第8話 お母様に誓って

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第8話 お母様に誓って

 姉は畳にぺたりと座り、両手で顔にエプロンを押し当てて、しくしくしくしくと泣いている。 「だからね」  同じように正座して座っている如月は言う。 「お姉ちゃんのこと、嫌いになった訳じゃないんだよ」  姉は、大きく横に首を振った。ポニーテールがぶるんぶるんと揺れる。 「いいの、いいのよ。こんなだめなお姉ちゃん、もう嫌になったんでしょ?」 「お姉ちゃんはだめじゃないよ! 自慢のお姉ちゃんだよ!」 「でも、だったら何で寮なんかに?」 「それはファーミューン語を勉強したいからであって」 「お姉ちゃんより、ファムンフォアなんかが大事なの? お姉ちゃんのこと、そんなに嫌い?」 「だから嫌いじゃないってばあ」  先ほどから話はループしていて、もう何周しているかわからないのだった。  さすがに困り、どうしたら打開できるのだろうと考えていると、そこへまた呼び鈴が鳴った。 「ま、また下のおじいちゃんかな? 何だろ!」  如月は、できるだけ明るい声を出して立ち上がり、そそくさとドアに向かった。 「どちら様でしょうか?」  可愛らしい声がすぐに答えた。 「こんばんは、オルフィーナです」 「えええ?」  チェーンロックをかけたまま、わずかにドアを開ける。隙間から見えたのは、廊下の電灯の下でさえ輝いて見える金髪の美少女だった。 「お姉様にご挨拶したいわ」  如月は隙間に顔を近づけて、小声で言う。 「帰って、早く」 「あら。どうして?」  そのお姉ちゃんが、一刀両断にしちゃうからだよ! 「理由は、明日、学校で」  背後で立ち上がる気配がした。  振り返ると、笑顔の姉がいる。 「入ってもらいなさい。私、お話しがしたいわ」  丸いちゃぶ台を挟まずに、姉とオルフィーナは、まずその横側に座った。如月だけが、ちゃぶ台に座る格好だ。  姉の横には、いつの間にか紫の袋から出された日本刀が置かれている。姉の手が動いた瞬間、それはもう鞘から放たれているのだろう。  オルフィーナの手には小さなバッグ、そして横には白い紙袋が置かれている。彼女はまず、無造作に小さなバッグの中に手を入れた。文庫ほどの大きさの、銀色の塊を取り出す。畳の上に、それをそっと置いた。美しく薔薇の紋様が彫られた拳銃だった。 「オ、オル――」  口をぱくぱくさせる如月の方を、ちらりとも見ない。邪気のない笑顔を浮かべ、まっすぐに姉を見つめたまま、オルフィーナは言った。 「突然、ばっさり切られるのも不愉快ですから。構いませんよね?」 「もちろんだわ。そんなオモチャが、役に立つとは思いませんけれど」  オルフィーナは、ふふ、と笑った。 「では改めまして。オルフィーナ・イエルコットです」 「美衣紗の姉、恵理紗です。それにしても、オルフィーナなんてひどい名前ね。まるで安いセクシー女優の芸名みたい。付けた人のセンスを疑うわ」  ああん! お姉ちゃん、やめてえ!  オルフィーナは、横に置かれていた紙袋を手に取った。 「名付け親が聞いたら血の雨が降りますわね。私は人間ができておりますから、まったく気にしませんけれど」 「それは残念」  そしてオルフィーナは紙袋の中から、薄水色の紙で包まれた箱を取り出した。それはノートほどの大きさで、平たかった。 「お土産です。お受け取りください。お口に合うと良いのですが」  それを、畳の上を滑らせるようにして渡す。 「ファムンフォア名産のチョコレートかしら。ほんと、チョコ以外まともな輸出品がない国よね。表の顔は」  姉はちゃぶ台の横で、それを両手で受け取る。  それからふたりは、ちゃぶ台ににじり寄って対面に正座した。  姉はポットから急須にお湯を入れて、ゆっくりとお茶を淹れた。オルフィーナの前に、ことり、と大きな湯飲みを置く。寿司屋で貰った、魚偏の漢字が並んでプリントされた物だ。 「どうぞ、日本茶です」 「ありがとうございます」  姉はにっこりと笑って、オルフィーナに言う。 「まあ、ファムンフォア人に、この繊細な味が理解できるとは思いませんけど」  一触即発の空気に、震えてしまう如月。  姉の対面に座っているオルフィーナも、変わらない笑顔で返した。 「美味しいかどうかの味覚は、全人類共通だと思いますわよ」 「あら、素敵な冗談」  ふふふふっと笑って、姉は言う。 