[アポロンの降臨]

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[アポロンの降臨]

 原爆完成より時間の針を戻すことおよそ一ヶ月。  一九四五年の六月十八日。  アメリカ合衆国国務次官のジョセフ・グルーは、ホワイト・ハウスでこれから始まる首脳会議を前にしたトルーマンに対して、日本への降伏勧告を再三説いていた。  すでにドイツは降伏。日本は東京大空襲、大阪大空襲を経て壊滅的ダメージを受けている。さらに一九四五年の四月から始まった、米軍による沖縄上陸作戦ももはや佳境に入り、アメリカ側の勝利は自明。事実、日本国内でも御前会議を開き、降伏勧告を待ち望んでいる状態にあった。ただ一つ、「国体の護持(敗戦後の天皇制の存続)」という降伏条件を付してもらって。その点だけは日本側が譲れない降伏条件だった。そこに日本が自発的に無条件降伏を申し出られない理由があった。また、それをアメリカ側も察しているだろう、という思惑もあった。実際に在日本アメリカ合衆国大使(在任期間は一九三二年から太平洋戦争開戦の一九四一年まで)であったグルーは日本政府を知悉しているので、その理由を含んだ条件で早急に降伏勧告をすべき、と提言している。それでもトルーマンは首を縦に振らず、曖昧に言葉を濁すだけ。そんなトルーマンに対してグルーは何度も、日本との折衝を準備してきた。事実、グルーは自らのスイスでの駐スイス・アメリカ大使の経験のツテを頼って、ポツダム宣言受諾における日本の降伏をスムーズに行うために、スイスにその旨を打電していた。そのような根回しをしてグルーは大戦の終わりの青写真を描いていたが、アメリカ側は黙殺していた。  つまり、トルーマンは到底に戦争を終わらせる意思がない、というのが常にグルーの頭によぎっていた。理解しがたいが、まだ戦争継続を望んでいる、と。 「日本の降伏勧告については、来月に行われる三大国会議まで、審議を延ばすよ」  含み笑いをしながらグルーに答えるトルーマン。何をそんな悠長なことを言っていられるか。日本の降伏を先送りさせ、その後に考えられるソ連参戦の脅威をどう受け止められているか! と内心はらわた煮え返る思いのグルー。  だが、平静を装いつつ、 「大統領は今の状況を理解しておいでられで?」  と皮肉を込めて言って見せた。するとトルーマンは眼鏡のブリッジを押し上げバリトンがかった声で、 「私は誰よりも今の状況を的確に見極めているつもりだ。それにこれからの情勢もな」  と自信あり気に返し、グルーに対して踵をめぐらした。トルーマンの去り行く後ろ姿に、それ以上グルーはかける言葉がなかった。断ずるように吐いた台詞。威風堂々とした所作。そして、思った。  ソ連への武器の供給の停止は戦後のアメリカの青写真における、仮想敵国としての社会主義国家を想定していたからだと考えていたが、それよりも優先すべき自体を憂慮しての決断だったのか。ソ連の日本への侵攻による終戦、という結末以上に重要な何かを行うための……そうでないと、まるで敢えて日本を降伏させないとするような振る舞いの合点がない。  そして、グルーは念慮が深くなるとともに、自身、疑心とも焦思とも区別がつかない予断が脳裏に浮かんできた。  例の爆弾が仮に完成したとして、さらに投下した後のアメリカ合衆国の振舞いについて。  極秘のマンハッタン計画。その秘密裡に進んでいたプロジェクトの内実はグルーも余り知らない。だが、自らが知り得る少ない情報の範囲で、どうにか頭の中を整理してみた。  あの爆弾を投下する最終判断はトルーマン大統領ではあるが、その後押しをしたのはイギリスのチャーチルと聞いている。そう、爆弾兵器開発の暗号名は「チューブ・アロイズ」だった。それに「ハイドパーク覚書」【付注:日本への原爆使用が米英両首脳間で話し合われた会談のメモ】の存在……どうにもケベック協定に複雑な事情が収斂していくようだ。つまり、アメリカがチューブ・アロイズを投下した場合は、大量殺戮兵器を扱った非人道的な国としてのレッテルを張られる恐れがある。早急の戦争終結の為に使用したとしても、ほぼ死に体の状態の日本にして何処まで説得力があるものか。ヘタをすればナチのホロコーストと同じ水位で米国が今後の歴史の上に位置付けられるかも知れない。何よりもソ連からの批判は避けられない。