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俺は月橋の手元から目を離し、自分もその小鉢の中身を食べようとした。
案の定、つるつるとしていて掴みづらかった。
何とかして食べたそれは豆腐はとうふでも、白胡麻を葛で固めた、いわゆるゴマ豆腐だった。
ほのかに温かいあんかけは、ダシが効いていて甘くはない。
ワサビの鼻に抜ける辛さが、よく合っていた。
――ここ、『居酒屋はるな』は、店主がたった一人で切り盛りしている、こじんまりとした店だった。
居酒屋とは銘打ってあるが、和風がメインの創作料理は、どれも丁寧な仕事が施されていた。
酒だけではなく、肴にも力を入れていることは明らかだった。
俺の勝手なイメージだが、居酒屋と言うよりは、割烹や小料理屋に近かった。
店主には、和食の修行の経験があるに違いない。
板前の格好がよく似合いそうな精悍な顔立ちの、三十代半ばくらいの男だった。
はるなで、勝手に女性の店主を想像していた俺は、初めて来店した時に、思わず驚きを隠せなかった。
そんな客の態度には慣れっこといった風情で、店主は平然と、俺に名刺代わりだろう、ショップカードを差し出してきた。
飾り気のない浅葱色の紙片には、店名の『居酒屋はるな』と住所と電話番号、そして店主・榛名修繕と記されていた。
――それを見て俺は、店名に納得がいった。
『居酒屋はるな』の料理の値段はその美味しさに反比例して、どれもこれもけして高価くはなかった。
高級ではない、ごく普通の住宅街にポツンと有る立地条件の悪さ故の、価格設定なのだろうか?
飲食店の素人の俺の目にも、あまり繁盛しているとはとても見えなかった。
応援というわけではないが、自宅の近くという気安さも手伝って、週に一、二回は通うようになっていた。
いつもは独りで、カウンター席へと座るのが俺の常だった。
しかし、今夜は月橋と二人だった。
店主のご好意で、四人掛けの、一番奥の席を使わせてもらっている。
ヤツと、月橋と改まって差しで話をするためにだった。
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