クリスティアーネ

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「でも、リヒャルトはこんな素晴らしい バイオリニストを育ててくれていたんだな。 私が推薦状を書くから、宮廷楽師に ならないか?」 そんな風におっしゃっていただけて、嬉しくないはずがない。 けれど… 「ありがとうございます。 ですが、私にはピアノとバイオリン合わせて 20名ほどの生徒たちがおります。 急に辞めてしまうのは、皆さまのご迷惑に なりますので、少し考えさせて いただけますか?」 私が言うと、指揮者は大きく頷いて、 「勿論だとも。 男爵家の令嬢だというのに、実に責任感の 強いいいお嬢さんにおなりだ。」 とおっしゃってくださった。 私は、頭をひとつ下げると、バイオリンを片付けるべく、肩当てを外し、弦の一本一本から松脂(まつやに)(※)を丁寧に拭き取っていく。 そこへ、背の高い1人の男性が通りかかって足を止めた。 年の頃は… おそらく三十代半ば? とても精悍で厳しそうな表情をしてはいるけれど、凛々しく整った顔立ちをしている。 きっちり整えられた黒髪が余計に彼を厳しそうに見せてるのかもしれない。 「おい、そこの楽師。」 そう言われて、ほぼ全員の楽団員が顔を上げる。 ツカツカと歩み寄ってきたその男性は、私の前に立ち、顎に指を掛け、顔を上げさせた。 な、何!? 驚いた私はそのまま固まってしまった。 「これは、侍従クラウス様。 彼女が何か…?」 指揮者が私を庇うように尋ねる。 「そなた、名は?」 そう問われて、私は、 「今は亡きリヒャルト・フォン・ミュラーの 娘、クリスティアーネ・ディートリンデ・ フォン・ミュラーと申します。」 と答えた。 それを受けて、指揮者が補足してくれる。 「昨年急逝したコンツェルトマイスター、 ミュラー男爵のご令嬢でございます。」 「そうか。」 呟くようにそう言うと、その男性はそのまま立ち去ってしまった。 何だったの!? 意味の分からない行動に、私はしばし呆然としてしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〔※作者注〕 松脂:松の木の樹脂を固めた物。 バイオリンは弓に松脂を塗り、弦との摩擦を作ることで音が鳴る。 演奏後は、弦や本体に松脂が付いているので拭き取ってからしまう。
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