね。算数は少し惜しかったですが、これは学校での進行度にもよりますので、これから幾らでも挽回が利くのではないでしょうか。算数の文章題は余りして来なかった?」  突然そう問われ戸惑ったが、私は正直に答えた。 「文章のやつも図形も、あんまりしたことなかったから、難しかったです」 「そう。その割には合ってるものもあったけど、自分で考えたの?」 「うん」 「それは凄いことね。拓海君にはきっと生来の思考力があるのね。ただ、算数も国語もケアレスミスが見られたから、もう少し注意力を付けて、多くの問題に触れて知識をしっかり増やしていけば、アドバンスまでいけるかもね」女性は私を見てから父を見ると、口元を下弦の月のように曲げて笑んだ。 「そうですか。ありがとうございます」  父は、普段お店のお客さんに向ける愛想笑い以上のものを、自分よりも年下の女性に向けた。私は違う人を見るようにその光景を見ていた。 「それでは明日からいらっしゃいますか?」と言う彼女に、父は私がいないかのように、「是非よろしくお願いします」と机に手を突いて頭を下げていた。  女性は優しそうな笑みを父に向け、悠然とその言動を受け取っている。私は子供ながらに、その間にそこはかとなく働いている上下の力関係を感じ取っていた。  その日、夕食の席では、父が自分の生い立ちを話し始めた。 「俺の家は十人家族の大所帯でな、それは醤油も買えんような貧乏一家やったんや。俺は末っ子やったから、まともに勉強なんかさせてもらえんかった。一番上の兄貴は跡継ぎやいうことで、食事も優遇されとってな、二番目は勉強の虫で、教材も買ってもらいよった。それで、二番目の兄貴は今じゃ高校の校長先生や。その分のしわ寄せで、俺ら下の方の人間は数にも入れてもくれん。勉強もスポーツも、お金がないから満足にさせてもらえんかった」父はそう回顧しつつ、悔しそうに顔を歪めた。  父の時代には高校にも満足に行けず、中学を卒業してすぐに就職する人も多かったようだ。団塊世代の少し下の世代で、戦後復興期の人手不足に、金の卵として乞われた世代だった。当時は、サラリーマンや公務員が安月給ということで、父はすぐ上の兄の紹介で理容の住み込み見習いを始めたという。しかし、それは父にとって決して満足できる選択ではなかった。父は何よりも本が好きで、勉強がしたくて仕方がなかったのだ。将来は当時有望視されていた警察官か医者になりたかったそうだが、それは見果てぬ夢に終わった。  だから私には存分に勉強させてやりたい。そういう論理であることは、私にも容易に理解出来た。しかし、そこには最も大切なものが抜けていた。それは、この時の私にはまだ意識出来ていない、私自身の意思だった。独善的な父は、私の気持ちや意思という私の心をまるで無視していたのである。            (三)  塾に通い始めて変わったことの一つ。それは時間が大幅に削られ始めたことだった。  ゲームはおろか、テレビすら見られない日が続いた。  友人との交流は学校のみだったが、それも父から課せられた読書に押し潰されていった。  小学四年の頃には、一日一冊を義務付けられ、感想文まで書かされた。どうしても時間が取れず、感想文が書けなかった日には、塾から帰ってから夜中の一時、二時まで付きっ切りで指導されることも稀ではなかった。  そんな父は、高卒資格を取るために、独学で認定試験の勉強を始めた。そのことを父はお店のお客さんに話の種にするので、いつしか私たちは、親子鷹と称賛されるようになっていた。そう呼ばれることも、私がエリート校にチャレンジし、医者を目指していることも、父には誇りであり、自尊心を満足させるものだったようだ。  雁字搦めに後に引けなくなった私は、父の指導の元、五年生の時にはほぼ全ての時間を、中学受験の勉強に費やすようになっていた。  その一方で、小学五年になるまで順調に伸びていた私の成績は、その二学期頃になると、急ブレーキが掛かった。  この頃、標準コースからアドバンスコースに昇級していた私は、アドバンスコースのチューターと父と三者面談することになった。無論、伸び悩んでいる成績の件である。  アドバンスのチューターは広尾という、一見温和そうな中年の男だった。彼は塾の設立当初から経営にも関わって来た、理事兼任の講師だった。  ある日、父と私は広尾に呼ばれ、夜の八時に塾を訪れた。  私達は面談室に通され、座って待っていると、数分ほどで広尾講師が柔和な笑みを貼り付けて入って来た。  私は塾の講師陣が嫌いではなかったが、唯一この広尾だけは苦手だった。その柔和な表情の裏に、こちらの事情や気持ちに感知しない、冷めたコーヒーのような側面を直感していたからかもしれない。  広尾は室に入って来ると、挨拶もそこそこに向いに座った。鷹揚な仕草でファイルを取り出し、机に置くと口火を切った。 「創内君、調子はどうですか」  私がどう答えて良いものか迷っていると、彼は続けた。 「君は算数が今一つ弱いのかな。ケアレスミスが目立つけど、余りこの科目は好きじゃないの?」 「いえ、好きじゃないわけではないけど」 「ないけど、何?」  その問い掛けに心なしか圧力を感じる。この場合の「ないけど」の後に続く言葉はない。ただ日常語の慣習的表現を使ったに過ぎない。それでも問いに答えようと、すこし焦りながら私は言葉を吐き出した。 「……なぜか間違えてしまいます」 「そう」  広尾講師はペンを右手に持ち、何かをファイルの見開きに書込んでいる。それが妙に気になる。 「それじゃ、間違えないように意識すれば良いよね」 「はい」  やはり訊問されているみたいだ、と私は感じている。内心、意識しているつもりでも間違えてしまうのだと、抗弁したい気持ちもうずいている。次に、広尾講師の矛先は父に向かった。 「創内君は、確か将来医師を目指しておられるとか。違いますか」 「はい、そうです」  私は蚊帳の外で、父が畏まった声で応じている。 「しかし、将来、理系の頂点である医学部に入るためには、数学が出来ることは最低条件であることもお分かりですね」 「ええ、それはもちろんです」一瞬の沈黙の後、父が「このままでは難しいのでしょうか」と不安そうな声を出した。すると、広尾講師は即座にこう断じた。 「難しい以前に、方向転換を計られた方がよろしいかもしれませんね」  この時、私の腹部に疝痛が走った。思わず「うっ!」と声が漏れたほどだ。  広尾講師の温和そうな顔の中にある視線が、一瞬冷酷めいた光を持って私に注がれた。彼はさらに続けた。 「これを見ますと、創内君は国語が良いではないですか。これは完全に文系タイプですよ。ほら、前回の実力模試なんて偏差値が七十二もありますね。塾内でも三位です。これはなかなのものだ」そして、広尾講師はニヤリと片方の口角に皺を作った。  これは落として上げるという彼のやり方だった。見え透いた上辺のコーチングテクニックが、私にはどうにもなじまない。こういうところも、広尾講師を苦手とする理由の一つだった。  しかし、父は目に見えて嬉しそうに「へえ、そうですか。じゃあうちの拓海は文科系に進むとよろしいんですね」とやっている。  父の横顔を横目で見ると、瞳孔が開いているのが分かった。私は何か嫌な予感がしていた。  案の定、その帰途、父がこんなことを言い始めた。 「拓海。お前、医者はやめとくか。医者はやめて、弁護士になるか」 「弁護士?」私がそう問い返した時、再び先ほどの疝痛が腹部に走った。 「そうや。国語が得意なんやったら、文系の方が上の学校に行けるって、先生も言うてはったやないか。で、文系やったら、弁護士がええんちゃうか。うちの家系にも、医者と教師はおるけど、まだ弁護士は出てないからな。もしお前がなったら、みんな驚くで」  その日から、私の目標は私の意思とは関係なく、医者から弁護士へと切り替わったのである。そして、それがトリガーとなったかのように、私の意識はもう一つの世界に分離されることとなった。それは、まるでパラレルワールドのもう一つの私が、今の私の中に同居したかのようだった。      ★  かと言って、私が統合失調症を引き起こし、多重人格症状を引き起こしたとか、もう一つの魂が私の中に入り込んだとかそういうことではない。私は私のままで人格は一つだった。そして、その異変は弁護士を目指すこととなった次の朝から始まったのだ。 「おい、もう六時やぞ。起きろよ」  朝は大抵父の声から始まった。朝練ならぬ、朝勉を私に強いるためだ。私は朝がどうにも弱かったので、その声を聞かなければ起き出せなかった。が、この日、私はすでに起きていた。 「あれ? 拓海、もう起きてたんか。どこや」 「トイレ」私はトイレに蹲り、存在確認をする。 「トイレ? なんや、朝から快調か。今日はやる気満々やな」  しかし、私はそれどころではなく、下痢を催していた。体に気怠さがあり、目の縁から頭までが微かに熱っぽかった。こんなことは初めてだった。  