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第3話 その方が好みだ
生まれて(おそらく)18年。
たぶん、今の状況は赤ん坊の時くらいにしか経験がないと思う。少なくとも、物心ついてからは無い。
「おっ、俺、自分一人で洗えますから!」
「そんなこと言わないでください! 僕の仕事ですし、洗わなかったら旦那様に叱られてしまいます!」
「うう…っ」
屋敷に着いて早々、俺はお風呂場に連行された。そして"旦那様"はどこかへ消え、代わりに俺と同年代くらいの少年が現れた。どうやらこの屋敷の使用人らしく、俺のことを洗うために来た、と満面の笑みで言われた。
「わっぷ!」
「すいません!あの!目を閉じていてください!あと口も!」
ごしごしと、性的な動きなんて微塵も感じさせない手つきで洗われる。なんだか洗濯物にでもなった気分だ。
「湯船はどうしますか?」
「…は、入らないで、大丈夫です…」
「分かりました!」
俺を洗ってくれた少年は、太陽のような笑顔を見せる。"旦那様"の笑顔とは全く違う。
「あ、あの、これ着るんですか…?」
「はい、旦那様が用意されたものですよ!」
「こ、これはちょっと」
「お似合いです!」
「でも、」
「旦那様も喜ばれます!」
どうやら少年はかなりの強引さを持っているようだ。有無を言わせない迫力がある。
というか、"旦那様"は、俺のことを…もしかして女だと勘違いしているんじゃないだろうか…。
ヒラヒラしたレースが目立つ服を眺めながら複雑な気持ちになった。
**
「戻ってきたか」
「は、はい。でもこれ…女性が着る服、では…?」
「ああ。元々女を買う予定だったからな。用意はそれしか無い。着ていろ」
「……はい」
どういうことだ。
じゃあなんで俺を買ったんだ。
疑問は尽きないが、"旦那様"の琴線に触れるものが俺に…、…あるかな?
とりあえずこの人に気に入られなければ俺は生きていけない。ぎこちなく、にこ、と微笑むと"旦那様"は眉をひそめた。
(…?)
何か間違ったことを言っただろうか。
首をかしげると、舌打ちをされた。
何だっていうんだ。
「だいぶ躾られているようだな。金で買われたことをよく理解している」
「…っそ、そうですね。俺は旦那様のものになったので」
本当は従うなんてごめんだ。でも、抗ってはいけない。そんなことをしたら、またあの地獄の生活に逆戻りだ。
曖昧な笑みを顔に貼り付けると、"旦那様"はベッドに腰かけた。隣をぽんぽん、と叩かれ、俺はそこに座る。
「従順だな」
「……ありがとうございます」
「礼などいらない。ああ、それと、お前に伝えておくことがある」
「何でしょうか?」
「お前は男なら誰でもいいんだろうが、この家に来たからには、生活は改めてもらうからな」
「だ…っ?! …誰でもいいなんて、そんなことはありません」
「そうなのか? お前は商品として売られていて、日毎違う男にその身を差し出していたんだ。会ったときも複数を相手にして、悦び、咽び泣いていたように見えたが?」
「…っ」
悔しさにぎゅ、と手を握りしめる。
そんな風に見えていたなんて心外だ。
でも、抑えないと。
大丈夫、俺は、大丈夫…と、呪文のように繰り返す。
「俺で物足りないとは思えないが、うちの家のものに手を出されたら困るからな。精々大人しくしていることだ」
大丈夫、大丈夫……
「お前は、俺を悦ばせることだけを考えろ。簡単だろう? 手練手管は教え込まれているだろうし、体は男を求める淫乱さを持ち合わせて、」
「…っざけるな!」
しまった、と思った時には遅かった。
俺は、目の前の男を殴っていた。平手打ちなんていう可愛いものではない。拳骨で殴ってしまった。結構思いっきり。
「俺は…っ、好きでこんな、男とセックスできる体にされたわけじゃない!従順でないと、言うことを聞かないと酷い目に遭わされるんだ!だから生きるために仕方なかったんだ!知らないだろ!あんたみたいに恵まれている人は、飢えの苦しさも、焼けるような痛みも、何も知らないんだろ!それなのに俺のこと、知らないくせに…っ、勝手なこと言うなっ!」
はぁ、はぁと息を切らせながら、俺は自分の人生が終わったことを悟った。
でも、それよりも、この人に嘲られ、馬鹿にされるのが嫌でたまらなかった。
「…それがお前の本当の気持ちか?」
「…っ、そうです」
「……」
"旦那様"が手をあげる。殴られる、と思った俺は、目をぎゅっと瞑った。
しかし、痛みはやってこない。
「……?」
代わりに、ぐい、と引き寄せられ、唇に柔らかいものが押し当てられた。
「っ?!」
「は、…何を驚いている」
「なっ、何って…? いや、あんたこそ、何してんだ…」
「俺は気の強い奴が好きだ。従順で大人しく飼われる奴もいいが、反抗的な方が燃える」
「…」
呆気にとられて"旦那様"を見つめると、大層悪そうな笑みを返された。何だ、この人。
「従順すぎるようなら取り替えようと思っていたが…お前は面白い奴だな。まさか殴られるとは思わなかった」
「…っ旦那様…、あんた、一体…」
「フィリオだ」
「え」
「俺の名前だ。特別に呼ぶことを許してやろう」
「…。フィリオ様」
「『様』もいらない」
「…え。あ、えっと…、フィリオ」
「ああ、それでいい。…ニィノ」
フィリオは満足そうに笑って、また俺に優しく口づけた。
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