1 和奏

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 ペンション『セレナーデ』は、吉田和夫と今は亡き妻の小夜子が始めたもので二十年以上経っていた。丸太小屋でできた温かみのある建物は、年月とともに重厚でどっしりとしたアンティーク感をも醸し出している。周囲のモミの木やオーク類が異国情緒感じさせ、ちょっとしたおとぎの国の家のようだ。 優樹の父、大友直樹は林業組合員で仕事を持っていたが、運営が始まった当初から休日などに手伝っており、母の緋紗もまたこのペンションの売りでもある陶芸教室を行っていて皆、家族のような付き合いだ。 直樹も緋紗も和奏のことは勿論生まれたときから知ってる。そして優樹も、生まれたときから和夫と和奏の家族同然だった。特に和奏は実の弟のように誰よりも四つ年下の優樹のことを熱心に面倒見ていた。お互いに一人っ子であるためか家族として姉弟としてとても濃いつながりを二人は感じている。 「和奏。今日のデザート試食してみてくれ」  和夫は粉引きの小さな小皿にとろりとしたオレンジ色のムースを持ってきた。 「さっぱりしてて美味しいね」 「駿河エレガントって名前の甘夏だよ。ほんとは今の時期には食べられないんだぞ」 「へー。そうなんだ。すごく美味しいよ」  力強い眉と目を和らげて和奏はにっこり微笑んだ。そんな表情をみて和夫は目を潤ませる。 「美味しそうに食べるな」 「やだ。最近すぐうるうるしちゃって。歳じゃないの?」  艶やかな笑顔でからかう和奏に和夫は頭を掻いて 「そうかもな」  照れ臭そうにつぶやいた。 (もう二十歳なんだなあ) 和夫は娘の成長に心から感動していた。妻の小夜子は和奏が三歳の時に亡くなった。小夜子を忘れることができず、再婚の話を何度か断りながら一人で和奏を育てた。この土地には親戚もおらず頼ることはできなかったが、幸い直樹と緋紗のサポートがあり何とかやってこれた。 その二人の息子の優樹も和奏にとって大事な家族の一員であり、彼女の情緒が育つのにいい影響を及ぼしたと思っている。 (小夜子。和奏は思った以上にいい娘になったよ) 小夜子がいない日々は色褪せてセピア色になりそうだったが、忘れ形見の和奏がまた和夫に色彩を呼び戻した。 そして再び人生を創造する喜びを与えてくれたのだと感謝している。いつか再び小夜子のもとに行ったなら、このペンションで過ごした日々と娘の素晴らしさを話してやろうと心に決めているのだ。  和奏は感傷に浸っている和夫の姿を見ながら(あーあ。また黄昏て……)と同情するような気持で眺めた。 子供のころから父が自分に愛情を存分に注いでくれているのは理解していたが、こうやって母をしのぶ姿には切なくなる。 和奏自身も母のいない辛さを感じないわけではないが、どんどん薄れていく記憶にその辛さも緩和されていった。しかし和夫の辛さや寂しさは計り知れない。 また、老いてきた父は昔の思い出をよく話すようになってきている。まだまだ身体も頭のしっかりしている和夫だがもう六五歳になる。いつまでもここペンション『セレナーデ』を経営してほしいと願いながらも、いつか自分がここを経営していくのだと強い意志を持っていた。
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