チューブ・アロイズ投下は共産主義陣営にとっては格好のアメリカ非難および資本主義国家の否定の素材になりかねない。だからこそ我が国にとってはチューブ・アロイズ投下の正当性を主張するためには、ソ連も巻き込んで共犯関係を結ばせる……となればソ連へ原爆、いや、チューブ・アロイズの開発の情報を投下後はすぐにも提供する。その取引は危険な賭けではあるが、アメリカ全責任問題を分散させる効果はある。詰まる所、チューブ・アロイズの日本への投下は、国際的な合意によるものだという免罪符になりえる。ソ連が秘密裡の情報提供に応じれば、ソ連側も留飲を下げて、あからさまな批難はできないはず、という具合になる。そうだ。チャーチルがチューブ・アロイズの使用に肯定的なのがどうも引っかかっていたが、元々はイギリスが最初に始めた開発プロジェクトだったわけだ。我が国に対して英国は原子力の力をまざまざと見せつける事によって、その必要性を示したいという意図がある。それは戦後の原子力エネルギー産業を見据えてのビジネス的な算段。我が国とイギリスが手を組んで原子力エネルギー業界を支配する。原発ビジネスは軍事面の点は勿論、発電や動力などを基幹業とした市場には必ず需要がある。チューブ・アロイズ。その大量破壊兵器、かの大量殺戮兵器は平和利用の美辞のもと、言わば大いなる金の成る木に転用できる。そして、そのお披露目サンプルとして日本が選ばれた、というより残ってしまったのか? そう考えなければチャーチルがチューブ・アロイズ使用の推しをする理由がない。あくまで打算的に全てが既に仕組まれたプロジェクトなら、もはや必然的に結論は出ている。それならば首脳会談など馬鹿馬鹿しいほどの茶番劇ではないか。  グルーはマンハッタン計画の隠された事実、というよりもどす黒く深淵な現実に憤りを感じるとともに、身震いする恐怖も覚えた。とてもではないが余りにも巨大にして、複雑すぎる構造的国際組織体制に対して、たった一人の個としての自分では対抗できない、と。  さらに一方で慮る。  そんな強大な渦中に図太くも凌いでいるハリー・S・トルーマン。運任せにして矮小的な大統領が、どうしてかこの手強い外交をサバイブできている現状。  何がこの男を変えたのか? と。  グルーは胸襟、様々な疑念にまみれていたが、ただポツネンと立ちすくんでいるだけで、トルーマンを見送るに過ぎなかった。  その日の午後より始まった首脳会議。  出席者はトルーマン以下、統合参謀本部議長のウィリアム・レーヒー、参謀総長のジョージ・マーシャル、陸軍長官のヘンリー・スティムソン、海軍長官のジェームズ・フォレスタル、そして、陸軍次官補のジョン・マックロイ他、軍のトップ・クラスが揃った。だが、肝心の会議はどうにも歯切れが悪い。皆が腹を探り合っている。そして、その原因を会議出席者全員が知っていた。それは「ザ・モスト・テリブル・シング」と呼ばれる、触れてはならぬ隠語(ジャーゴン)が頭をかすめているから。はたして明文化していないザ・モスト・テリブル・シングに関して、この場で発言をしてよいものか、と。  ザ・モスト・テリブル・シング。  それは原子爆弾のことを指した政府高官内で吹聴している、一種の符丁。英国政府で使われていたチューブ・アロイズと同意と言っても過言ではない。 徹底した管理下で秘密主義に進められていたマンハッタン計画は、閣僚の中でもその全容は把握しにくく、一九四五年の夏の現在になっても疑惑的であった。今回の会議の出席者でも、マンハッタン計画を最初から認めていたのは、陸軍長官のスティムソンだけで、大統領の幕僚長という立場にいたレーヒーでさえそれを知ったのは一九四四年の九月頃。海軍長官のフォレスタルもドイツ降伏のその日に、スティムソンからようやっと聞くことが出来た。そして、ジョセフ・グルーも同じ日に。 このような誰が知り、誰が分からないかでいる状況の中、軽率な発言は慎まれる。  だが、そんな緊迫した場面にもやがて綻びは生まれた。 今後の日本に対する進攻について審議している時にトルーマンが、 「沖縄での作戦が完遂した後は、九州本土への進攻をすべきか否か。難しい問題だな。どうだね、マックロイ君。君はどんな意見を持っている?」  と今まで沈黙を守っていた、陸軍次官補のジョン・マックロイに不意に話を振った。