トイレを出た私がどんよりしているので、父はしっかりしろとはっぱを掛けた。  私はお腹が空っぽになり、勉強を始めてしまえばやれないことはないだろうと、父の言うままに勉強を始めた。  父は自分も高卒認定試験の勉強をしながら、私を激励し続けた。私は、それに応えようと気力を振り絞る。実際、やってみると、意外に腹痛もしないし、体の怠さや熱っぽさも気にならなかった。  主眼を算数から国語に向けたことで効果は上がり始め、算数の成績も、それに釣られるようにじわりじわりと伸び始めた。すると、他の教科も軒並み底上げされていった。  国語力の強化は、真の読解力や理解力を身に着けるのに、役立ったようだった。六年生に上がる頃には、国語に関しては高校レベルの語彙を身に着け、小説ならかなりの水準を解答できるまでになっていた。四教科の平均偏差値は上昇し始め、この分なら大阪のトップ校を目指せる圏内に入って来た。  ふ、ふふふと、私の模擬試験の結果を見て、父は不敵な声を出して嬉しさを噛みしめた。しかし、私の心境は決して単純にはいかなかった。心身に潜むアンバランスのため、今にも心は壊れそうな危うさを抱えていたからだ。  五月のゴールデンウイークを過ぎた辺りから、それは顕著になり始めた。  爪噛みが始まり、全ての爪が深爪状態でガタガタ。貧乏ゆすりが止まらず、授業中には独り言が止まらない。塾の宿題はするのだが、学校の宿題や忘れ物が異常に増え出し、塾への遅刻はないのだが学校への遅刻はほぼ毎日になった。そして、信じられないことには、これらの症状に、学校の担任も父母も私でさえもが、まるで無自覚だったのである。それは、当時発達障害や子供の心理負担について、一切議論されることがなく、社会そのものが無頓着だったことも原因の一つだった。  また、私は大変大人受けが良かった。いつも笑顔を絶やさず、決して逆らわない。三者面談ではいつも「拓海君は勉強も運動も出来る方ですし、素直で明るくてこのまま育ってくれればと思います」的なことを言われ続けて来た。それゆえ、担任に咎められることがほとんどかったのである。  このままで良い。私の胸には、その言葉に則して生きていれば間違いないということが、極めて強く刷り込まれるようになった。無論、無自覚に。それはつまり、無防備ということでもあった。そして、その無防備は、いつしか私の心に新たな芽を作り出すことになったのである。            (四)  国語力の向上に伴い、勉強方法にも変化が生じ始めた。  これまでは、とにかく基本的な語句や公式、例題などを覚え、一人問答によって記憶を処理していた。  一人問答とは、語句や問題の解説をする人間と、その説明を受ける人間とが同じ、つまり、一人二役を自分でこなす勉強方法のことである。  事実、覚えることも多く、一々誰かに勉強を教えたり、解説を聞いて貰う方式では時間も手間もかかり過ぎてしまう。で、この方式を利用したのだが、次第にこのやり方も記憶に苦手意識のある私にはマンネリ化し、途中から成果も上がらなくなって来た。それに、記憶するだけでは限界を感じ始めていた。  そんな折、近所の書店で偶然見つけた大学受験用の国語の参考書に、私のそれまでの勉強法を覆す方法が書かれていたのである。  それが、某大学受験予備校の講師が出していた、『国語は感性ではなく、根拠を上げて解け~根拠明確法のすべて~』というタイトルの国語の参考書だった。  その時は、表紙の大学受験用という文字は目に入らなかった。ただ、根拠という言葉の響きが気になり、手に取っただけのことだったのだが、適当に開いたページをパラパラと読んでみて、目から鱗が落ちる思いだったのである。  そこに書かれてある内容は、それまでの中学受験用の参考書と違い、小学生だった私の目にも、実に明解で分かり易いものだった。  次の瞬間、私はなけなしの小遣いをはたいていた。レジのお姉さんに参考書を渡す時に初めて、私は大学受験用の参考書を購入する小学生、という自分を意識していた。自尊心と気恥ずかしさの狭間で、私はそわそわと落ち着かなかった。  購入した参考書を、私は早速家に持ち帰り、読み始めた。  それまで私が何となくやっていたことを、そこには丁寧に説明されていた。  これまでやって来た私の国語の問題を解く方法は、まず感性によって解答し、答えに窮すると、本文からそれらしい答えを探すというものだった。  例えば、択一式の問題があったとする。その中には、わざと迷わせるような選択肢が少なくとも二つはあるもので、難関校の問題ほどその傾向は強い。私の場合、標準的な問題なら直感的に解答にまで辿り着けることも多かったが、いくら考えても迷いそうな問題も当然ある。そんな時は、そういう問題は最後に取って置き、余った時間で本文から答えの根拠らしきものを探すのだ。そうすれば、どんな難問でも半分ぐらいまでは正解に辿り着くことが出来ることを私は発見していた。しかし、某予備校講師の参考書は、最終手段として私が使っていた、本文から答えらしきものを探すというやり方を、徹底的に推奨していたのである。そこに例外は無く、直感は一切排除しなければならないというものだった。常に答えは本文にあり、そこから得たものしか信じてはいけないと断定していたのだ。そして、東大や早稲田大などの超難関大学の受験問題をも、その方法でスッキリと解き明かしている。無論、小学生の私には難解で分からない箇所もそこかしこにあったが、著者の意図するところは、ある程度理解出来た。  さらに参考書では国語以外の教科にも言及し、このように書かれていた。 『国語の文章読解の手がかりが常に本文にあるなら、例えば数学の場合、その答えの手がかりのほとんどが君の脳にあるだろう。この場合(問題文をきっちり分析した上で)今度は君の脳内にある公式や例題などの全てを、具体的に紙面に書き表さなくてはならない。それは計算過程についてもそうだし、図形の補助線や単純な公式、関連性のありそうな例題など、ありとあらゆる手掛かりを、問題文の余白や裏面を使い、具体的に書き出さなくてはならないのだ。そうやって、解答の根拠になりそうなものを、空ではなく視覚的に探し出す手間を惜しんではならない。それはさらに、芸術やありとあらゆる仕事のアイデアにも言うことが出来るだろう。少しでも役に立ちそうなものは、それが脳内に浮かび上がったものであれ、目に触れたものであれ、一度紙面に書き出してみるのだ。そうすることで、人間の脳は本格的に思考を開始し、新たな発想も生み出しやすくなるのである。本当に成績を上げたければ、将来優秀な人間になりたければ、君はこの程度の労を決して惜しんではならない。』  私はこのくだりを、完璧に暗記するほどまで何度も読み返した。それは自分にこれほどの集中力が備わっていたのかと思うほどだった。この時、私の前には閉ざされていた扉が開かれ、新たに進むべき道が見えた気がした。しかし、その興奮の裏で、妙な不安が私の体の片隅で渦巻いていたのも事実だった。      ★  私は順調に成績を上げて行った。それにつれて父の指導も熱を増し、朝は五時起きで夜は深夜になることもざらだった。  理容店は母が三割ほどを補い、父は家事もしなかったので、余裕の分を全て自らの高卒認定試験と私の指導に傾けていた。しかし、事実は、高卒認定の勉強も次第に疎かになり、私にかかりきりになるようになった。  そのきっかけとなったのが、夏休み前の全国模試の結果だった。  その日は模試の結果が返ってくる日だった。私が塾から帰って来ると、父がキッチンで待っていた。 「拓海、これ」  父が四角い顔の中に、らんらんと目を輝かせて私を見ている。手には模擬試験の結果が入った封筒があった。封は切られていない。  父が快楽主義的であることは、この頃から感じ始めていた。そして、父は巧みにサディスティックな性質を隠していた。それゆえ、私にプレッシャーを掛けることも厭わないのである。否、むしろ他者へのプレッシャーは父には快楽であり、相手に及ぼす過大なストレスにも考えが及ばないのだ。  私は父からのプレッシャーを少しでも避けようと、学校から一旦自宅に戻った時、先に模擬試験の結果を知っておきたくて、すぐに郵便受けを見た。が、それは叶わなかった。  父と一緒に結果を見なければならないことは、実に億劫だった。結果次第では、今後の私への対応が変わるだろうことは間違いなく、私にはそのことが何よりも気掛かりだったのである。  私は内心に潜む恐怖と不安の青い炎を覚(さと)られないように、父の表情に注視しつつ封筒を受け取った。  封を手で千切っていく。それから、中から結果用プリント一枚と、学校別ランキング冊子を取り出す。  先日の塾内テストでは、まずまずの結果を出していたので、少なからず期待感もあった。  早く見てみろと言わんばかりの父の視線に晒され、私はやおら模試の結果に目を留めた。