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優樹が厨房で和夫と和奏とディナーの準備をしていると、ピアノの音が聴こえてきた。
「直樹かな?」
和夫が耳を澄ませている。
「カルメンか。昔のあいつはショパンしか弾かなかったのになあ」
昔を思い出したのか懐かしそうに和夫は目を細める。
「ねえ。和夫おじさん。お父さんって昔どんなだったの?」
「え。どんなって……。いやーあんまり変わらないけどな」
和奏が少し聞き耳を立てている。
「変わらないってどんな感じ?」
「うーん。あっさりしてて何考えてるのかわかんないやつでさ。小夜子が良くムキになってたな。でも緋紗ちゃんに出会ってからなんか人間らしくなったというか男らしくなったというか」
優樹はぼんやりと先日覗き見てしまった直樹の表情を思い出した。罪悪感か羞恥心かよくわからない気持ちが湧いてきて、優樹は顔が火照て来てしまう。
「優樹。どうした熱でもあるの?」
和奏がひんやりとした手を優樹の額に当てた。
「え、いや。なんでもないよ」
慌てて首を振っていると
「こんにちは。俺の悪口言ってなかったですか?」
と、直樹が笑いながら厨房を覗き込んでいた。
えへんと咳払いをして和夫が
「いや。おっす。優樹はよく気が利くな」
と、誤魔化しながら言う。
「そう? じゃ俺はその辺ぶらついてます。緋紗は先に帰るから俺が優樹と帰りますよ」
「うん。わかった。もう三十分くらいで今日は終りだよ」
和夫がそう言うと優樹が
「ねえ。明日も部活ないし、ここ泊まっちゃだめかな」
と言いだした。
「え。帰らないのか? うちはいいけどな。一応、従業員用の部屋あるしさ。直樹いいのか?」
「優樹がそうしたいならいいけど」
「着替えも持ってるんだ」
「用意周到だな。じゃあ和夫さん、お願いします」
「ああ。いいよ」
「明日夕方、迎えに来ます。和奏もまたね」
「じゃあね」
直樹は素っ気ない和奏に微笑みかけて、和夫に軽く頭を下げ帰って行った。
「おじさん、突然でごめんね」
「何かあったのか? 喧嘩したとか」
「いや。何もないけどさ。なんとなく」
(なんとなくお父さんに緊張してしまう)あの晩から、優樹は直樹のことを直視しづらくなっている。少し距離をとれば大丈夫だろうとこの機会を使ったのだった。
「まあゆっくりしていけよ」
にっこりする和夫の表情を見て優樹は緊張を解いて仕事に励んだ。
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