「まるでファムンフォア人が、同じ人間みたいな言い方だわ」 「どこの国にも差別主義者がおりますのね。怖い怖い」 「ほんと、世の中は怖いわよねえ」  そしてふたりはちゃぶ台を挟んで、うふふふふふと笑い合うのだった。 「はは、ははは」  同じく正座している如月も、とりあえず笑ってみた。  だめだあ!  私、この空気に耐えられないよお!  如月は少しでも場が和らげばと、勇気を絞り出して口を開く。震えた声になった。 「オ、オルフィーナちゃん、お、お姉ちゃんに、き、きちんとお願いすれば、わ、わかって貰えると、思うなっ」  そして急いで付け加える。 「お姉ちゃん、本当に優しいんだから! ねっ?」  固まった笑顔を、姉に向けた。 「みいちゃん」 「へ、へいっ!?」  変な声が出た。 「台所から、リンゴを持ってきてちょうだい。良く切れる果物ナイフも」 「いいい」  この場を離れた途端、惨劇が起こるのではないだろうか。 「はやく」  有無を言わせぬ声だった。 「はいっ!」  立ちあがる如月。背後で何も起こらないことを祈りながら台所に向かい、果物カゴにリンゴとナイフを載せる。そこで振り返るが、足が動かなくなった。このナイフがオルフィーナの胸に突き刺さっている光景が、頭に浮かんでしまったのだ。しかしそれと同時に、銃弾の穴が開いた姉の額も。 「みいちゃん、はやく。お客様を待たせるのは悪いわ」  う、う、う。  如月は震える両手でカゴを持ち、同じく震える足で畳を小さい歩幅で歩いた。  同じ位置に座り、ちゃぶ台にカゴを置く。  姉はリンゴをつかむと、その皮をむき始めた。  しゃりっ、しゃりっ、しゃりっ。 「私はみいちゃんを、ファムンフォア人の奴隷となるよう育てた覚えはないのよね」 「私にも奴隷なら、もっともっと優秀な子を選ぶ自由がございますわ」  姉の手が止まった。 「最近、物騒よね」 「そうですね」  オルフィーナは言う。 「特に最近は、本当に。ご存じ? 女子高生がふたり亡くなってるそうよ。それも残酷な手口で」  如月は、そんなニュースを見た覚えがない。 「どうせ、そんな外道な行いはファムンフォア人の仕業でしょう」 「だとしたら極刑ですよね。それも、できるだけ苦しんで死んで欲しいものだわ。聖王国の恥ですもの。私自ら、手を下してもいいくらい」 「まあ。可愛らしいお嬢様に、そんなことができるわけない」  オルフィーナの表情が、真剣なものに変わった。 「私はアイザック・アシモフというSF作家が好き。ご存じ?」  姉はすぐに答える。 「SF作家ならロジャー・ゼラズニイが好きなの」  この人たちは突然、何の話をしているんだよ! 「ナイフを貸してくださる?」  オルフィーナがそう言うと、姉は手の上でくるりとナイフを回した。柄をオルフィーナに渡す。  それを握ったオルフィーナは、刃を自分の親指に当てた。 「!」  赤い血が数滴、湯飲みの中に落ちる。  あ。  だめ。  その血の赤さから、如月は目をそらせない。匂いが、頭をくらくらとさせる。舐めてみたい。如月は血を見て、初めてそう思った。あれは甘いはずだ。私を幸せな気持ちにさせてくれるはずだ。ああ、だめだ。喉が渇く。私は、あれを、飲まなければ、ならない。 「美衣紗」  ぴしゃり、と姉が言った。  それで現実に戻された如月は、全身が冷たくなるほど恐怖した。  今の感覚は何?  どうして私は、血を見るとおかしくなるの?  今までと違う体験が恐ろしく、がたがたと身体が震え出す。  怖い。  怖いよ、お姉ちゃん。  両手で身体を抱き締めるが、身体も腕も震えていた。  がちがちと歯が鳴る。  そんな如月の前で、オルフィーナも手の中でナイフを同じように回転させて、姉に柄を向けた。  はっきりとオルフィーナは宣言する。 「美衣紗は私が守ります」 「かすり傷ひとつでも付けたら、あなたを殺すわ」  姉もそのナイフを握り、自分の親指に刃を当てて引いた。  如月は目を閉じて、その血を見ない。それでも、甘い香りが鼻に届いた。 「しっかりと見ておきなさい」  姉の声に、如月はそっと目を開ける。  流れた血をオルフィーナは、自分の湯飲みで受けた。  そして無言で、それをひとくち飲む。  姉に渡すと、姉もそれをひとくち飲んだ。  ふたりは同時に言う。 「お母様に誓って」  そしてふたりはお互いの目を見たまま、頷き合った。
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