その瞬間、私は胸が締め付けられるのを感じていた。  第一志望 青海中学 判定B   この結果を見た時、私の中に芽を出したのは喜びではなく落胆だった。正直、もっと上の結果を期待していたのだ。特に、算数の結果と、判定Bの部分。かなりの手ごたえを感じていたのに、あれでこれかという思いだった。これが自分の能力の限界なのだろうか。一瞬、腹部に鋭い痛みが走った。しかし、父は単純に喜びを露わにした。 「ほお、やっぱり国語が一番ええな。おっ、でも算数も七十超え。お前凄いやないか。前回はDやったやろ。この分やったら次はAやな。将来は東大か京大の法学部か」  結果が低調だった折には三時間も説教されたが、これはこれでプレッシャーが増す。  記憶力に不安のある私にとって、理科や社会に伸びしろがあるとも思えず、かと言って国語もこれが限界な気がする。あと残るは算数だが、能力から考えるとせいぜいあと二か三伸びれば良い方ではないだろうか。否、次は下がる可能性だってある。私は自分が秀才でも天才でもないことを認めざるを得なかった。  再び、私の前を新たな壁が立ちはだかっている。それは私にはとんでもなく分厚い壁に思えた。一方の父は、断然やる気を漲らせている。父はことごとく私の心情とは相容れない道を、歩んでいるようなことだった。            (五)  それは夏過ぎの、まだ残暑の色濃い十月頃のことだった。私に明らかな変調が現れたのである。  それは見た目では分からない、私の内的な部分に関することだった。  根拠明確法という例の参考書の勉強法に出合って以来、私は集中できている筈だった。しかし、その集中が、全く続かなくなってしまったのである。  机を前にし、得意な国語をしている時も、学校で授業を受けている時も、私は茫漠とした荒野に、一人放り出されたような放心感覚に見舞われるようになっていた。とにかく何をやっていても、まるで意識を一点に留めることが出来ず、感覚の一切が放散状態にあるのだった。  自分は一体どうしてしまったのか……。  密かにそう自問してみるが、答えは一向に返ってこない。これこそが、私の体内にずっと意識されずにくすぶっていた、不安の正体だったのだろうか。その根拠はしかし定かでなく、答えを導き出してくれるような人を、私は周囲に認めることが出来ない。  私は途方に暮れ、それまで姿を現さなかった密かな不安とは違う、新たな重い不安の川に押し流されるような心持ちがしていた。そんな時だった。 「今日は前回行われた、塾内模試の答え合わせだったな」  向心学園では、模擬試験の答え合わせを重要視していた。その点、私の所属していたアドバンスクラスでは、特に難問や重要な問題だけを取り上げる。この日は国語の授業の日だった。しかし……。 「創内だけえ、授業後事務室に来なさあい」と松本という講師に私は呼ばれた。その理由は分かっていた。  授業後、私の異変に勘付いたライバルの神藤という男子が話し掛けて来た。  彼は塾内でも常にトップクラスだった。しかし、友人という訳でもない。ただ、アドバンスクラスにはトップクラスの自負が、私たちに不思議な連帯感を作っていた。 「創内、どうかしたか。お前先日の模試どやった?」  神藤はその面長で切れ長な眼差しを、私に向けた。悪意のないざっくばらんな問い掛けだった。  まだ結果は出ていなかったが、大体の予想はついている。精神的な重苦しさが私の口を塞いでいた。  私は首を捻り、何も答えない。いや、答えられなかった。自分よりも優秀な彼に対して、下手に弱みを見せたくはなかったし、プライドが真実について吐露することを許してはくれなかった。 「ま、受験はもうすぐやからな。焦んなってのが無理やろうけど、無理は禁物やぞ」  彼はポンと私の肩をたたき、悠然と自習を始める。真の秀才とは彼のような者をいうのだろう。  無理は禁物。その言葉が私の頭に残っている。なんだか自分の底を見透かされたような気がした。彼の言葉が、単なるライバルとしての牽制でないことは明白である。しかし、この時には、そんな気遣いを受け取る余裕も、私にはなかった。  私が事務室に赴くと、険しい表情の松本講師が足と腕を組み、斜に私を睨めつけていた。 「ここ」と七三分けに銀縁眼鏡の彼が、顎で自分の向かいに座れと促す。  不快な気持ちと萎縮が、私のこの体を蛇のように縛っていた。  私が向かいの椅子に座ると、眼鏡の奥の視線が一旦途切れた。そして、次に私に目を向けた時、彼は腕を組み背もたれに凭れ、私を卑小な小動物でも見るように見下ろした。その瞳には、薄霧に覆われたような膜が張っており、私の背筋にはゾクッと悪寒が走った。 「なんで呼ばれたのかは、よう分かってるよね」それは静かだが、険のある声音だった。関東出身だというその標準語が、冷たい感じを助長している。 「はい」  私は机に息を吐き下すように俯いていた。 「アドバンスコースはおろかあ!」と、松本講師はいきなり声を張り上げたことに、私はビクッと体を震わせる。そして、彼はゆっくりとした口調で、押し殺した声で言った。 「標準コースでも平均点ぎりぎりなんだよねえ。って、マジあり得ないよねえ。君がアドバンスコースの足を引っ張てるっていう自覚、ある? ほんと、クソありえないよねえ」妙に紅過ぎる薄い唇が、血の赤に見える。  今は、壁や床の集音効果による静寂が、むしろ脅迫するように私の精神を圧迫していた。私の中の、無形だが確かに存在する何かが、ピキッ、ピキピキッという音を立てるのを、私は感覚で聴き取っていた。  講師はそれでも収まらない。 「で、君もさすがに、いつまでも向心のアドバンスにいられるとは思ってないよねえ。ほんとに、よくまあこんなクソみたいな点数取って、来れたものだよ。君みたいな人間をなんて言うか知ってる?」 「……」私は首を微かに傾げた。言葉が喉に詰まって声が出せない。彼の口から、次に飛び出す言葉の予想はつかないが、最悪のそれであることは分かっている。恐怖だった。 「害虫。そこにいると次から次へと他に害をもたらすんだよ」  害虫。その言葉が、私の頭をガンと殴ったような衝撃を覚えた。 「しかし、このままでは君はアドバンスのままだ。それがここのシステムだからねえ。ほんと、この時期にスランプになる奴はたまにいるけど、君みたいな奴は開塾以来、初めてだよ」  向心学園では、直近三つの模擬試験の平均値で、進むコースが決まる。私は直近の模擬試験では平均偏差値が五十六ほどだったが、それ以前の偏差値を合わせた平均はアドバンスの平均ぐらいになるので、アドバンスに残留という計算になる。  松本講師は、それからもねちねちと二時間は私を責め続けた。そして、最後に言ったのだ。 「今度、君だけもう一度全国模試を受けて貰う。その結果次第で、今後の方向性を決めようじゃないか。もし、それで結果が出せなかったら、分かってるね」  つまり、私に退塾しろということなのだ。 「向心に泥を塗るような真似は、絶対に許さないからねえ」  アドバンスコースに残るためには、最低でも平均偏差値六十五は必要である。今の私の集中力では、到底無理な数字だった。しかし、そうなれば、父が落胆するだろう。落胆した父は、恐らく私を見限るに違いないのだ。母は父の言いなりであり、父に見放されてしまえば、家での私の居場所は無くなってしまう。その不安感は、強迫観念として常に私の心に棲みついて来たものである。だから、どんなことがあっても、私は後に引けないのだ。  私になりふりなど構っている暇はなかった。集中出来ようと出来なかろうと、まずは机に向かい、一問でも多く問題を解くこと。それしかなかったのである。 「この間は体調が悪かっただけやろ。もしかして、腹下してたんか。ま、そういうこともあるわ。これから頑張ったら、まだまだいくらでも挽回は出来るぞ。頑張ろうな」私を励ますように、父はそう言った。  私には全く的外れなその言葉が、図らずも私の気持ちを若干楽にしていた。問題が先送りにされ、一先ずピンチを回避出来たことに私は安堵していたのだ。父のどこかピント外れな感覚が、この時の私には救いとなったのである。  それから十日後に受けた全国模試で、私はからくもアドバンス残留の成績を上げることが出来た。ただ、実は、そのことが私には不思議だった。そんな力が、まだ自分にも残っていたのかと。しかし私には分かっていた。それは、この時の試験が、偶然にして軒並み私の得意分野ばかりが出題されていた結果だということを。  あとは、二月に始まる本番を残すのみだったが、今にして思えば、あの時模擬試験に失敗し、アドバンスコースを落第していた方が、どれほど良かったかと思う。もし、あの時に気付いて、すぐに受験勉強を中断していれば、あんなことにはならなかったのではないか? 今、そんなことを言っても始まらないことは分かっている。しかし、今自分を苦しめる原因となった後悔の記憶は、飽きることのない欲望のように、湧き出して来ることもまた事実だった。      ★  一月に入り冬休みが終わると、受験ラッシュが始まる。第一志望の青海中学は、休みが終わって二週間後にあった。そして、青海中学の試験日は志望校の中で一番最初だった。言わば、受験シーズン前半で早くも山場を迎えるのだ。  予行演習的に使える中学がなく、私はいきなり青海の受験日を迎えた。 「拓海、頑張らなあかんぞ。今日がこの三年間の集大成なんやからな。気を引き締めていけよ。親戚もご近所も、みんな応援してるからな。それをプレッシャーではなく、力に変えて来い。分かったな!」  父の容赦のないエールは、私を不安と緊張の坩堝に誘うには十分だった。父は自分が目立ちたがり屋で、周囲の注目をむしろ力に出来るタイプなのに比して、私はそれとはまったく逆のタイプだった。それは、余り意識していない時の模試が、意識した時の模試よりも軒並み好成績を残して来たことからも明らかだった。父には、そんな傾向を読み取る繊細さも観察眼も私への配慮もなかった。  この日、私は朝からお腹がゆるかった。家で一度、駅で一度、受験会場で一度、計三度の軟便を私は吐き出していた。しかも、その都度お腹がキリキリと痛んだ。これでは、不安に思うなと言う方が無理である。  が、いざ試験が始まると、嘘のようにピタッと腹痛も便も止まったのは不思議だった。心の片隅で、これは何か見えない力に守られているのではないか、いけるかもしれないと思ったものである。  一意専心、自分はここまでしたいこともせず、ただ父の期待に応えるために頑張って来た。今こそその成果を見せる時だ。もしも、結果を出せなければ、周囲の笑い物になり、それは父が笑いものになり、それはつまり自分が父から見離されることを意味する。それは何としてでも防ぎたい。最後の模試では、ボーダーライン判定だった。あれからさらに勉強もして来たし、悲惨だった状態は抜け出している筈なのだ。だから、大丈夫。落ち着いてやれば、必ず突破出来る。  一限目が得意としていた国語ということもあり、私は意気込んだ。この勢いを借りて、他の教科も乗り切ってやろう。そう企図し、そのためにより一層私には気負いがあった。しかし、どうしたことか、文章の内容が何度読み返しても頭に入って来ないのだ。過去の経験を活かし、評論系よりは文学系の問題の方が理解が進むと思って読んでみても、結果は同じだった。  質問から手掛かりを得ようと問いを読むのだが、書き取り以外は何が問われているのか理解しているのかさえあやしかった。  緊張し過ぎなのかもしれないと思い、何度も深呼吸する。それから改めて問題文を読み始める。理解しにくければ繰り返し読み返せばよい。そうすれば、次第に意味が読み取れ始めるだろう。  何度も過去の経験を振り返り、私は焦りそうな自分の心を押し鎮める。  しかし駄目だった。何度読んでも簡単な文章すら理解しているのかしていないのか分からないような感覚になって来る。神経が麻痺し、思考が一向に先に進もうとしない。それはまさに、先日、自分史上最低な点数を取った時のそれだった。  その思考の麻痺感覚は、いつまで経っても解けることはなく、結局私に読解問題の中で確信して答えられたものは一つもなかった。  国語の試験が終わりを告げ、三年間の集大成がたったこの六十分間に集約されてしまうことの呆気なさに、私は茫然とした。意識が自分の心を離れ、教室の中空を彷徨っているようだった。そして、その感覚は国語以外の試験にも延長された。これが模試ならば塾の講師や父はどのような顔をするんだろうと、点数そのものが知られないことに、私はある種の安堵さえ覚えていた。  家に帰ったら、やるだけのことはやったと言おう。それで落ちても、ギリギリの線で落ちたものと父も誰もが勝手に思うに違いない。今後、第二、第三志望のどこかに合格すれば、それはそれで後は時間が解決するに違いない。  私は試験後の帰宅途次、鎮静状態の中何事もなく振る舞う方法について、あれこれ考えを巡らせていた。  その後、第二、第三志望と受験したが、あの思考の麻痺感覚がその都度現れ、私はすべてに不合格だった。最後の不合格を知った時の父の顔を、私は今も忘れられない。その日を境に、父は私を半ば無視するようになり、私の居場所はこの家にはなくなったのである。            (六)  今や毎日祈ることが、私の生活、生きる糧になっている。そうでなければ、途方に暮れ、行き倒れになってしまいそうな不安に押し潰されそうなのだ。  それというのも、受験に失敗し、父から見離されて途方に暮れていた時に、受験時代に読んだ芥川龍之介の短編小説がきっかけだった。  ふと手にした、芥川の文庫本を読むうちに、彼の作品には多かれ少なかれ実体験が含まれている気がして来たのである。特に『魔術』という小説では、主人公の「私」に魔術を披露したインド人の友人が、どうにも実在ではないかと私には思われるのだ。無論、インド人の友人は、実際には日本人かもしれないが。  また、『アグニの神』という物語においても、魔法使いのお婆さんが出て来るが、ある程度これも事実ではないかと思えてならない。  百歩譲って『魔術』の方では手品かもしれないが、『アグニの神』では霊媒師による降霊に近く、真に迫っている。  そこで、私なりにあれこれと祈りや呪術について調べ上げたのだが、これが意外にも本当そうなものが散見されるのだ。  ある呪術系の書籍には仏様や神様から夢などでお告げを頂いたという証言もあり、とある宗教系の書籍には、殺人の魔術や呪術の紹介をしているところもあった。  そこで、私なりに研究を重ねた結果、誰にも知られず簡易で効果の高そうなものを厳選した。  その方法とはこうだ。  まずは書道半紙に墨で自分の望みを書き、壁に貼り付ける。そして、その内容を強くイメージしながら毎日丑三つ時(夜中の二時)に、百回読みながら念じるのだ。これは『思考は現実化する』『成功哲学』などのベストセラー本に紹介されるエッセンスと、お百度参りや仏教の念仏のエッセンスを取り入れている。特に瞑想などは、百年どころか二千五百年以上も昔のお釈迦様の時代からあるのである。芥川がそういうことを密かに実践し、不可思議な経験を小説に取り入れたとしても、何ら不思議ではあるまい。むしろ、現代がおかしいのだ。現代人は、余りにも科学やコンピューターばかりに心を奪われ過ぎて、そういった神秘的なものや目に見えないものを軽んじ過ぎている気がする。  私の知る所によれば、大体百日目にその効果が現れる。で、その百日目が、三日後に迫っているのだ。それは中学の一学期末試験の前日である。  私の願いは一つ。父母の信頼を取り戻すこと。そのためのこれが第一歩となる。      ★  期末試験前日は試験勉強で夜半遅くまで寝る必要がなかった。いつもなら、夜の十時から夜中の二時までは睡眠をとるのだが、この日は食後次の日の試験科目の勉強をやり続け、そのまま祈祷へと流れ込む算段だった。  さて、私の執念は自分で考えているよりも深いようで、予定通り二時まで勉強し続けた。それから、次の日の用意を整えると、早速祈祷の準備に入った。  いつも通り、願い事が書かれた半紙を百回読み上げていく。そう、いつもならそのまま百回読み上げて寝るだけのだ。しかし、この日は初めから何かが違った。何というのか、私は心の端で『ある予感』を感じていたのだ。これから何かが始まる。異常な何かが。それは、恐怖と興奮が入り混じったような不可思議な感覚だった。  その時、締め切られたガラス窓を覆うカーテン越しの向こうに、何やらぼんやりとした閃光が走ったのを私は横目で捉えた。ふいにそちらに目を凝らす隙間もなく、今度はその方から真っ白な光の束が一気にこちら目がけて窓を通り越し、私を包んだ。真っ白な閃光はしかし眩しい筈なのに目をハッキリと開けていられるのが不思議であり、その突然の出来事に恐怖心の湧いて来ないのも不思議だった。  そして、目の前に煙が立ち上ったかと思うと、あっという間にそこには白装束を身にまとった男性が立ち現れた。見たところ、二十代と思しきその男性はこの世のものとは思えぬ美しい姿に発光し、じっとこちらを見下ろしている。私は、それが人間よりも遥かに力を持つ俗に神とか仏とかいう存在であることを直感していた。私が息をひそめその姿に見とれていると、男性が厳かな口調で言葉を発した。 「お前はなぜそうも親の愛を望む。親の愛は永遠ではないぞ。いつかは消え去るものだ。それでもお前は刹那にそれを望むのか」 「はい」私は何かに操られているような心持ちの中、必死で自分の意思を掴まえて答えていた。「たとえ刹那だとしても、このままでは苦しいのです。僕にはどうやって生きて行けば良いのかが分からないのです」 「人生は苦しいものだ。しかし、苦しくとも耐え忍ぶのが人生である」 「でも、もう一度信頼を取り戻したいのです」 「しかし、例えそうやって信頼を取り戻したとしても、今度は以前以上の苦しみに見舞われるかもしれないが、それでもよいのか」 「はい。