マックロイはテーブルに肘を乗せたまま、両手を重ね徐に前傾姿勢になり、 「私はこれ以上日本本土を壊滅状況に追いやるのは賛成できません。いたずらに戦死者を増やすだけなので、むしろ早期に日本を降伏させるべきだと思います。まだ実験は行われていませんが、自国の領内や日本領内の無人島らしき標的を見つけてそこに投下し、その破壊力を見せつけ、件の爆弾の脅威を日本に即刻に通達し、決断を迫るべきです。そうでなければ大量破壊兵器ならず大量殺戮兵器の誹りを受けるだけで、たとえ戦争の終了の決定打となっても、国際世論の批判は避けられないとおもいますが?」  と口を開いた。  原子爆弾の存在をほぼ明るみにさせた発言に、刹那、ざわつく会議の場。  マックロイは今会議のメンバーの中では一人だけ官位が低い。だが、上官のスティムソンからの評価は高く、その手腕を買い首脳会議に列席させる事が決まった。そして、前日に二人は、首脳会議で原爆使用の件について言及しよう、と作戦を企てた。それをマックロイが実行したのである。 スティムソンはグルーやフォレスタルとともに、「三人委員会」というメンバーにおり、日本を原爆使用する事なく降伏させようとする、考えを示していた。マックロイもそれを受けて降伏文書の立案に関わっている。故に先の危うい発言も予定通り。マックロイとスティムソンにとっては。 会議場、その両者以外は動揺の面持ちを見せた。困惑の表情を隠せないでいた。マックロイとスティムソンにとってはそれも想定内。 だが、トルーマンは鷹揚な姿勢を見せて、 「なるほど、素晴らしい見解だ、マックロイ君。私も例の爆弾を何の警告もなしに使用するような事は決してしない。まさに正鵠(せいこく)を射た意見だよ、ありがとう」  と露骨に歯に衣を着せる一言。逆に呆気に取られたマックロイとスティムソン。  大統領が悠長に原子爆弾の脅威を、親切にも日本に説き、降伏喚起を促すなどありえない。それにこれまで不文法な存在であった原子爆弾を容認するような余裕な態度。全てが訝しく感じる。  一瞬、マックロイとスティムソンの二人は原子爆弾の存在さえ疑った。本当は開発計画などなかったのではないか、と。それにこのトルーマンの悠然とした構えを見ていて、ソ連の日本への参戦の懸念が本当にないのではないか、とも。  しかし、その当て推量は間違っていた。誰よりもソ連参戦を危険視していたのはトルーマンその人であった。  一九四五年の二月に行われた、ルーズベルト(当時は大統領として存命中)、スターリン、チャーチル(イギリスの首相)の米ソ英の三国首脳によるヤルタ会談で、すでに第二次大戦後の処理については話されており、戦争終結の準備は始まっていた。そこで交わされた極東密約と呼ばれる秘密協定で、ソ連はドイツの降伏の二,三ヶ月後に対日参戦をする事を表明。そして、後の五月にドイツは降伏宣言。つまり、七月か八月かにはソ連は日ソ中立条約を破り、日本に進攻を行うという事である【付注:ヤルタ会談はそのような日ソ中立条約の一方的破棄を有した、「ソ連の日本への参戦」という秘密議定書を付帯しているとは日本は知らず、ソ連を通じての和平工作を政府は画策していた】。  ルーズベルト自体は日本の早期降伏を願っていたので、ソ連が日本に踵を返し大戦の終結が早まるならば不承不承にそれを認めていた。だが、ルーズベルトの死後、大統領に就任したトルーマンは違った。ソ連の他、連合国の中のどの国よりも大戦のラスト・シーンに拘りを持つアメリカ及びトルーマンは、実際、ドイツが降伏した後、すぐに行動に移る。  トルーマンはヤルタの秘密協定、つまりソ連の日本への参戦条項を思い返す。ドイツの敗戦後の二,三ヶ月後にソ連は日本に侵攻する。五月にドイツは降伏。そうなるとソ連の日本への攻撃開始は、強制的にも七月か八月になる。果たしてそれまでにザ・モスト・テリブル・シングス(原子爆弾)は完成するのだろうか? まさしくトルーマンにとってはこの事案は焦眉の急であった。トルーマンは直ちに側近のハリー・ホプキンスを特使として幾度もソ連に送り込み【付注:ただしソ連では資本主義陣営の人間であるホプキンスが、社会主義陣営のソ連の高官から絶大な信任を得ていた事や、あまりにも共産圏の要人と接触し過ぎていたため、逆にアメリカ政府側からすれば、ソ連、ひいては共産圏側のスパイではないか? と嫌疑もかけられていた】、ソ連の動向を窺っていた。いつソ連が日本に侵攻するのか。