23人が本棚に入れています
本棚に追加
神々の曙3
その頃吉備の国(岡山)では頭である吉備津彦が、みんなをあつめて神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)は周防、
阿岐に進行し、いずれの国も神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)に従ったそうだ、我々はどうするか何か意見が、
あれば言うが良いと言ったのです、
弟が吉備の国の国境には鬼熊という山賊がおり、いまだかって我々は退治していない、この際神倭伊波礼琵古命の力をかりて、
退治したらどうかと言うと、他の者も同じ事を言うので、吉備津彦が鬼熊は出雲の国を後ろ盾にしているので、なかなか退治、
できないな、
この際、神倭伊波礼琵古命と手を組んだ方がよいか、それでは会いに行くとしよう、吉備の名産である桃と吉備だんごを持って、
行こうと言って用意させて、神倭伊波礼琵古命のに会いに行ったのです、神倭伊波礼琵古命は吉備津彦を迎えてわしに従うのか、
と聞くと、
吉備の国の国境に鬼熊と言う山賊が鬼が城という砦を構えている、出雲の国が後ろ盾になっているので中々退治できない、鬼熊、
は近くの村々を襲い、村人は難儀している、退治に手を貸してくれるなら従おうと言うので、わかった、出雲の国の兵が出て来、
たら追い払ってやろう、
あくまでもお前が鬼熊を退治するのだというと、承知したここに吉備の名産である桃と吉備だんごを持ってきたみんなで食うて、
くれと差し出すと、それはありがたい遠慮なくもらうぞ、鬼熊退治の用意ができたら知らせよ、わしが兵をひきつれて出雲の兵、
を追い払おうと言ったのです、
しばらくして用意ができたと言うので、兵を引き連れて出雲の国境にいくと、断崖絶壁に砦を構えており、登り口は1箇所しか、
なく無理強いすれば多大な損失をだします、裏側は草原でここも隠れる場所はないようです、吉備津彦の物見が裏の草原に出雲、
の兵500が助っ人にきていますというので、
それはわしにまかせろと言って神倭伊波礼琵古命は草原の方に進撃したのです、こんども火攻めでいくぞ、わしは出雲の兵の後、
ろにまわる、赤い矢をはなつので枯れ草に火をつけろ、風は出雲の兵の方に吹いていると言って迂回して配置についたのです、
矢をはなつと、
草原に火の手があがり、勢いよく出雲の兵の方に向かっていきます、愕いた兵は一斉に後ろにむかって退却をはじめたのです、
両脇の横合いから弓やが飛んできて出雲の兵はバタ、バタと倒れたのです、いまだと神倭伊波礼琵古命と言うと、兵が一斉に、
突撃したので、
出雲の兵は武器を捨てて、蜘蛛の子を散らすように退却していったのです、これてでよしと言って、鬼熊の砦の前にもどると、
吉備津彦がお見事でござるというので今度はお前が、この砦を落とすのだと言うと、やはりこの絡めてから攻撃した方が良い、
ですなと言うので、
先ほど砦の中から煙があがったが、おそらく抜け穴の出口が先ほど燃えた草原のどこかにあるのだろう、木の蓋は燃えたはず、
だからすぐにわかるだろう、見つけたら50人をそこから入らせて、用意ができたら、一斉に絡めてに向かって進撃するのだ、
中に入った50人は、
絡めての扉の兵を倒して、扉をあけて、怒涛の如く侵入して、あとは切り放題だと言うと、承知と言って、50人が穴にはいると、
ゆっくりと進撃したのです、注意をそらすために弓を射かけると、敵も応射してきます、弓よけを盾にしてじりじりと詰め寄る、
としばらくして、
扉が開いたので全員が突撃して門の中にはいり、襲いかかったのです、数の多い吉備の兵においたてられて鬼熊の兵は次々と打、
たれたのです、吉備津彦が先頭で切り結び進撃すると鬼熊が現れて、わしと一騎打ちだと言うので吉備津彦は手を出すなと配下、
に言ってさあ来いと言うと、
鬼熊が金剛棒を振り回して、振り下ろすと右に飛び跳ねてかわし、踏み込んで頭を剣でたたくとガンと音がして鬼熊がよろけた、
ので、金剛棒にとびのり飛び跳ねて剣を顔に突き刺すと右目に突き刺ささり、そのまま後ろにドスンと倒れたので馬乗りになり、
一気に首をかき切り鬼熊を打ち取ったりと高々と首をあげると、吉備の兵がお~と大声を出したのです、神倭伊波礼琵古命がか、
けつけて来て、お見事でござると言うと、いや、倭伊波礼琵古命殿の策にて、念願の鬼熊の首を取りました、これよりは命に従、
いますと言ったのです、
砦に守備のための兵を置き一月たてば交代するので、それまではよろしくな、出雲の兵が現れたらすぐに知らせるのだと守備、
隊長にいいつけて、凱旋したのです、吉備津彦が新しい館が出来るまで、この吉備神社をとりあえずの館にしてくだされと言、
うので、
我々は浪花に行かねばならぬと言うと、まだ長門、美作、伯耆は従っていないでしょう、浪花から征伐するのは遠すぎます、
ここを起点にして討伐した方が良いですよ、我々吉備の兵も手をかしますと言うので、そうだなここからは裏日本に出るのは、
簡単だなそうする事にしょうと言ったのです、
凱旋した吉備津彦は神倭伊波礼琵古命を館によんで祝宴を開くと、大勢の人々が貢物をもってお祝いにかけっけたのです、のち、
に吉備津彦は吉備神社に祭られて、鬼退治の伝説の桃太郎として地元の人々から崇められる事になります、神倭伊波礼琵古命は、
吉備の国に8年も留まります、
後に大和の奈良に都を開きますが、ここには吉備の人々も多く移り住んだとおもわれます、後の発掘調査では吉備の国の焼き物、
備前焼きの皿、土鍋、茶わん等が多く出土されているのです、しばらくして館ができたのでそこに移りまずは伯耆の国を征伐す、
る事にしたのです、
しかし伯耆の国は、出雲の国の影響かにありここに侵攻すれば、必ず出雲の国との争いになるのです、良い砂鉄が取れて鉄製品、
の製造が盛んで、良い剣、槍を持った強固な軍です、その頃出雲の国では鬼熊に送り込んだ500の兵が武器を捨てて帰って来た、
ので倭伊波礼琵古命の力を思い知り、
次には伯耆に侵攻するだろう、もし伯耆に兵を出して敗れれば出雲弱しとみて出雲にも侵攻するだろう、出雲に手を出さない限、
り静観する事になったのです、神倭伊波礼琵古命は吉備の兵もつれて大軍で伯耆の国に侵攻したのですが、出雲の兵は出てきま、
せん、
難なく伯耆の国を征伐して勢いをかい美作、長門に侵攻して国人達を従わせてしまったのです、しかしほぼ8年もかかり、後は、
東に向かって進軍する事にしたのです、とりあえず出雲はそのままにして、船により浪花に向かい上陸したのです、しかし浪花、
を支配している、
登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)に敗北してしまい、兄の五瀬命(いつせのみこと)は受けた傷がもとで亡くなり、
用意に征伐することは出来なかったのです。ーーーーーー完
最初のコメントを投稿しよう!