それでも、今よりはまだマシだと思います。そのために、明日からの試験で良い点を取るつもりです」私は内心、この男性なら試験で良い結果が得られるよう取り図ってくれるのではないかと期待していた。  すると、男性は表情を変えず、一呼吸の間を置いて言った。 「試験で良い点を取ることで得られる信頼など、所詮は欺瞞である。その程度で得られるようなものなど、脆いものぞ。真の信頼を本当に望むならば、それ相応の覚悟をしなければならぬ」 「覚悟、ですか」と私が問い掛けた時、その姿は煙りの中へすーっと消えて行った。  目が覚めると、瞼には自然光の色彩が広がっていた。  私が呆然と天井を見詰めていると、昨夜の記憶が次第に脳内を巡り始めた。夢は驚くほど鮮明で、到底通常の夢には思えなかった。まさか自分にあのようなことが起きるなんて、俄かには信じがたかった。ただ、あの男性が何者か尋ねていないことを思い出し、少し残念に思った。でも、不可思議な現象は確かに起きたのだ。百日目の夜半に。私は間違っていなかったのだ。  私は心を躍らせて階下へと下りていった。父や母に何か変わった所はないか、つぶさに観察する。父がお店からバックヤードに来た際、思い切って「おはよう」と声を掛けようとするが、父は私の方を見ずに無言で通り過ぎた。何も変わっていない。私は再度確認するように、今度は母に声をかけて見たが、「おはよう」と返した母の様子に変わった所は見出せなかった。  いや待てよ。もしかしたら、今日の試験でとんでもないミラクルが起きるかもしれない。そう思い直し、三日間続く期末試験に期待を込めてみたが、一日目の数学から見事に躓いてしまった。  やはり男性の言う通り、簡単なことではないということか。男性は覚悟が必要だと言っていたが、それは一体どのような覚悟なのだろう。いや、そもそも、あれは本当に祈祷の効果なのだろうか。あれは単なる夢だったのではないか。私の心に、一日目から数々の疑念が沸き上がって来た。      (七)       あれから一週間が過ぎたが、私の身の周りには何も起きなかった。それでも私は相変わらず祈祷を続け、何かを待っていた。  祈りを続けていると、もう祈りをやめることは出来なかった。いつしか、祈りという行為そのものが生活の背骨のように、私を支えるようになっていたのだ。  その一方で、どこに足を踏み出せば良いのか、覚束なさがあるのも事実だった。私は複雑に入り組む街並みに迷う子供のように、「覚悟」の意味を捉えきれず、あの日からずっと当惑していた。  そんな、いつものように祈祷をしていた時のことだった。ふいに、一週間前に感じたあの予感のようなものが、腹の底からぞくぞくっと湧き出して来たのだ。それは宇宙の法則のように、一週間前のそれと全く同じシステムに則っていた。  恐怖と興奮が入り混じったような不思議な感覚。カーテン越しの向こうに、迫るぼんやりとした閃光。そして、そこから真っ白な光の束が一気にこちら目がけて窓を透り越し、私を包む。すると、目の前に煙が立ち上がり、いつの間にかそこには、美しく発光した白装束の若い男性が立ち現れている。全て前回のそれと同じだ。  彼の口がおもむろに開き、鎮静的な声を発する。 「お前の望みは分かっている。覚悟は出来ておるな」 「あ、あの」私は先日と違い、この日はなぜか脳内が空っぽで、言うべき言葉が浮かんで来なかった。彼が誰なのかを問うことさえも。 「じゅうぶん猶予は与えた。これより契約は履行される」  そう言うと、男性はすーっと煙りと共に消えて行った。それから、あなたは神様ですか? 望みとは両親の信頼を取り戻すということですか? という問いが矢継ぎ早に口元に辿り着いていた。肝心のことが何も分からないまま、契約が履行されるということに、私は不安を禁じ得ないでいる。でも、やはりこの不思議な体験が現実だという衝撃と興奮の方が、私にはずっと大きかった。これから何が起きるのだろう? その興味が、私から冷静な判断や思考を吸い取っていた。      ★  次の日から、私は自分にとって都合の良い予感を抱いて過ごし始めた。  自然、気持ちが浮き立った。家での父母の様子は一向に変わりがなくても、私は意に介さなくなっていた。学校に到着しても、思わずクラスメイトなら誰彼なしに挨拶を届けた。無論、ほとんどの生徒がきょとんとした顔で私を眺めていた。これから何か良いことが起きる。私の根底には、そんなもやっとした予感が流れ続けた。  そんなある日のこと、小さな変化が私に起きた。急遽、夏休みのキャンプに誘われたのである。それは、クラス内ヒエラルキーでも、上位の者達で実施されるものだった。普段、中位から下位に属する私には、縁のない世界である。私は一瞬不安になり、訝った。何か落とし穴が用意されているのではないかと。しかし、そのキャンプの参加者には、私が以前から思いを寄せていた女子の名もあった。彼女は容姿端麗の上に文武両道で、その言動から悪意が一掃されているような素敵な少女だった。そんな子が、私をいじめとか物笑いの種に協力するとは到底思えなかった。当然私がいつもつるんでいる友人連中は、身分不相応なことはやめろと私に忠告した。そこに嫉妬ややっかみはなかっただろうが、私はその忠告を聞き入れず、参加にOKした。そう判断した裏には、当然あの不可思議な出来事があったことは言うに及ばない。私は不安の裏で、何か素晴らしいことが動き始めている予感を、感じずにはいられなかったのである。  そんな時、自宅である深刻な事態が持ち上がった。いつもなら私は蚊帳の外なのだが、事が事だけに切羽詰まった父も、一応は家族の一員である私を無視できなかったのだ。  一階のバックヤードの椅子に座らされ、沈黙に耐えていた私に、父は冷徹に言葉を落とした。 「実はな、先日の病院の検査で、癌が見付かった。すぐに精密検査をして治療に入らなあかん。お店はその間休むことになる。生活費は、少しは蓄えがあるから困ることはないから心配せんでもええ」  斜向かいの母が膝に手を組んで、目を伏せ涙ぐんでいるのが分かった。私も、癌がどういう病気でどれほど深刻なことかはある程度理解していたが、深刻な気持ちにはならなかった。これが夢の男性が言うところの契約履行の一つなのだろうかと考え、それなら大丈夫という気がしていたのである。むしろ、このことをきっかけにして、私の家族内での地位が大きく変わるのではないかという期待すらしていた。  次の週の月曜日に入院の運びとなり、家には私一人の日が増えるようになった。そんな日が数日続くと、私にある考えが浮かぶようになった。今こそ、父母の信頼を取り戻すチャンスではないか。そのチャンスを、今自分はもらっているのかもしれない。ここで何もしなければ、何も変わらないのではないか。なぜかは分からないが、そんな考えがふいに浮かんだのである。私はその日から家事を始めた。  まずは掃除からと思い、母が父のお見舞いなどで不在の時にはトイレ、浴室、階段など出来る範囲で始めた。すると、母はすぐに気付き、 「あら、ここ綺麗になってる。拓海、もしかしてしてくれたん?」そう言って、嬉しそうに微笑んだ。そのことが嬉しくて、私はさらに手を広げて行き、そのうちお店以外は全て私の分担となっていた。  そんなある日のこと。両親の寝室に掃除機をかけ、洗濯物などを整理していたところ、私はアルバムを見付けた。その中には、家族三人の色々な世界が広がっていた。そして、その中心にはいつも私がいた。  私と父、私と母、私と父母、私だけ。いつの間に撮ったのか分からないものも多かった。父も母も、いつも幸せそうな表情で、私だけが撮影に無関心なものも多い。しかし、それも中学生の入学式の日に撮ったもので、ぱたりと止まっていた。写真の裏には、一枚残らずその時の父の感想が一言したためてあった。 『初めてハイハイした拓海。逞しい男に育ってほしい』 『拓海が初めてママと言った。パパでないのが少し残念。でも、通常よりずいぶんと早いようだ。この子は天才かもしれない』 『初めて立ち上がる。少し遅めだが順調に成長している。それだけで幸せ』  そんな言葉の数々が、一枚一枚丁寧に書き込まれている。そして、小学六年の卒業式のものもその中にはあった。私はその一枚を思い切って翻した。 『受験は失敗したが、立派な後姿に感謝。この辛さを乗り越え、新たな道を逞しく生き抜いて欲しい』  これはどういうことだろう。しかし、確かに、受験は失敗したが……感謝、生き抜いて欲しいとやや角ばった字で書かれている。父は私に失望したのではなかったのか。信じられない思いが私の体を嵐のように駆け抜けた。もしや、全ては私の誤解だったのか。父のあの冷たさは、しかし実感を持ってこの日の私の記憶にも強く残っている。私は激しく混乱した。その時、階下から母が帰宅した気配が伝わって来た。私はすぐにアルバムを元の場所に仕舞い、何でもないように母を迎えに行った。  