その日にちを知るために。  一応の情報としては七月八日、七月十五日、七月二十日、もしくは八月八日にソ連は日本に攻め込むのではないか、という所まで確認は取れた。そして、最終的にホプキンスは、ソ連は間違いなく八月八日に日本における満州の防衛線に侵攻する、という最終報告を出した。それを聞いたトルーマンと、原爆攻撃支持者の米国国務長官のジェームズ・F・バーンズは安堵の息をついた。ギリギリではあるが原爆投下は間に合うのではないか、と。  無論、ソ連参戦の期日は分かったといえど、原子爆弾を完成させ実験が成功しなければ意味がない。トルーマンはマンハッタン計画の進行具合も常にチェック。おおよその原爆完成の青写真は見えてきたものの、原爆実験の際に万が一失敗したら、その予定は大きく狂う。それこそもしソ連が対日参戦を七月中に決め直したとしたら、それはかなりの緊急を迫られる。だからこそトルーマンは最後の保険を掛けた。三大国首脳会談の開催を七月十五日に引き延ばす事を、同年五月三十日の第四回会談で提案したのだ。そして、意外にもソ連は何処か穿った見方をしつつも承認する【付注:スターリンに対して、玉虫色に原爆保有の事実を伝え、その反応を見るという算段もあった。だが、スターリンは既にマンハッタン計画の件は知っていたので動揺する素振りなどは見せなかった】。  だが、その提案にソ連以上に困惑したのはイギリスの首相ことウィンストン・チャーチルである。ドイツの敗北の戦後処理問題。ソ連が占領していたチェコスロバキア、オーストリア、ルーマニア、ブルガリアなどなどの国を民主的な国家とするために、つまりイギリスは暗にそれらの国々を資本主義・自由主義陣営の国家とするため、国政を変えようと考えていた。イギリスにとってそれは急務であった。イギリスが欧州の資本主義国家の代表として率先して動かなければ、欧州の共産化はおろか英国のリーダーシップ能力にも傷が付きかねない。あまりにも時間を置いてしまうと、ソ連の社会主義化が突き進み、占領地の拡大に繋がってしまう。そういう危惧がイギリスにはあった。さらにドイツの敗戦後には、米軍が任務完遂という事で西ヨーロッパから退却してしまう。イギリスからすれば欧州のソ連への警戒体制は薄くなってしまう。それはつまりそれはイギリス主導による欧州での資本主義化の失墜。  無論、チャーチルはその危機を打開するために、緊急の三国首脳会談の開催をトルーマンに通達する。だが、トルーマンも権謀術数、手練手管にして曖昧模糊にして、のらりくらりとチャーチルの言い分を聞き流す。また、チャ-チルは厳しい選挙戦の最中でもあり、その時期的に見ても七月十五日の三国首脳会談の開催は遅すぎた。だが、トルーマンは頑なに首を縦に振らない。あくまで七月十五日が最も早い期日なのだ、と主張する。 実際、アメリカ政府内部でもグルーをはじめ、国務省の幹部たちもどうして三国首脳会談の日にちを遅らせるのだろうと疑問に思っていた。何故、そこまで先延ばしにするのだろう、と。ここでも偶然に成り上がった無能な新人大統領の外交ベタが露呈しただけか、ともホワイト・ハウスでは噂が流布した。 だが、多くの高官は知らないでいた。原子爆弾の投下というトルーマンの意図を。  原子爆弾の存在を確実に把握していた政府高官は少ない、とは先ほど指摘したが、その具体的な現実使用の権限に関して最も近かったのはトルーマンとバーンズであった。また、二人にとってルーズベルトからの遺産が原子爆弾であった。だからこそ原爆投下は後々のアメリカの世界掌握の機会とともに、ルーズベルトから与えられた完遂すべき使命とも考えていた。それに強調するが八月八日がソ連の日本侵攻の確定事項では成りえない場合もある。それにソ連の侵攻予定案として七月八日や七月十五日や七月二十日の期日も候補に挙がっている。そこで三国の首脳の譲歩ギリギリの期日として、七月十五日に三国首脳会談を催す事をトルーマンは睨み、実際に行う予定になった。その裏ではトルーマンが原爆の完成、使用をするために三国首脳会談を遅らせていたとは知らずに。実にトルーマンは大仰に言えば、国際間の緊張下、極限状態の中で含みを持った交渉をしていたのだった。  だが、このような外堀を埋めて、さあ後は原爆完成を待って日本に投下するだけだ、と簡単にトルーマンを落ち着かせるような事態は起きなかった。 