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その時、俺は、自分がどんな顔で表情でヤツを見ていたのか、ヤツの目に映ったので知った。
黒い鏡のようなそれに映し出された俺の顔は――、ものの見事に凍り付き、表情が無かった。
月橋の近かった顔が、ネクタイを掴んでいた手が、今にも覆い被さりそうな勢いだった体が再び、一瞬にして離れた。
アイツ、普段はノンビリとしているクセに、意外と瞬発力があったんだな。それなりに、力もあるんだな。
なんだかんだ言っても、やっぱり男だよなと、全く関係ないことばかりを、思い付くままにおもったりもした。
――きっと、現実逃避をしたかったんだと思う。
月橋は元の位置、俺とは反対側のソファーの端で再び、頭を抱え込んだ。
絞り出すようなか細い声で、告げてくる。
「すまない。変なことを言った。――忘れてくれ」
「バカヤロウ!はいそうですか。なんて、忘れられるか!」
俺は精ぜい、ぶっきらぼうを装って言い捨てた。
しかし内心では、沸ふつと湧き上がってくる激情だか欲情だかを、抑え付けているのに必死だった。
誰が、忘れてやるものか――。
言い出したのは、おまえの方だからな!と、ほとんど言い掛かりのように叫んで、全てをヤツのせいにしてしまいたかった。
そして、今すぐにでもこの場に、――ラブシートの上に押し倒して、俺の体の下へと沈めてしまいたかった。
しかし、俺はそうはしなかった。
とてもではないが、出来なかった。
「野宮――」
俺の名字を呼ぶヤツの声は、――涙で歪んでいた。
「おれ、病気なんだと思う」
「なっ!何でそんなことっっ⁉」
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