相変わらず、母は私の労を褒め称えて労うことを忘れなかった。その表情からはおもねりや欺瞞の痕跡は見られない。母の心根から出ているように思われ、私は嬉しかった。私は、明日父のお見舞いに行ってみようかという気になっていた。私はまだ一度も父のお見舞いに訪れていなかったのだ。      ★  少し見ない間に、父は少しやつれて見えた。力強かった眼差しはどこか虚ろで、電流の途絶えた電球のようにくすんでいる。 「来てくれたんか」久しぶりに聞いた父の声は少し掠れ、言葉は尻すぼみに切れた。  私は頷いた心の内で、誘われていたキャンプに行く許可を秘めていた。でも、父の顔や眼差しには、以前のサディスティックな面影は微塵もなく、いつの間にかキャンプの話題はどこかに失われていた。 「お母さんのこと助けてくれてるんやってな。すまんな」  その押し殺したような言葉は、なぜかある種の真実の重みとなって、私の心深くに残って行く気がした。 「もう夏休みに入ってるんやろ」 「うん」 「勉……」と言い掛けた父は、話の矛先を調整するように、テレビ台から一冊の漫画を取り、「これ、なかなかオモロいな」と私に見せた。それは病院の待ち合いから持って来たらしい手塚治虫の『ブラックジャック』だった。ブラックジャックという医者が主人公の医療漫画である。私の神経が急にあらぬ予感を連れて来て尖るのを感じた。暗に医者になることを勧めたい心持ちが、そうさせているのかと勘ぐったのだ。  父はその漫画のページをパラパラとめくり、「こんな天才外科医が実際におったらええのにな」と呟いた。しかし、その言葉のニュアンスは、むしろ私に向けられたものではなく、父自身に向けられている気がした。  私はそれには何も答えず、病室内の気配に五感を傾けた。室内全体の薄暗い感じや、誰もがカーテンを閉め切っている閉塞感が、陰気で少し嫌な気がした。  私が沈黙に耐え切れなくなった頃、父がまた口を開いた。 「お母さんのこと頼んだぞ、これからも色々支えてやってくれ」 「うん」と頷いた裏で、私はどうしてそんなことを言うのか不思議な心持ちだった。あれほど冷たいと思っていた父が、自分のことを見放していたと思っていた父が、自分を頼りにしているようなことを本当に思っているのかという疑いもなくはない。でも、じんわりと心が軽くなったような気もしていた。私はこれまでとはまるで違う人間を見るみたいに、父を見ていた。父は漫画の本を閉じ、ふうと天井を仰いで目を瞑った。しばらくそうしてから、 「どうや。何か飲むか?」とふいに私を見た。「一階にコンビニがあるから、ジュースでも買いに行こ。さすがにここではビールはあかんけどな」父はそう言い、ベッドから下りてふっと目を細めて笑んだ。私は少し愉快な気分になり、微かに笑った。父の大きな体がふわっと私の体の側を掠めた時、父の匂いがした。しかし、そこには病人の匂いも混じっていることに、私は少し嫌な気がしていた。      ★  それから数日が過ぎた頃、母が働くと言い始めた。フランチャイズチェーンの理美容室から採用通知が来たのだという。母はいつの間にか書き慣れない履歴書を送り、面接を済ましていたのだ。母は働かなければ貯蓄が減って行く一方で、不安なのだと言った。  私は、家事以外にも増える用事を上手く済ますことが出来るか不安だったのもあるが、それ以上にいつも身近にいた母が働きに出るということに、より大きな不安を覚えていた。そして、私は一人ということに怖さを感じてもいた。  母は、お店からすぐ来てくれと言われていると言い、その週の土曜日から働き始めた。土曜日の朝、私が起き出して一階のキッチンに降りて行くと、母が朝食の用意と自分の朝食を済ませ、出て行くところだった。 「お味噌汁は沸かして、レンジにお魚があるから出して食べてな。これからお父さんの下着持って行ってから仕事に行くから。じゃあ後は頼んだで」 「うん」そう言った裏で、私の心の軸が細く折れ曲がりそうになっている。でも、父が戻って来るまでの辛抱だと、そう思っていた。しかし、その片隅では、状況は私の思惑からズレて行きそうな、そんな不吉な気分も拭えないでいた。      ★  何度父の見舞いに訪れても、事態は好転しそうな気配すら見えなかった。というのはつまり、父の治療が一向に進まなかったのである。入院する以前には、手術のことや抗がん剤、放射線、免疫療法など様々な治療の名称が飛び交っていたのに、一月経っても治療らしいことは何もされないのだ。  ある日、父にそのことを問おうと思ったのだが、どうしても言葉が口中を彷徨うばかりで出て来ようとはしなかった。それはきっと、母の取り付く島もない態度に何かを感じていたからだと思う。つまり、私は父に尋ねようと考える前に、母に尋ねようとしたのである。しかし、母と私との間には、溶け合わない空気で覆い尽くされていた。ずっと、何でも言える間柄でなかった私達母子は、父の病気という事件が侵入してもまだ延長されていたのである。  一体私は孤独と不安で体中の細胞という細胞が、日一日とその自由性を失うような気がしてならなかった。より一層働き者になった母の姿が、むしろ私達の前途に大きな黒い影を落とすような気がしてならなかった。  果たして二カ月もすると、父の様子が極端に悪化しているように、私の目にもハッキリとして来た。打ち消そうとすればするほど、暗い予感は浮き出して来る。私はある時遂に母に切り出したのである。  いつも、母が仕事から帰って来るのは夜の九時頃だった。母は一旦昼頃に昼食を兼ねて夕食の支度をしに家に帰って来る。そうして、私の残り物と化した夕食を母は一人で食べるのだ。しかし、この日、私は母と一緒に夕食を取るつもりだった。その時に、父の詳しい病状について聞こうと思ったのだ。ところが、なぜかいつもなら帰ってくる時刻に、母は帰って来なかった。心配になり、私は母の勤める美容院に行ってみることにした。もう夜の九時半を過ぎておりいささか心細かったが、悪い予感の方が先に立ち、居ても立ってもいられなかったのだ。  母が勤めているお店のチラシのありかを私は知っていた。お店に電話を掛けることは考えなかった。もしかしたら、迎えに行った先で、帰ってくる途中の母にばったり会うかもしれない。もしやどこかで悪い酔っ払いに絡まれているかもしれない。たとえ行き違っても、最悪のパターンさえ起きなければそれで良い。  否、それだけではなく、私は母を迎えに行きたかったのだ。この身一つでわざわざ迎えに行く息子の労を、母に労って欲しかった。それがたとえあざとい考えだとしても、私はどうしてもそうしたかったのだ。  チラシの地図を辿り、近鉄Y駅を北に向かって私は自転車を走らせた。  娯楽施設のビル沿いに東、北と迷いながらもなんとかそれらしきお店を私は見付けた。  Rという店頭の看板のネオン以外はすでに閉店の様子で、二つあるシャッターの一つは閉め切られている。私はドア口から中を覗き込み、母を探した。すると、人の気配が背後からし、後ろを振り向くと金髪の女性が花の甘い香りをさせて私の側を通り過ぎようとした。微かに私のことを気に掛ける素振りをしている。私は咄嗟にその女性に声を掛けようとした。それは私にとって確かに勇気のいることだったが、それ以上に母のことが気掛かりだったのだ。 「あのう、すみません」その時、さらに背後を人の足音が耳に掛かった。ふいに振り返ると、男女が寄り添って歩いて近付いて来る。咄嗟に、二人の繋がれていた手がほろりとほつれ毛が解けるように外れるのを、私は目の端に捉えていた。その女性の側が母であることに、私はすぐに気付いた。その母はどこか別人のように見えた。いつもの母と目の前の母が合致せず、私はしばし無言でその二人を眺めている。 「どうかしましたか?」  先ほど声を掛けようとした女性の声に私が我に返ると、私の意識を追い掛けるように、母の声が私の名前を呼び掛けた。 「あら、拓海? 拓海なの? どうしたん」  それはいかにも私には不自然に聞えた。それが私の思い込みか、本当に不自然だったのかは分からない。私は意識してなるべく自然に振る舞おうとした。 「帰りが遅いから」 「あ、そっか、ごめんごめん。今日は最後のお客さんが遅くなって、それから練習に入ったから。電話したらよかったな」  そう言って説明する母の表情には、やや堅さが見られた。私に小さく愛想を向ける隣りの男は父よりも母よりも若く、私が知るどの大人よりも柔和だが未熟な笑みだった。男の髪は所々脱色してあり、ファッション性に長けた服は全体にラフで軽薄に見えた。私は男の目を一瞬見た後、すぐに逸らした。  私が沈黙していると、ちょっと待っててと言って母が小走りにお店に入って行く。誰もいなくなった暗がりの中で、私は苛立ちと焦りと不安の入り混じった心持ちでいた。すると、ドアが開き、先ほどの金髪の女性が顔を出して「良かったらどうぞ」と笑んで私を促した。