原爆投下に関する問題はソ連だけではない。国内にもあった。原爆使用の是非である。原爆の使用は閣僚、軍部ともどもやはり俎上にのぼり【付注:特に陸軍元帥のアイゼンハワーは、もはや大戦の決着は見えているので、日本への原爆降下は無用の大量殺戮でしかないと使用禁止を主張して、トルーマンと対立した。一方でアイゼンハワーは出自がユダヤ系という説もあり、ドイツ軍の捕虜などに対してはホロコーストの意趣返しとばかりに、劣悪な処置を捕虜に施し多数の死亡者を出させた、とも言われている】、原爆投下反対派の抑え込みも、トルーマンはしなければならなかった。トルーマンは、これ以上の犠牲者を増やさないため、原子爆弾の使用をもって戦争を終結させる、というお題目を強引に推し進める。実際、原爆投下の二日前に原爆使用の決定を告げる、という強攻策を後に敢行する【付注:ちなみに日本でも原爆研究は進められているという情報をアメリカ政府はキャッチしていたが、当時の日本の技術力では原子爆弾は完成しないと見越していたので、「原爆による日本の報復はない」という思惑も含めて、それがトルーマンの原爆投下の後押しをした一つの要因になっている、とも言われている】。  トルーマンの言う、もはや戦争疲弊状態の日本に、戦争を早く終結させるために超強力な核兵器を投入する、という論法、もしくは大意はかなりの欺瞞性を感じるが、仮に沖縄戦を経て九州上陸まで戦争を長引かせていたら、日米両国ともに原爆被害よりも大多数の戦死者が出ているという方便もあった。確かに一理はある。だが、そのような展開は可能性としては低い。何故なら既に幾度も指摘しているが、アメリカが九州上陸をしている間にソ連が日本に参戦してくるからだ。日本からすれば九州でのアメリカとの戦争より、ソ連の侵攻の方が脅威として捉えすぐに敗戦条約にこぎつくはず。つまり、戦局的な観点からすれば原子爆弾の使用に必要性はなかった。しかも、歴史的事実として二発も投下するというような行為は。  何故、そこまでトルーマンは原子爆弾に拘泥したか。  ルーズベルトの頃より続いたマンハッタン計画は、一九四五年の時点で当時のドルで十九億ドルから二十二億ドル(現ドル換算で約二百三十億ドルから約二百七十億ドル相当の費用に見積もられると考えられている)とも言われる予算を注ぎ込んでいた【付注:実際に莫大な資金を必要としたため、アメリカ議会の予算の承認を得ず、極秘計画の名のもとに原爆開発の暫定委員会で、その資本はマンハッタン計画に流れていった】。そのように戦費をかけた国家の一大プロジェクトを無下にしてしまっては、後に情報公開をした時に、国民に対してどのような釈明が必要となるか。成果を残さなければ自分の政治生命も危うい。実際に次期大統領選の狙いもあって、原爆投下が大戦終了をさせた功績の一つとして、自らの評価を上げようとした算段もあった。  だが、それ以上に何よりも戦後の国際社会におけるアメリカの位置こそが重要。十五世紀半ば以降の大航海時代にスペインやオランダやポーランド、産業革命後のイギリス、それら諸国が世界のヘゲモニーを握ったように、二十世紀こそがアメリカの時代になる事を示さなければならない。アメリカに世界の覇権を委ねるために。自分自身が世界に先鞭を振るう優越者であるために。真のアメリカ合衆国の大統領であるために。例え後世、原子爆弾の使用をもってそれが第二次世界大戦を終わらせた功労者、平和の使者でもなく、逆に戦時国際法をほぼほぼ無視した大量虐殺者(ジェノサイダー)という汚名の誹りを受けたとしても。次期大統領の椅子すらトルーマンは原爆実験の成果や投下のタイミングと同じように賭けをしていたのだ。勝ちのサイコロを願って【付注:実際、次回の大統領選では再選する】。  さらにはトルーマン自身の私怨でありルサンチマン。  表向き、宣戦布告なき真珠湾奇襲攻撃から始まった太平洋戦争。それに対する日本への報復はトルーマンにとっては警告なき原爆投下しかなかった。国際社会においてパクス・アメリカーナになりつつあったアメリカ合衆国。その権威たる大国に唾棄するような行為を施した日本。その卑俗たるべく国家の日本に対して、トルーマンは当時、大統領ではないとはいえ、人一倍の憎悪を日本に抱いていた。その結実としての原爆投下への執念。  私は、私自身であるために、原子爆弾を落とす。  最後の炎。  ユダヤ教の天使から学べばウリエル。