冷たい花火

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「暑いよなあ」 言わずもがなの事を言う彼。 河原の斜面に陣取った人並みから少し距離を取り、横目に居並ぶ夜店も覗ける斜面と道路の縁に並んで腰かけ、あたし達は夜風に剥き出しの足を投げ出した。 見立ててもらった高右近とかいう形のあたしの下駄を見つめる彼の視線に身体が火照る。 かかとの方が高く作られた形で。足裏がのる上面は黒、側面は赤に塗り分けられた下駄部分は何処かヒールに似た印象で、柔らかな博多織で作られた鼻緒もアイボリーと黒に染め分けられて優しさの中に引きしまった印象も与えてくれる。 当初店員さんが勧めてくれたのはかかとの低いものだった。 けれどもあたしはかかとの高い『高右近』と店員さんが呼んだ方を選んだ。 彼の手前少し背伸びしたかったのだ。 「あたしには浴衣も下駄もどれがいいかなんてわからないからさ。店員さんに選んでもらったの」 照れて言い訳するように言ったあたしに、川向うで打ち上げの準備をする職人さんたちの手元を照らすライトの灯りが漏れて隣の彼の横顔を見せてくれる。 「でもすごく似合ってる。店員の見立てとは思えないな」 彼の言葉にあたしは耳の後ろが熱くなる。 「俺も着つけなんかわかんないから母ちゃんの言いなりさ」 屈託なく笑う彼の姿は見慣れたクラスメートではなく大人の男性だ。 キリリと締めこまれた角帯に、差し込まれた信玄袋。 汗を拭こうとタオル地のハンカチを詰め込んで膨らんだあたしの巾着かごと違い。 何を入れているのか、見た感じ。重さは感じさせるが大きさは感じない。 「その袋。邪魔じゃない?」 余計なお世話と思いつつ聞いてしまう。 「何を言う。これは何を置いても欠かせぬ物」 左手に持った団扇で顔をあおぎながら右手を時折袋にあてている。 「暑いよなあ」 また繰り返す彼の言葉にあたしは苦笑を返す。 「夏が暑いのはしょうがないよ」 「まったくそうだよな」 激しく同意を示しながらその表情は少しも嫌そうでは無い。 「実に暑くて。実にもっともで。実にけしからん」 言う言葉とまるで裏腹に、うれしそうな彼の表情にあたしも頬を緩める。 (彼のポジティブさに押し負けて付き合うようになったんだっけ) あたしは思い出して一人含み笑いをする。 ほんのわずかな夜風が花火開始のアナウンスをあたし達の元へ運んで来た。 よく聞き取れないアナウンスに続いて川向うから小さな光が上へと昇って行った。 夜空を一気に赤く染め上げた光球に続いてお腹に響く『ドンッ』という音。 思わず身体を竦めたあたしの背中の帯に何かが触れた気配。 「大丈夫か?」 覗き込む彼に微笑みを返す。 「最初だからちょっとびっくりしただけ」 弾けた花火が先端のパチパチ言う音を響かせる中、夜風が花火の煙を運び去っていった。 身体に感じる夜風は微かな物で、蒸し暑さを少しもやわらげてはくれないが。 たなびく煙が風を感じさせて心を冷ましてくれる。 次から次へと打ち上がる花火に呼応して湧き上がる歓声にあたしはいつの間にか汗ばんでいた。 「汗」 気付いた彼が声を掛けてくれる。 「大丈夫。こんな事も有ろうかと思ってね」 巾着かごからハンカチを取り出そうとするあたしは彼に制止された。 (?) 小首を傾げるあたしはいきなり彼に抱き寄せられた。 (!!) 抱き寄せた彼の右手がヒンヤリしている。 驚いて見上げた彼の顔は満面の笑み。 身を寄せた彼の信玄袋もヒンヤリ。 呆気にとられるあたしに彼はありったけのドヤ顔で言った。 「保冷剤」 かくしてあたしは、人生初の暑くて冷たい花火を彼に経験させられてしまった。 「暑いよなあ」 「うんまったく熱いわねえ」 言いながら身を寄せたのが冷たい信玄袋なのか熱い彼の身体なのかは。 (内緒)
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