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知られていない日本史
1853年、日本にペリーが来航した。
当時、日本は鎖国状態だった。ペリーはアメリカ合衆国から、日本に開国せよとの意思を伝えてきた。
日本はそれに応じ、翌年には日米和親条約を締結することになる。
…というのが、一般的に知られている、日本史の一部だ。
しかし、本当の日本史は違う。
ペリーが来航した年、それは当時の幕府にとっては激震の年だった。侍たちは、対策を考えた。どうすれば、異国船を打ち払えるか。考えて、考えて、そして、対策を考えた。
翌年の日米和親条約締結日、日本の侍は、アメリカの使者を切り捨てた。
もちろん、アメリカは怒った。いくつもの艦隊を従えて、すぐさま日本に攻め込んだ。
アメリカは思っただろう。これで、日本は屈服するだろう。これからは日本を植民地化できるだろう、と。
しかし、アメリカの艦隊が、本国に帰ることはなかった。
不審に思ったアメリカは、追加の艦隊を派遣した。だが、それらも帰って来ることはなかった。
侍たちは、禁忌を犯した。
日本には、平安の時代から妖がいた。それらは陰陽師たちが、長い年月をかけて、封印を施し、管理してきた。
侍たちは、禁忌を犯した。
侍は、陰陽師の制止を振り切り、封印を解いた。そして、妖の力を、取り込んだ。
…侍たちは、取り込んだ妖の力を使い、異国船を打ち払うことができた。
その翌年、アメリカと日本は日米和親条約を締結し直した。…日本に有利な形で。
大国よりも優位になった。これで日本は安泰だ。
侍たちは喜んだ。…しかし、事はそう上手くいかなかった。
妖の力は、毒だ。
侍たちは、異形の怪物へと変化していった。
これではいけない。侍たちは、陰陽師に泣きついた。
陰陽師は、もう一度妖の力を封印したかった。しかし、長年積み上げてきた封印を、再構築することはできなかった。
そして、陰陽師はある提案をした。
封印できない妖の力を、国の全ての民に分散させよう、と。
…その後、日本は大国の文化を取り入れて、発展していった。
幕府は、陰陽師に国の管理を託し、天皇へと大政奉還を行った。
この歴史は、明治維新の激動の波の中で、静かに闇に葬られた。
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