神の炎だ。  原爆は神聖なる火なのだ。  トルーマンは内心、倒錯的かつ狂信的な情動に従う。自らの覇王なるべく野望に向かって。  かくしてトルーマンに伝わったソ連参戦の期日の最終報告は一九四五年の八月八日。  いける。  それなら間に合う、という一念がやにわにトルーマンの頭によぎる。下唇を噛み、手に汗を握る。己の胸の高鳴りに静かな感動を覚える。 無論、その予定日も、百パーセントの情報信憑性はない。だが、すでにトルーマンの目標はなった。全てのマテリアルとプロセスは揃っていた。トルーマンのある種博打的な見積もりは、タイムリミット寸前で達成したのである。まさしくそれは強運。いや、恐運(きょううん)。それとも運命の必然だったのか。 いずれにしろ、この男は自らの賭けに勝った。  三国首脳会議の翌日の、一九四五年、七月、十六日。午前五時二十九分四十五秒。 アメリカは世界初の核実験を遂行する。場所はニューメキシコ州のソコロ。実験名は「トリニティ」。使用された原子爆弾は、爆縮炉型のプルトニウム原子爆弾。プルトニウム原子爆弾はウラン原子爆弾と違って構造が複雑なので、直接使用の前に実験が必要であった。  結果。  TNT(いわゆる火薬。ニトロ化合物)に換算すると、約二十ktのエネルギーが放出。爆発の衝撃波は百六十キロにも及び、深さ三メートル、直径三百三十メートルのクレーターが出現。さらに爆炎から発したキノコ雲は高度十二キロにも達した。 実験は成功。  人類史上、究極の大量殺戮破壊兵器がここに誕生した。  しかし、嬉々する科学者や政府首脳陣とは別に困惑したのは、当時、エドワード・ステティニアス国務長官の代理を兼ねていたジョセフ・グルー国務次官であった。ドイツ降伏を契機に日本との終戦の流れを期待していたグルーの考えは、この核実験の成功により講和が複雑化すると察知する。  グルーもドイツ降伏だけを材料にして、ただ両手を上げて終戦を考えていたわけではない。水面下、グルーは戦時情報局(ユナイテッド・ステイツ・オフィス・オブ・ウォー・インフォメーション。略称はOWI。アメリカのインテリジェンス機関の一つ)を駆使して、後のポツダム宣言(日本に対する最終降伏要求の宣言。一九四五年の七月二十六日に発表)に至るまでの指標を画策していた。つまり、日米間の戦争終結のお膳立てにグルーは奮闘していた訳だが、やはり畢竟する所、「無条件降伏」の意味の取り方に両国の齟齬が生じ、日本は敗戦する用意は出来ているのにすぐには受諾する構えを取らず、降伏を拒否。日本政府は帰する所、天皇制の続行、国体の維持を保証する言質(げんち)を欲していたため、その部分があまりに曖昧なポツダム宣言をそう簡単には受け入れられない理由があった。天皇制在置の条項の確実な盛り込み。それはグルーも承知していたが、天皇制こそが今回の日本参戦の火種になったという事項はギリギリまでホワイト・ハウスで審理され、結局、あくまで体裁は無条件での降伏勧告でしか終戦を飲み込まないというのが、日本側へのアメリカの態度だった。天皇制在置をポツダム宣言に組み入れられなかった事が、日米の和平交渉に係ったグルーの瑕疵でもあった。  詰まる所、大戦末期の日米戦の決着のキーワード、無条件降伏。それに対する様々な見解の拘泥が、間延びした戦争の続行の要因に収斂していくのであるが、無条件降伏とはあくまで軍事的降伏を意味するのであって、日本における政治に関与する統治形態にまで及びはしない、と明言してあれば、ポツダム宣言は原爆が落とされる前に受諾していたかも知れない。皇室維持の条件要項を曖昧模糊にした事が、ポツダム宣言において原爆使用の提示や警告を削除したまま作られ、また、一方でその原爆の完成と実験の成功こそが、日本に敗戦を遅らせる意味と意義をもたらしてしまった。  ジョセフ・グルーはそう判断し、最悪のシナリオを思い描く。 終戦の本懐が原爆投下にあるならば、もはやアメリカ政府を、否、トルーマン大統領を止める事はできない。例え原爆使用の反対派の趨勢が強くなっても、あの眼を持ってしまったハリー・S・トルーマンを……。 グルーは「日本の降伏が一九四五年五月、またはソ連の参戦や原子爆弾使用前の六月か七月に行われたら、世界を救うことができたのだが」と後述するのだが、もはや親日家の建前だけではジョセフ・グルー自身、政府高官に対して諫言する事は出来ない情態になっていた。