幸せのかき氷

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 ***  子供達を幸せにしてくれる、魔法。  そうだったな、と僕は思う。同じことを言っていた人が過去にもいた。僕の亡くなったおじいちゃんだ。父方のおじいちゃんはあの世代に珍しい、とにかく子供を可愛がり妻を大事にする温厚な人で――孫達には大人気だったのである。  夏は決まって、海に連れていってくれた。そこで毎年僕は違う味のかき氷をおねだりしたのである。おじいちゃんと並んで食べるかき氷の味が大好きで、毎年のように“来年は●●の味にする”と宣言して、それを約束にしていたものだ。そして全種類制覇してまた最初に戻る、というローテーションである。  記憶にある限り、五年はそれを続けたように思う。近場の海の家には、かき氷の味は四種類しかなかった。来年は二回目のレモン味を食べる、と言って――それが最後になってしまったのをよく覚えている。  その年の冬、大好きだったおじいちゃんは天国に行ってしまったのだから。 『儂の子供の頃はなあ、こんな子供達が海でわいわい遊んで、好きなだけ美味しいものを食べて……ってことはなかなかできなかったわけでなあ』  温厚だけど陽気で、おじいちゃんだけど若い人向けのテレビも本もよく見る人だった。僕が当時大好きだった戦隊ヒーローの名前もすぐ覚えてくれたし、ポッコリモンスターの春の映画にもしゅっちゅう連れていってくれた。おじいちゃんは僕の好きなものに趣味をすぐ寄せてくれたし、話しをするのはいつも楽しくて。  かき氷の味は僕に思い出させてくれるのだ。おじいちゃんとの楽しかった時間を。子供の頃の、懐かしい思い出を。 『孝宏(たかひろ)がかき氷を好きなように、儂もかき氷が大好きだ。これを食べながらお前さんと話すこの時間が大好きだ。……こういうものをな、これからもどんどん続けていって欲しいと願うよ。未来の子供達がいつまでもかき氷を食べて、笑顔になってくれる世界であって欲しいと思う。……お前さんもな、大人になったらかき氷のように……誰かを幸せにする仕事をするんだぞ、いいな?』  そうだ。僕は、おじいちゃんとの思い出を守りたくて。  おじいちゃんから貰った嬉しい気持ちを誰かに広めたくて、サラリーマンをやめたのだ。 『かき氷のように、幸せの魔法をみんなにかける仕事をするんだ。それが必ず、お前さんの幸せにも繋がっていくからな』  忘れていた、わけじゃない。でも僕は、よりにもよって僕が店を開いた夏から――こんな有様で。お客さんが全然来なくて、かき氷なんてものの需要も見えなくて。  どこかで腐ってはいなかっただろうか。暑くならないからいけないんだと、全部そのせいにしてはいなかっただろうか。  たくさんの人にかき氷を食べてもらって、ひとりでも多くの子供達を幸せにしたいという最初の気持ちを、どこかでなくしかけてはいなかっただろうか。 ――よし。  岡島さんが帰った後、僕は裏の事務所でパソコンを開いていた。精霊とやらの言葉通り、本当にこの後暑い夏がやってくるかどうかは分からない。でも、実際にお客さんが殺到した時、今のやり方では多くのお客さんの注文に対応できなくなるのは明白である。  まずは製氷機を買おう。それから味も――三種類だけで満足している場合じゃないはずだ。  子供達は、いろんな味を食べたいはず。珍しいものがあったらそれに挑戦したいと思う人もきっといるはず。シロップの種類も、面白そうなものがないかきちんと捜してみるべきだろう。 ――あと、子供が遊べるラクガキスペースとか作ってみるといいかも。多少汚してもいいように工夫して……あと、可愛いポップも。やれる範囲でだけど、やってみよう。  本当に、かき氷の美味しさと、そこに込められた素敵な気持ちを知って貰うために。平凡な僕にもきっと、出来ることがあるはずだ。がっくり来るのは、するべき努力をすべてこなしてからでもおかしくないはずである。 「なんだなんだ、急にやる気出したのか?」 「……俺、事務所の鍵ちゃんと閉めたよな?お前なんでちゃっかり中に入ってきてんの?」  いつの間にそこにいたのだろう。相変わらずの毛玉猫は、大あくびをひとつして身体をぐいーんと伸ばしてみせた。 「ドアは閉めても窓が閉まってなけりゃ、儂らにとってはなーんの意味もないんだよなあ。……目が輝いているじゃあないか、孝宏。やりたいことが見つかったみたいだな」 「え」 「いっぱい売るんだぞ、幸せのかき氷。見ておるからな」  固まる僕をよそに、自称精霊の猫は軽やかに戸棚に飛び乗ると、器用に前足で窓を開けて外に飛び出していった。  僕はあっけに取られて、その後ろ姿を見送ってしまう。 「今、孝宏って、呼んだ……?」
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