よく見ると、端正な顔立ちなのにどこか人懐っこさを感じさせる。私は惹かれるものを感じたが、自分の中にある何かに拒絶されたように受け入れることが出来ない。 「すいません、結構です」その言葉は自分でも初めて使った言葉のように畏まっている。私はまだずっと子供の筈なのに、自分で自分の大人びた所が気持ち悪いのだ。  母は五分もせず姿を現した。いつもはそれほど愛想が良いとは言えない母が、この時ばかりは終始笑みを絶やさずよく話し掛けて来た。  家に着くとすぐに食事を摂り始めたが、一転お互いに無口で、私は食欲が湧かなかった。父のことを聞く気も失せていて、食事は半分も食べずに済ませた。私は仕方がないから、父の病状については、明日父自身に直接聞くしかないと思っていた。しかし、どうにも胸が重苦しかった。  その時、明日は誘われていたキャンプの日であることをふと思い出した。すでに断りは入れてあったが、急に参加したいような衝動に駆られた。何もかも投げ出し、別世界に飛び出したかった。でも、私にそんなことが出来ないことは分かっていた。家族の中の歯車に、私はやっとなれそうな気がしていたのだ。それを捨てることなど私にはできないと思った。それは私には恐怖なのだ。  八月は真綿でギリギリと絞めつけるように暑い。四十度に迫る気温と七十パーセントを超える湿度は、私の体と心を密封し、解き放つ余地さえ与えない。ふと、昔一度だけ遊んだことのある徳島の吉野川の冷気と華やかな花火を思い出した。幼かったあの頃の記憶は眩しいほどの輝きがある。それは今も、唯一私が逃げ込める妄想の世界だった。      ★  ある日、私は母が誰かと電話で話しているのを耳にした。夜半、眠れなくて一階に起き出した時のことだ。しかし、相手の目星は付けられなかった。私の気配に気付いた母が、すぐに電話を切ったからだ。当時は携帯電話がなく、固定電話で話すしかなかったから、夜中の連絡は急を要するものか、恋愛などの秘め事が主だった。母の様子から、父のことではない気がした。私は直感的に、それが先日お店で母と一緒にいた男だと思った。一瞬、怒りの感情が噴出しそうになる。母が浮気をしていることは明白だと思われた。しかし、後で冷静になり、夜半に電話しているからといって浮気の根拠にはならないと思い直した。全ての答えは、明確な根拠がなければ断定できない。母にも色々と都合があるだろうと考えたのである。      ★  私は、何度父のお見舞いに行っても、本当のことが聞けなかった。  その一方で、父は目に見えてやつれていった。その姿が弱々しくて、私は父の顔を見ると無意識に作り笑いをした。私はそんな自分が好きではない。でも、そうでもしなければ、今にも心が深い闇に引き摺り込まれそうで恐ろしかった。  父は横になっていることが多くなっていた。最初の頃は、いつも何か本を手にしていたのだが、今はテレビをぼーっと見ていることがほとんどだった。私の姿を認めると、笑い顔を作ろうとするのだが、無表情に近かった。  私は我慢の限界だった。父は余り食事を摂れなくなっていた。父は点滴で命を繋いでいた。点滴を調整しに来た看護師さんに、私は咄嗟に声を掛けていた。 「あのう、父のことで少しお聞きしたいことがあるのですが」と小声で言う私を、看護師さんは少し驚いたように見た。でも、私の様子から何かを察する繊細さと思いやりを、幸運にもその看護師さんは持ち合わせているようだった。何かを覚った看護師さんは、ちょっと待っていてねと言って、病室から出て行くと、少しして戻って来て言った。 「じゃあ、ちょっと来てもらえるかな」それは囁き声で、私への配慮というよりは父への配慮に見えた。  病室から促され、私はカンファレンス室に通された。すると、すぐに主治医が入って来た。主治医は一切の抑揚を排した声で、しかし慎重に静かに、父の状態が芳しくないということを私に告げた。現代の医療では治療方法がないというようなことを医師は言った。遠回しそうな表現を使い、余命が僅かであることが私に覚れるようにと彼は配慮していた。側にいる看護師さんの表情は堅く、医師の真意を補助していた。  実感が湧かなかった。カンファレンス室を出てからも、私は空っぽの体を操作しかねるように足下が覚束なかった。  病室の前で、同室の患者さんとすれ違った。父よりもずっと年輩の人。個人的に話したことはないが、白い干からびた無精髭と顔の深い皺に境目のない複雑な顔で、印象に残る人だった。彼とすれ違う時、一種独特の匂いが頬にまとわり付いた。私は直感的に死の臭いを連想していた。この病棟の一部の入院患者に共通する匂いである。初めは点滴をしている患者に共通しているのかと思ったが、それには明らかに二種類あることに気付き始めていた。比較的爽やかで明るい匂いの患者は、どんどん退院していく。それよりやや濃く鼻にまとわり付いて離れない患者は、いつまでも退院して行かない。そして、今や父のベッドの周辺がまさに後者の匂いなのだ。父の命がもう長くないことを、私は少しずつ理解するようになっていった。  いつしか、父の元には普段会うことのない色んな人達が見舞いに現れるようになった。親戚や見たことのない父の友人と称する人々。しかし、その中に母の姿はいつしかめっきりと見なくなっていた。  ある日、母方の親戚と母が自宅二階の居間で話しているのを耳にしたことがある。 「見舞いには行ってあげてるの?」 「うん、出来るだけ行くようにはしてるけど、仕事が忙しくてね」 「その辺ちゃんとしとかな、あちらのご親戚に何言われるか分からへんよ」 「うん、それは分かってるんやけど、あの人も家族にはそれほど愛情のある人ではなかったからね」 「そうは言うても、最後ぐらいはきっちり看てあげんとな。なんか寂しそうやったで」 「自分が元気なときは好き放題して、寂しくなったからってね」  母の本音を聞いたのはこれが初めてだったと思う。まさかそんな風に思っているなど、私は夢にも思っていなかった。それは私にとってかなり強い衝撃だった。しかし、母を責める気持ちはなかったと思う。それは、そもそもこの事態を引き起こした原因が、自分にあると私は思っていたからだ。私が、祈祷さえしていなければ、こんなことにはなっていなかったのではないか? そんな疑念さえ、どす黒い煙となって、私の体の中を蛇のようにうごめき渡っている気がした。私の中に達成感とか満足感のようなものは微塵もなかった。ただただ取り返しのつかないことになってしまったという、無力感ばかりが募るのだった。  私は一層父の見舞いに向かうようになった。一日を空けず病院に行き、私は母が現れない穴を出来るだけ見えなくするよう努めた。見舞客に対してだけではない、父の心の目に母の存在が空虚になって浮かばないように、そう願っていた。それは私にとっても意外な意識の表れだったと思う。  夏休みが終わり、学校が始まると、父はいよいよ動けなくなった。ただ酸素を二酸化炭素に変えて吐き出す木のように、父は一日中天井を見上げていた。私は何をするわけでもなく、学校での出来事をつらつらと父に話して聞かせた。そうすることで、私の気持ちも少しは紛れた。  父が危篤になったと学校に連絡が来たのは、十月も半ばに差し掛かった頃だった。紅葉が進み、赤や黄に様変わりした街の風景に目を留める余裕もなく、私は病院に駆け付けた。  病室に入った時、すでに母は父の側にいて、私に気付くと虫の息で横たわる父のところへと引き寄せた。その途端、枯れ木のような父は眠ったまま息を引き取った。しかし、医師から臨終を告げられても、私の心は分からなかった。あんなに父を嫌っているように見えた母は泣き叫んでいるけれど、私は泣けなかった。どこか遠くで起きていることのように、私は一部始終を眺めていた。      (八)  父が亡くなって以来、私と母の心は離反していた。それまで私を支え続けていた何かがすっぽりと抜け、私は生ける骸のようになっていた。母はしかし、むしろ父の生前よりも生き生きとしていた。あの時の涙は一体何だったのだろうと思えるほどに。  一月もすると、母は美容師の仕事以外にも用事で出掛けることが多くなった。私の方は何とか学校には行き続けていたが、成績は酷いもので、平均点を超えるのも難しくなっていた。  十二月の三者面談のことだった。この日、外はしとしとと雨模様だった。風は少ないが、手先が凍えそうなほどに冷たかった。  廊下の壁沿いに並べられた椅子に、面談待ちの生徒と親が待っている。五番目、四番目と自分の順番が近付くにつれて私は焦り始める。母は一向に顔を見せない。落ち目の成績と奮い立たない心と母とまともにコミュニケーションを取れていないことと、様々な要素が私の神経を右往左往していた。  私の前の生徒と親が教室に入った時、母は来てくれないのではないかという不安が現実となって迫り始めた。刻一刻とその時が近付いて来る。もう帰りたい。もう帰ろう。そうは思うがどうしても踏み切れない。