いや、誰も聞く耳は持っていなかった。  ジョセフ・グルーは失望感とともに、今次の日米戦の最低限度の宥和的終結の諦念をもってして、うなだれた。  兎に角、様々な紆余曲折を経て、また国際情勢やアメリカ国内の政局の内実はどうあれ、人類史上最大最強にして最悪最凶の戦争核兵器である原子爆弾は地球上に降臨した。  今、この瞬間に。 〈我は死なり、世界の破壊者なり!〉  実験を目の当たりにしたロバート・オッペンハイマーは、バガヴァッド・ギーターによるヒンドゥー教の詩篇のその一節を、日頃の冷静沈着な素振りを拭うかのように、心中で叫喚した。トルーマンと同様、オッペンハイマーの濁った野心もここに結実したのである【付注:一方、このオッペンハイマー。戦後、共産主義者の疑いをかけられ、行政官としての資格を剥奪。また、核兵器は推進するものの、水素爆弾の開発には反対の立場をとるなど、不可解な行動が多く、その歴史的背景から見る人物評価は賛否を分けている】。  また、グローブスの副官であり、トリニティ計画の総指揮にあたっていたトーマス・ファーレル少将も、深い溜息とともにこう語っている。  恐ろしい程までに凄まじい爆発と閃光。この光景は印象的には美しささえ覚える。金色からクリムゾンへと光は変色し、さらに紫からグレーに輝きは移り、そして、最後には深い水色に落ち着いた。爆発によって灯った明かりは周囲の山々を照らし、岩の割れ目をも浮き彫りにした。遥かなる山脈も美しく映えさせ、その様は筆舌し難い。  前代未聞の強烈にして凶悪な大量破壊兵器の威力に対して、まるで詩句のようにその成果をファーレルは賛美する。  さらに英国の首相であるウィンストン・チャーチルはこの実験の成功をして、原爆こそキリストの再臨だ! と叫んだとも伝えられる。実験名のトリニティとはキリスト教で「父なる神、子なる神、聖霊」の三位一体論の教えを意味している。チャーチルは原子爆弾の誕生に神の啓示を見たのか。  爆発の瞬間には、それを目前にした軍人や科学者たちは勿論のこと、その獄悪な破壊兵器を知る現場にいない者の脳裏にすら、原子爆弾は兵器として見えてなかった。その瞬間こそが、人類が観察し得える事が出来ない宇宙の始まりであるビッグ・バンであるのと同じ、否、人間そのものが自身の生まれた時を経験として内在できないのと同じで、原子爆弾の爆発(エクスプロージョン)はある種の誕生であった。全ての破壊や消滅の。言うなれば終わりの始まりか。  かくしてその場に佇んでいた人々は、この景観は芸術作品であり、自分たちは額縁に飾られた現代絵画を鑑賞して感動している。そんな情緒を倒錯的とも鑑みず、自然と高揚感に浸っている。彼らにはその先にある死屍累々の映像は見えていなかった。その刹那は。  皆はファインアートに触れた時の心の豊醇と、これから起こる大量殺人の凶事、いや、狂気の交錯。ただ、今だけは彼らは自分たちが結実させたその創作品に酔いしれていた。  その後、ウラン原子爆弾を「リトルボーイ」、プルトニウム爆弾を「ファットマン」と命名し、それぞれ二個の爆弾の日本への投下が決定する。余話ではあるが、リトルボーイを日本に落とした爆撃機はエノラ・ゲイと呼ばれ、搭乗者の母親の名前からとられたという。【付注:一九四五年七月二六日に「極秘物資」の名目で積まれた原爆の資材を乗せたアメリカの巡洋艦のインディアナポリス号がテニアン島にその極秘物資を陸揚げ。その積み荷の正体を知らぬまま降ろし、インディアナポリスポリス号はグァムに向かいレイテのルートを通じて帰途へ着こうとした。がが、レイテ方面は日本海軍の潜水艦が多数配備している海域でもあった。そして、案の定、日本の潜水艦はインディアナポリス号を関知して魚雷発射。極秘作戦故に救助の連絡もインディアナポリス号は取れず、乗組員千二百名のうち、三百人が魚雷攻撃で死亡し、残りの九百人は海に投げ出された。この事件の日は七月三十日。だが、レイテ側がインディアナポリス号の到着日時を把握していなかったため、発見までに八月二日までかかり、その間に海に投げ出され生き残った乗組員は、水や食料の欠乏による栄養失調死や餓死、また、複数匹のホオジロザメに囲まれ食い殺されるなどの不幸に見舞われ、結局、生存者は三百十六名といわれる。はたして原爆輸送、つまり、大量殺戮破壊兵器を運んだ事への代償なのか】。  