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幸せのかき氷
ざり、ざり、ざり、と特徴的な削る音。
未だに手回しのかき氷機を使っている海の家なんて、多分ここくらいのものなのだろう。予算もあまりないが、最大の理由は“買う必要がないから”だった。
今年は冷夏。海の家に来てくれる、お客さんそのものがあまりにも少ない。
「はい、おまちー。ストロベリーシロップね」
「ありがとなあ、兄ちゃん」
今日、僕の店に着てくれたお客さんは、常連のおじいさんただひとりだった。平日で、この涼しい気温ではどうしようもないだろう。それでも気温問わず、来てくれるお客さんがひとりでもいるだけでマシなのである。近所の他の海の家の人にも話を聞いてみれば、大体状況は同じようなものであるという。
本当に、最近の夏は極端でいけない。
去年は“梅雨何それ美味しいの?”くらいの空梅雨であったのに、今年は真逆。“夏って何それ食べ物だっけ?”みたいな有様。七月も後半に差し掛かっているのに、曇と雨ばかりで殆ど気温が上がる気配もない。そんな極端で何が困るのかといえば、去年の様子を見て“よーしかき氷を売るぞ!”と息巻き、今年から許可を取って海の家を出店した僕のような人間である。
正確には、この小屋を建てたのは僕ではない。前の大賑わいの年までやっていた家族が、今年からは事情で店を出せなくなったため、いらなくなったこの場所を安値で脱サラした僕が買い取ったのである。独身サラリーマン、特に趣味もなかった僕は、こう言ってはなんだか貯金はかなりの額溜まっていたのだった。明らかに向いていない総務の仕事から一転、自分が一番やりたいことをやろうと思っていた矢先――親戚の家族がここを引き払うらしいという情報をキャッチしたのである。
どうしてもやりたい仕事。それは、かき氷の良さをひとりでも多くの子供達に広めたい、ということ。
僕は子供の頃からかき氷という存在には、非常に思い入れがあったのだった。それゆえだろうか、この冷夏で完全に過疎っているこの場所に――最近妙な存在が居座るようになったのは。
「今日も客はひとりだけじゃのう。さみしいか?ほれ、淋しいか?」
カウンターの前から、にやけたような老人の声がする。はあ、と俺はため息をついて身を乗り出し、そこを覗き込んだ。
途端、ふさふさの毛が目の前に飛び込んできてひっくり返りそうになる。眼前いっぱいに広がったのは特徴的な顔だけが黒いもふもふ――ヒマラヤンの顔だ。
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