第4話 私のイケレ・ミサーラ

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第4話 私のイケレ・ミサーラ

 ソファに美しい姿勢で腰掛けたファムンフォア聖王国のエル=シャリーナ姫は、左手で優しくソーサーの縁を持ち、その右手でティーカップの取っ手を優雅に摘まんで、ゆったりと紅茶を飲んでいる。  とても絵になる姿だった。紅茶を同じく飲んでいるだけなのに、どうしてこんなに差が生まれるんだろうと如月は不思議に思った。これがやはり高貴な身、それも一国のプリンセスに生まれたということなのだろうか。  早乙女理事長が尋ねる。 「オルフィーナさんは、ずいぶん日本語が上手なのね。どれくらい勉強したの?」  エル=シャリーナ姫は、はにかんだ笑顔で答えた。 「3ヶ月で覚えた程度の語学力ですので、たいしたことはありません。まだまだ、わからない事ばかりです」 「まあ。でも、それだけ話せるなら、十分に学園でやっていけると思うわよ」 「いいえいいえ。やはり文化も違いますし、如月さんのような方にお力を貸していただければ、こんなに嬉しいことはありません」  そう言ってエル=シャリーナ姫は、とても優しい眼差しで如月を見た。 「お願いします。留学中、私の良き導き手となってはくれないものでしょうか? 弱音を吐く訳ではありませんけれど、やはり見知らぬ土地で、不安を覚えるのです」 「ううう」  如月は言葉に詰まってしまった。オルフィーナと名乗っているが、その正体はファムンフォア聖王国の姫エル=シャリーナ。  早乙女理事長は、その事実をご存知ないようだ。確かにヨーロッパの小さな小さな王国の、第3姫の顔なんて知っている日本人の方が珍しい。  じつは如月は、ファムンフォア聖王室マニアなのだった。現在の国王を始め、その王室一家のことは詳しく知っている。  そしてその公式行事以外では顔を出さない王室のお姫様は、先程、本名と地位をばらしたらぶっ殺すと、如月にはっきりと言ったのである。  えーと、私はどうしたらいいのかなあ? 口を滑らせたら、お姫様自ら、私をぶっ殺しなさるのかなあ?  如月は、早乙女理事長とエル=シャリーナ姫に見つめられながら、数秒考えた。そして答えが出た。君子危うきに近寄らず、だ。 「あ、あのですね、私には、とても、その」  続きが言えなくなった。  目を閉じたエル=シャリーナ姫が、くすん、くすん、と小さく泣き声を漏らしたからだ。 「ごめんなさい……私ったら、弱い人間ですね……そして自分勝手で恥ずかしい……許して、エドル・カーザ」  エドルは処罰。カーザは死。  ようするに死刑囚のことだ。  あれ? 私、もう死ぬこと確定しちゃった? 「あ、あの、そのような大役、私のような庶民の娘にはですね、とうてい務まるとは思えなくてですね、家は、ほら、六畳二間のアパートでして、壁も薄くて、その、隣の新婚夫婦は夜になると」  如月はもう自分でも、後半は何を言ってるのか良くわからなくなっている。 「でも」  エル=シャリーナ姫は、その人差し指で涙を払い、健気に笑って見せた。 「私の友達には、なってくださいますか? いいえ、ぜひお願いいたします。それも叶わないのでしょうか?」 「う、う、う」  如月の頭の中で、ファーミューン語が動き出した。  記憶をたどりながら、のろのろと言葉を紡ぐ。 「私に何を求めているのですか? 私は嫌です。なぜなら、私はとても怖いのです」 「まあ!」  エル=シャリーナ姫は、如月の両手を突然握り、同じくファーミューン語で喋り出す。 「少しは喋れんだな。早く言え。まじ殺すぞ。てめえは俺の言ってることに、はいはい頷いてりゃいいんだよ。話を面倒にしやがって。返事は、はい、だからな。それ以外は目玉引っこ抜いて、股の穴に突っ込んでやるからな。しかも前と後ろにだぞ」  にっこり。  如月は、こんなに美しい発音で、こんなにひどい罵声を聞いたのは生まれて初めてだった。おまけにそんな言葉を発したのは超絶に可愛い美少女で、その身分は高貴なお姫様なのだ。 「早乙女理事長、如月さんはこう仰いました。私は、良き導き手にも、良い友達にもなれないのではないでしょうか。なぜなら私は、とても貧しい生まれの、心もまた卑しい人間であるからです、と」  え、え、え? 「だから私は、こう伝えました。確かに私は、ファムンフォア聖王立学園理事長の孫です。自慢する訳ではありませんが、貧しい思いをしたことはありません。でも私は、そんなことで如月さんを見下したりは決してしないし、卑下する必要もないのだ、と」  言ってない!  そんなこと絶対に言ってないよお!  エル=シャリーナ姫は、純真な天使のような顔で言った。 「私は、如月さんとお友達になり、信頼を築けたなら、それはどんな金銀財宝よりも価値があるものだと思うのです。友情って、そういうものですよね?」  目を細めて頷く、早乙女理事長。  あの。  騙されておりますよ?  確かに目の前の美少女は、虫けらにさえ愛情を注げるような顔をして微笑んでいますが。 「そして如月さんは、自分が心卑しい人間だとも告白なさいました。私の家柄を、容姿を、明晰さを、妬み、羨み、憎みさえすると」  如月は、早乙女理事長が自分を一瞥するのを感じた。  あああ!?  なに!? 私、凄く性格がねじ曲がった子にされちゃってる!? 「しかし私はこう伝えたのです。人は家柄でも、容姿でも、明晰さでもなく」  エル=シャリーナ姫は、自分の両手を胸の上に重ねた。 「心の美しさだけがすべてなのだと」 「そうよね」  早乙女理事長は、聖母のような微笑みを浮かべて言った。 「本当にそう思うわ」  ああん!  私は今、この理事長室で孤独を感じています! 「如月さんはすると、わかって下さったのです。その頑なだった心を開き、私を迎え入れてくれたのです! そうですよね、私のイケレ・ミサーラ?」  イケレとは人。ミサーラとは従う。ようするに奴隷という意味だ。 「早乙女理事長、私たちは、ふたりでお話したいことがたくさんあるのです。これで退室させていただいても構わないでしょうか?」 「もちろん、いいわよ。今日はまだホテル泊まりよね? 明日にまた、会いましょう」  早乙女理事長は立ち上がり、エル=シャリーナ姫としっかりと握手をした。 「それでは失礼いたします」  優雅な挨拶。  如月もぎこちなく頭を下げると、エル=シャリーナ姫の後ろについて理事長室を出た。  黒い扉が閉まると、如月の左耳は思いっきり引っ張られた。 「痛い、痛い、ちぎれますう!」 「耳の外側のひとつやふたつが何だってんだ」  エル=シャリーナ姫はファーミューン語で言った。 「本当なら、耳の中に焼けた鉄を流し込むところだぞ」  それは拷問だよお!  しかも死ぬっぽいやつー!
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