二個の原子爆弾のうち、最初の投下一撃目の予定のリトル・ボーイ。【付注:後に二個目の原子爆弾であるファットマンも日本に落とされるのだが、それら二発の原爆投下はかなり実験的な意味合いが含まれている。まずは単純にウラン爆弾であるリトルボーイとプルトニウム爆弾であるファットマンの破壊力の違いを調べること。さらには降下場所による被害や死者数などの違い。平地で高層の建物などが密集していて、そのような都市部に爆弾を投下してみたらどのような被災状況になるか。一方、もう一つの爆弾は工業地帯にして木造の住宅密集地の港湾都市に落としてみて、やはり被害状況を確認。言わば二つの原子爆弾の投下は、歴史上初の試みであるが故に、政府や科学者は原爆の壊滅能力データを取りたがっていた。つまりは人類史上発の原爆投下は建造物や土木の破壊具合と、無慈悲かつ凄惨な人体実験を兼ねた所業でもあった、という見方もできる】。  それは母の腹から生まれた(放たれた)鋼鉄の生命(爆弾)によって、十六万人弱の人間が投下後から三,四ヶ月以内に死んだ、という結果を後に導く事となる。  また、原爆投下後、アメリカ陸軍元帥および連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは言った。  戦争は終わった。戦争とは同じ人間同士が知力や戦略を駆使して行うものだが、原爆の登場よってそれらは全て無為となった。圧倒的な火力の前では戦争の理論も理屈も通用しない。そこには戦場における勇気や決断などは存在しない。生むのはただの焦土のみ。残るのはただの焼け跡だけ。もはや戦争は科学者に委ねられ、軍人は手をこまねき、茫洋と屹立するのみ……と【付注:だが、後の朝鮮戦争(一九五〇年~一九五三年)では、原爆使用の示唆をマッカーサー本人が進んで提言した、という事実がある】。    トリニティの実験成功の報せをホワイト・ハウスで受けた後、隣接するラファイエット公園に移り、ベンチで腰掛けるジョセフ・グルー。  もはやグルーにとって、原爆使用を拒否する力はなかった。核実験の成功によってトルーマンの自信は不動のものとなり、その疾風迅雷の勢いを止める者は存在しなかった。  トルーマンは激しく請う。 「アメリカこそが正義でありルール! アメリカによって世界は正しき道に進むのだ。我らが荒れ狂う大海原(グローヴ)に聖なる灯(セント・エルモス・ファイアー)をもたらす羅針盤となるのだ。有史以来、プロメテウスが天界より奪った罪の産物である火を、アメリカが浄化し気高く押し上げた、原子爆弾という炎をもって、いや、『太陽』の力をもって……そして、我々はそれを神の鉄槌として、世に良俗を呈示する。今次の螺旋的な混沌(ヘルタースケルター)に、遂に英断を下す。アメリカこそが世界に正しき光明を与える太陽であり、世界に正しき秩序(アポロン)を明文化させる国である事を証明するために!」  意気軒昂にして力強いその鼓舞は、かつてナチスで見られた件の独裁者の姿を重ねているようでもあった。 「秩序(アポロン)……つまりは太陽(アポロン)の力、か」  真昼。燦燦と日射しが照りつける公園で、力なく肩を落として呟くグルー。眼前のホワイト・ハウスがやけに黒い影を落としているようにも見える。風になびく星条旗が陰りを帯びて眺められる。  結局、戦争には大義などないのかも知れない。善も悪も何の主張もまかり通らない。民主主義とは何だろうとすら疑問を覚えてしまう。ファシズム陣営が行なっているジェノサイドを、同じように我々も行なっているのだから。各国の政策の主義の違いからの軋轢、宗教観の違い、人種間の問題……それら全てが戦争につながり、その解答は正義にも真理にも至らない。私は、いや、我が国はこの大きな損失に対して、果たして胸を張って正当性を主張できるだろうか? 過ちとして一蹴されはしないか? ……兎に角、二十世紀は、『戦争の世紀』であり、『科学の世紀』であり、そして、世紀後半には『核の世紀』という言葉も付け加えられ、二十一世紀へと伝わっていくだろう。  ジョセフ・グルーはただ静かに、胸襟で人類の明日を憂いだ。    後日、グルーは原子爆弾投下の最終候補地を聞く。  小倉、新潟、長崎。  そして、広島、と。
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