神々の曙

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神々の曙4 浪花の登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)は摂津の国をほぼ手中に治めており、多くの国人 が従っていたのです、多く、 の兵がおり中々強敵であり、その本拠地の砦は周りを掘りで囲まれており攻めるのは困難を極めたのです、神倭伊波礼琵古命、 (かむやまといわれひこのみこと)が、 五瀬命(いつせのみこと)に何か良い方法はないかと聞くと、多くの国人も砦にこもっています、兵糧攻めしか手がありません、 が1年はもちこたえられると思われますと言うので、それでは無理攻めはやめて隣の大和、紀伊の国をまず平定しようと言うと、 小国の紀伊に上陸して、 紀伊を攻略したのち大和に侵攻した方が犠牲は少ないと思うと五瀬命(いつせのみこと)が言うので、それでは明日は船で紀伊、 に向かうぞと神倭伊波礼琵古命が言ったのです、翌日浪花を出るときに登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の兵に待ち、 伏せされましたが何とか撃退したのです、 この戦いで五瀬命(いつせのみこと)は手傷をおい、その傷がもとで亡くなってしまつたのです、翌日は船に乗り紀伊の国の、 紀ノ川の河口から熊野村に進軍すると、熊野山に住むという大熊が現れ立ちふさがり、大熊の毒に兵がやられてバタ、バタと、 倒れたのです、 その時熊野村に住んでいた高倉下がこの剣を使えば大熊を退治できますとさし出したので、剣を受け取り大熊に立ち向かい、 見事に仕留めたのです、高倉下に凄い剣だがどこで手に入れたのだと聞くと、高倉下が武甕槌神(たけみかづちのかみ)が夢に、 現れ、 神倭伊波礼琵古命に献上するように言ったのですと答えると、天照大臣が助けてくれたのだろう、この剣は我が家の宝にしょう、 お前には褒美にこの、紀伊の国の統治をまかせようと言うと、高倉下は喜んで吉野への、道案内を八咫烏(やあたがらす)に、 させますと言ったのです、 道案内の八咫烏(やあたがらす)に導かれて吉野に入ります、ここにも敵対する国人がおり、なかなか従がおうとはしません、 ここは海路から大和にはいる重要な地点で、何としても平定して子飼いの者を配置する必要があったのです、敵は小高い丘に、 砦を構えています、 神倭伊波礼琵古命は鍛治職人に鉄かごを10個作るように命じて、兵にここにある木を上の二股を除いて枝を切り落とさせたの、 です、職人が出来ましたと言うので二股の木に太い縄を巻き付けて、大勢の兵にひかせてしならせ固定したのです、できた、 鉄かごを二股にくくりつけけ、 火を起こしあの石を焼くのだと言て火の中へ石をいれて、焼けると鉄のかごにいれさせて、いいかわしの合図とともに両脇の、 縄をきるのだと言い、いくぞ縄を切れと号令すると兵が縄をきると、しなった木がはじけて、鉄かごにいれた石が砦の方へ、 唸りを上げて飛んでいき、 砦の柵をぶち破り敵兵の中に転がったのです、焼けた石により大勢の兵が逃げまどったのです、残りの9個の用意をさせて敵に、 降参しないなら9個の焼けた石が砦に飛んでいくぞと言うと、一斉に砦から弓が飛んできましたが矢は届きません、しかたない、 用意しろと言って、 用意ができると一斉に綱をきると、9個の焼けた石が砦に飛んでいき、兵が大勢倒れ、砦の中の建物はすべて火がつき燃え落ち、 たのです、兵の頭がたまらず降参すると言うので、武器を捨てて出てこいと言うと、大勢が出てきて神倭伊波礼琵古命にひれ伏、 したのです、 従うのかと聞くと、何でも言う事を聞くというのでこの地は没収する、お前はわしに従って大和に進軍するのだ、道案内をせよ、 と言うと、承知しました、兵糧も差し出しますというので首をとるのはやめておこうと言うと、ありがとうございますと頭が、 言ったのです、 吉野の頭に案内させて大和へ進軍すると、峠を越えたところで前が開けて大きな盆地が見えたのです、ここが大和かここなら、 大きな都を作る事ができるな、ところでここの国人達は誰に従っているのだと聞く、大勢の国人がいますがそれぞれが独自に、 各村を勢力権においており、 まとめた頭はいませんと言うので、ここから一番近い村はと聞くと、倭の畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)、 という場所です、小さな神社がありますと言うので、そこに進軍すると国人が出迎えたので、わしに従うか聞くと勿論、 何でも言ってくださいと言うので、 ここを大和朝廷の都とする、わしが初代天皇に即位してこの日の本を治めるぞと言うと、承知しました国人に使いをだします、 と言うので、従わない者はわしが兵を率いて成敗すると申し伝えよと言ったのですのです、神倭伊波礼琵古命は神武天皇とし、 て大和を平定したのです、 奈良に都を築くことにして、平定した地域から多くの大工、鍛治職人、商人をよびょせてまずは館の建設と街並みを建設して、 1年で大きな都、平城京を作り、近隣を征伐して、まずは浪花を平定する事にして大軍を送り、登美能那賀須泥毘古(とみの、 ながすねびこ)を屈服させて、 播磨、伊勢を屈服させ西の日の本の半分を平定し、45歳で東征を行い137歳で崩御したのです。-------完
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