クリスティアーネ

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そんな6月のある日の早朝、突然、宮廷から使いが来た。 今夜、隣国からの国賓を迎えての舞踏会があるのだけれど、指揮者以外の楽師がほぼ全員集団食中毒で倒れたとのこと。 昨夜、みんなで前夜祭とばかりに飲み食いした中に何か原因となるものがあったらしい。 そこで、臨時の楽師として、国内のめぼしい音楽家の所へ使いを送っているのだそうだ。 その1人として、ベッカー公爵様から推挙された私の所へも、今夜、バイオリンを弾くようにとの下命があった。 私は、昨年からベッカー公爵様の15歳になる御令息ヘルムート様にバイオリンを教えている。 そのヘルムート様が常日頃、お父様に私の事を褒めてくださっているのだそうだ。 「大変! 急がなくては。 ダニエラ、お願い。手伝ってちょうだい。」 私は、慌てて私のワードローブの中から黒のシンプルなドレスを取り出して身に纏い、唯一の使用人であるダニエラに、これまた唯一の自慢であるプラチナブロンドの髪を結い上げてもらう。華やかな舞踏会であっても、あくまで主役は国王陛下や来賓の皆さま。私たち楽士は引き立て役の黒子でしかない。華美なドレスはもってのほか。 私は、御使者様と共に差し向けられた馬車に乗り、王宮へと向かった。  1時間ほど馬車に揺られ、下ろされた跳ね橋を渡り、城門をくぐると、馬車は王宮へと入る。石造りの城壁の中に入るのは、初めてだ。  王宮は、国王陛下のお住まいでもあると同時に、行政府、立法府、司法府の全てが集約された国家権力の中枢でもある。窓から左右を眺める私に、御使者様が親切にもひとつひとつの建物を説明してくださる。 「こちらのふくろうの彫像がある建物が、  最高裁判所でございます。  ふくろうのように、どんな闇をも見透かし、  その叡智を持って、公平公正に判決を  下すことを理想としております。  こちらの兎の彫像がある建物が、  元老院でございます。  民のどんなに小さな声にも耳を傾けて  法を整えて参ります」 私は、初めて見る立派な建物の数々に目を奪われる。   「あら?  あちらの奥の美しい花壇に  囲まれた建物は、何ですの?」 美しい花壇の奥に、これまた美しい尖塔を持つ建物が見える。 「東の離宮、アルフレート王弟殿下の  お住まいでございます」 国王陛下の弟君は、王城ではなく、こちらに住んでいらっしゃるのね。  そうして、馬車は国王陛下のいらっしゃる王城の前で止められた。 ………大きい!! 私は思わず息を飲んだ。 いくつもの尖塔を持つその建物は、繊細な装飾が随所に施されているが、その荘厳な美しさ以上に、圧倒的な威圧感を感じる。 本当に私なんかでいいの? 父から習ったバイオリンの腕には、それなりに自信を持ってはいたが、ここに入るには場違いなような気がしてしまう。  けれど、ここまで来て今さらお断りするわけにもいかない。 私は、大きく息を吸って、案内されるままに王城の中へと足を踏み出した。
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