侍従の香り

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「返すためにここへ? 何があった? わざわざ土に埋めようとしてまで家から持ち出した理由は」  清史はすべてを見透かしている。そんな微かな恐怖がぞわりと幸永の背筋を這い上った。 「何もない」  そんな嘘は清史には通じない。それは百も承知だった。しかし幸永はわかっていてなお嘘をつく。 「私にまで隠すのか?」  清史が幸永の腕を掴み自分の方へ引いた。突然のことに身体が反応せず、清史の胸元に身体をぶつけてしまう。ふわりと侍従の香りが鼻孔をくすぐった。  幸永には何が起こったのかわからない。茫然と清史を見上げた。いつも穏やかで貴公子然としている彼であるのに、今はそんな面影は一つもなく、感情を読ませない瞳は長い付き合いの幸永にさえ恐怖を抱かせる。 「……清史?」  急にどうしたのか。そう声にしようとした時だった。 (……ッ⁉)  ゴプリと何かが身体の内から零れ落ちた。ビクリと幸永の腰が跳ねる。目を見開いて身体を震わせた。  何か、ナニカ……ドロつくものが股を濡らし褌を汚している。まるで幼き日に粗相をした時のようだと思うが、あの日の尿のようにサラリとしていない。もっとネバついた、重いものだ。ゴプリゴプリと止めどなく何かが溢れてくる。ついに褌では受け止めきれずに、内腿を伝って足袋を染め上げた。 「幸永? どうした」  突然体を震わせて視線を彷徨わせる幸永に、さしもの清史も動揺を見せた。幸永の腰に逞しい腕が回る。その瞬間、清史は無意識のうちに力の限り清史を突き飛ばしていた。 「……」 「ぁ――……」  清史から離れて漸く自分のしでかしたことに気付く。幸永の友である清史を突き飛ばしてしまった。それも幸永を心配してくれたのであろう、回された腕を跳ねのけるようにして。  またゴプリと何かが溢れ出てくる。先程まで感じていた侍従の香りは既になく、きつい鉄の匂いが幸永の鼻孔をかすめる。  どうすればよいかわからなかった。突き飛ばしたことを清史に謝らなければいけないのに、言葉が喉に張り付いて出てこない。どころか声さえも出せなかった。身体は小刻みに震え、その度に股からはドロついたものが零れ落ちる。どうしようもなく清史の前から消えたかった。そう願ったのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。幸永は清史を理解できていなかったが、それでも彼の側は居心地がよかった。しかし今、彼の前に長くいることは己の首を絞めるに等しい行為だ。幸永は咄嗟に踵を返して走り去った。清史が待て! と後ろから叫んでいるのがわかったが、幸永はそれを無視して走り、足を止めることはなかった。  本当は清史に先程の件を謝って、ちゃんと侍従の香と扇子を返して後に、さよならを言って別れるつもりだった。  清史は良家の子息だろう。これ以上、たとえ清史の戯れであったとしても幸永と一緒にいるべきではない。  幸永は彼を友だと思っていた。しかしそれさえも本来であれば不敬なのかもしれない。けれど胸の内で友と思うくらいは、どうか許してほしい。幸永はそう願って走り続けた。
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