順番待ちしている生徒と親のひそひそ話とが、自分のことを噂しているようで居たたまれなかった。面談を終えた前の生徒と親が教室から出て来た時、私の心ががらがらと崩れるのを感じた。  私はどうでも良いような気分になって、それでも教室に足を踏み入れた。独りの私を女の担任が見遣り、あれっという目をする。投げやりに、担任の疑問への答えなど何も思い浮かんで来ない。 「あら、一人?」 「はあ」面談用に整えられた椅子に座るかどうか迷う。 「どうぞ」と促され、私が仕方なく椅子に座ると、 「でも、お母様には面談のこと伝えてるんでしょう?」と担任が尋ねる。父が病死したことを知っている担任の表情には責める様子はない。「お仕事、お忙しいのかしらねえ」  やや戸惑っている様子の担任が、私の資料を開いて何か言い掛けた時、教室の入り口が開いた。目を向けると見知らぬ男が……いや、先日、母と一緒にいた若い男が愛想笑いを浮かべて立っている。私は愕然として咄嗟に目を逸らした。異様なほどの不快感に私は襲われている。 「すみません、遅くなりまして。あのう、ミキさんの……拓海君のお母さんの代わりに伺いました。僕、同じお店に勤めてまして、彼女に急の仕事が入り手が離せなくて」そう言って済まなさそうに歩み寄って来る。その割には動きは軽く、内心と行動が伴っていない奇妙さがあり、図々しさすら感じさせる。私はこの男が好きではなかった。  椅子に座りざま、志田圭介と名乗ったその男は、にやにやと私にちらっと目を遣った。  志田は母の代わりに、成績や今後のことを聞きたいと担任に申し出た。私のことはお構いなしだ。その様子が、どこか保護者風を吹かそうとしているようにも見えて、私は一層不愉快になった。あの日、私には見えていた。母とこの男は暗がりから出て来た時、つないだ手を解いていたことを。あの日は思い違いの可能性を優先して封印したが、もう疑う余地はない。  母に限ってまさかと思ったこともある。でも、そんな自分は母の何を知っているのだろうか? という考えがすぐに浮かんだ。小学生になり、受験生になってからは父の過干渉。中学生になってからは父母共にまともに関わって来なかった。私は母のことを何も知らないのだ。   その時、担任と会話していた志田の声が私に向けられた。  「拓海君は勉強嫌いなんでしょ? それやったら無理に頑張ることなくないですかね。勉強で身を立てるってんなら別だけどさ」  その言葉に担任は渋い顔をして、「いや、でも、今やっておかないことには後で焦っても困りますし」 「でも、そんなの本人次第じゃないですかね。やる気ないのは仕方ないと思うんですよね。俺なんが今になって役になってることなんてまるでないですよ。技術にガッコの勉強なんて何の役にも立たないんだから」志田はハハと笑って脚を組みかえる。やや気の弱そうな女の担任を軽く見たのだろうか。志田はよく喋った。それに、一人称が僕から俺になっている。  私は何様のつもりなんだろうと不快な志田の顔を見る代わりに、担任の顔を見た。担任と志田と自分、どこにも交点が見い出せないバカバカしさに、私は増々やる気が失せている。何もかもが嫌になっていた。  成績回復に何の解決策も見出せないまま、面談は終わった。  「成績なんか気にすることないよ」とか「雨で寒いし車で家まで送ろうか」と話し掛ける志田に、私は生返事でやり過ごした。それでも付いて来ようとする志田に「大丈夫ですから」と言い捨て、私は傘を持ったままで走り出した。後ろの方でチッという舌打ちが聞こえたが、無視して私は走り続ける。  嫌な予感と後悔が一気に押し寄せて来た。どうしてこんなことになったのだ、というやるせなさを振り切るように、さらに加速する。でも、どこまでも後悔はぴったりと体に貼り付いて離れない。その時、自転車に乗った小学生の子供が角から現れ、それを避けようとして私はバランスを崩した。すると反対側から走行して来た車に、私は弾き飛ばされていた。傘が落下傘のように空中を舞っているその刹那、悲しみが、過去の記憶が心になだれ込み、私の砕けた骨のようにぐちゃぐちゃと四方八方に巡った。祈祷なんてしなければ良かったという後悔が押し寄せ、もう取り返しがつかないのだという絶望感が悪魔のように私を鷲掴みにした。死って一瞬なんだな、そう覚った時、父の顔が幾重の思い出と重なって明滅した。一枚の写真のように臨終の時のあの萎れた姿が瞼に浮かんだとき、私は初めて父への切なさに涙が溢れた。後悔が私の中に膨れ上がり、私の心は意識と共に砕け散った……。      ★  ハッとして気が付くと、ヒヨドリの騒がしい鳴き声が窓外で弾け飛んでいる。眩しい光が私を包み、ほのかに体が暖かい。 「どうであった。お前の望んでいたものは得られたかな?」  ――へ??  その声に目を向けると、光の中にあの白装束の男性がいた。自分の頬に手をやると涙の感触がある。しかし、体は痛くない。確か、車に轢かれた筈なのに。もしや、ここがあの世という所だろうか。 「今までのは夢だ。今夢の中で体験したことが、お前の望んだ未来である」  え? え? 「あれが……夢?」放心状態から抜け切らない頭で、必死に私は思考を整理していた。俄かには信じられなかったが、死んでいない? そう思った時、安堵の泉が私の体に満ち渡っていくのを感じた。 「そう、残念ながら」と男性は言った。「ただの夢である。しかし、お前が望むのなら、これからその夢とそっくりの未来を私が提供してやってもよいが」 「い、いえ、とんでもない」と私は反射的に答える。「僕はこんなこと望んでいません。こんなこと祈ってませんでした。僕はただ、もう一度お父さんとお母さんに認められたかっただけなんです」 「いや、お前が今しがた見た夢が、無意識よりもさらに深くで、お前が望んでいたことである。そのことに自分では気付いていないだけだ。お前は父親を恨んでいた。そして、母親を苦しめたがっていた」 「そんな、まさか」否定したい一方で、否定し切れない自分に私は驚いていた。あんなことを自分が望んでいたなんて、信じられない。でも、良かった。あれが現実でなくて。 「じゃあ、お父さんは死なないのですか?」 「それは分からぬ。未来は自分で創るものだからだ。食生活、運動、ストレス、遺伝的要素、前世からの業。因縁因果様々な要因が重なり合い未来は決まるのだ。言うまでもなく、その中でもお前自身の意思、努力は特に重要である。これからお前がどう生きるかで、この先の人生はある程度決まって来るのだ。本来、我々が司る部分はごく僅かのことである」  私はその言葉を聞き、憑き物が落ちたかのように体が軽くなったのを感じていた。 「その様子だと、私が手を貸すまでもなさそうだな」そう言うと、男性は初めて薄っすらと笑みを浮かべた気がした。 「よいな。今をしっかり生きよ。逃げてはならぬ。逃げても、結果は変わらぬのだ。所詮はそれ以上の苦しみに見舞われることになる。人生とはそういうものだ」その声は次第にエコーが掛かったように遠くになり、男性は光の中にすっと消えて行った。  私はあのことが本当に夢だったのかどうかを確かめるように、頬をつねり、自分の体を抱き締めた。少しずつ実感が戻り始めると、じわり胸の奥が熱くなるのを感じた。目尻から新鮮な涙が滲んだ。 「ほんとに、ほんとに良かった」そう呟いた時、私は急に父と母に会いたくなった。本当に父がいるのか確かめたい気持ちに逸っていたのもある。  時計を見ると、二人ともすでに起きている時刻だ。私はベッドから起き出し、そっと階下に降りて行った。炊事をする母の音と、  ――あっ!   お店からは賑やかなラジオの音声に混じって、開店の支度をする父の音が聞えて来る。  すると、父がぱっとバックヤードに入って来て、私と鉢合わせした。少し驚いたように父の表情が動いた。私は驚きよりも無性にうれしくなり、咄嗟に「おはよう!」と少し照れたように声を掛けた。すると胸の奥が詰まり、涙が滲んだ。  父は気恥ずかしそうに視線を逸らし、振り返った母とほぼ同時に「おはよう」と応えた。母の顔をそれとなく眺めた時、ほんの少しだけ責めたいような心持がした。でも、すぐにあれが夢で、自分の深層心理の幻想だったことを思い出し、私は自分で自分を窘めた。それから、未来は自分で創るものだと言ったあの男性の言葉を思い出した。  夏間近のお店からは、冷房の冷気と一緒になって眩しいほどの光が私を包んでいる。お店って、こんなにも明るい場所だっただろうか。と、ドアガラスの向こうに、朝一番を眩しそうに学校へと向かう級友の、どこか虚ろな姿が目に入った。一瞬、そこに自分の未来の姿が重なり、私は目を逸らす。その時、私は微かに、人生の本当の姿のようなものに触れた気がしていた。                                おわり  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加