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第9話 隣に並び立つ用意
次の日から家庭教師がやって来た。
俺はてっきり一人だけだと思っていたけど、語学に算術、歴史にマナー…、とにかく様々な分野の人が入れ替わり立ち替わり現れた。
大変だったけれど、さすがというかなんというか、家庭教師の人たちの話す内容は面白くて、中身がすんなり頭に入ってきた。
新しく知ることだらけで嬉しかったのかもしれない。まぁ、そりゃ俺は知らないことのほうが多いから当たり前なんだけどさ。
午後の授業が終わって一息ついていると、小気味のよいノックの音と共に青年が入ってきた。
今まで来ていた家庭教師の人たちは年配の人が多かったけど、今目の前に立っている青年は、俺より少し年上に見えるくらいの見た目だ。
人好きのしそうな笑みを浮かべながら、近づいてくる。
「ああ、そのままで大丈夫」
立ち上がろうとすると、片手で制された。
栗毛の髪が光を受けてキラキラして見える。
フィリオとはまた違った感じだ。
「僕の名前はジルベルト。気軽に"ジル"と呼んでくれて構わないよ」
「え、…あ、はい」
「フィリオとは切っても切れない間柄でね」
「そう、なんですか?」
「ああ。でも安心してくれ、別に疚しい間柄ではないよ。新婚の二人に水をさすような真似はしないと誓おう」
「…」
結婚したとはいえ、別に甘い空気になるわけでもないんだけど。でもフィリオにそういう間柄の人がいるのは意外だった。
気にはなる。
「どんな関係なんですか?」
「ああ、僕はね、フィリオと学友でね。高等学校まで寮で寝食を共にした。しかし、一番は何といってもフィリオの妹を妻に迎えたことだね」
「フィリオって、妹がいたのか…」
「彼女はそれはもうとびきり可愛らしくて、たおやかで素敵な女性さ!僕を選んでくれた時、普段は信じていない神に感謝したくらいだ。それを伝えたら彼女は嬉しそうに微笑んでくれたよ」
エイミといいこの人といい、フィリオの周りにいる人はよく喋るなぁ…というのがその時の感想だ。
あと、フィリオの妹だというから、傍若無人なイメージを勝手に描いたけど、話を聞く限り似てないのかもしれない。
「おっと…本題に入ろうか。僕が家庭教師に選ばれたのは、おそらくフィリオの知り合いの中で、ダントツに魔法の扱いに長けているからだね」
「魔法、ですか」
「ああ。君も知ってのとおり、この国の地位は、魔力の有無で決定すると言ってまず間違いない。元々生まれ持った魔力が強かったり、魔法の扱いが上手かったりする者が優遇される」
「そうですね。でも…俺に魔法の才能なんてあるとは思えないんですが」
「ふむ。君は魔法の属性と魔力の量を測定したことはないのかな?」
「…。ないです」
「そうか。じゃあまずはそこからだね」
それから俺は、魔法の成り立ちや精霊との契約についてや、魔力の込め方など、おそらく基礎の基礎であろうことを習った。「ある程度理解できるようになったら、今度は実践をしようね」と言われ、ジルさんとの勉強は終わった。
**
「帰ったぞ」
そして、あっという間にフィリオが帰宅する時間になった。朝言いつけられた通り、恐る恐る玄関口に顔を出す。
「おい、早くこっちに来い」
「う…」
昨夜の話は本気だったようで、俺は朝からフィリオにキスをしてから見送ることになった。しかも最初は頬にしたのに、「こういう時はこちらだ」と強引に、しかも深く口付けられてしまったし…
(う。思い出したら恥ずかしくなってきた…!)
というか、朝は部屋から送ったから他の人には見られてないけど、今はフィリオのそばにエイミや他のメイドたちがいるんだよなぁ…。
「遅い」
「ええと…おかえり、なさい」
正面に立ち、ぎこちなくそう告げると、ぐいっと引っ張られた。よろけてフィリオにもたれかかる形になる。
「っ、とと!」
「今朝教えたばかりだが、もう忘れたようだな」
「わ、忘れてない」
「ん」
「…っ」
じ、と見つめられ迷ったものの…観念して背伸びをし、そっと触れるだけのキスをする。
ダメだ恥ずかしい。とんでもなく恥ずかしい。顔がカァッと熱くなるのが分かる。
「…。」
「な、何?」
「まぁいい。続きは部屋でな」
「~っ!!」
周りに人がいるのに何てことを!!
この人でなしめ…っ!
そう心の中で毒吐きながら、俺はぷいっとそっぽを向いた。
**
部屋に戻り、フィリオがソファーに腰かける。ムスッとしたままその隣に座ると笑われた。
「それで、勉強の方はどうだ」
「面白かったけど、ちょっと疲れたかな」
「そうか」
それから今日の1日の流れを話した。
フィリオは何が楽しいのか、ずっと面白そうに俺の話を聞いていた。今までこんな風に話を聞いてくれた人なんていなかったから、何だか新鮮な気分だ。
「ジルベルトって人が最後に来て、魔法の基礎を教えてもらった」
「ジルか…余計なことは言っていなかっただろうな? あいつは魔力は強いが、人間性に問題がある」
それは、フィリオにも当てはまるような…という言葉は飲み込んだ。
「…。特には、ないかな。…あ、フィリオに妹がいるって話は聞いたけど」
「ん?リディのことか。確かにあいつはジルに嫁いだ。あの男のどこがいいのかは分からんが、仲はいいようだな」
「ふぅん…」
妹の名前はリディっていうのか。
一体どんな子なんだろう。ジルさんの話を聞いた感じだと、だいぶいい子のようだけれど。容姿がフィリオに似ているなら、綺麗な人なのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると、突然するりと髪を撫でられた。そのまま頬をたどり、首筋を撫でられ、ゾクッとするものを感じる。
「く、くすぐったい…」
「…。」
フィリオは片手を俺の左手に重ね、そっと距離をつめてきた。
キスされる?
…と思って反射的に目をつぶったけど、予想したものがやって来ることはなかった。そろりと目を開けると、フィリオは俺の後ろに手を伸ばしただけだった。
そして、取ったそれを俺の胸元に押し付ける。
「読んでみろ。昨日の復習だ」
「え、あ、本…」
「なんだ、何かを期待したか?」
ククッと笑われ、真っ赤になる。
いや、ちがう、期待してたわけじゃない…!
本を受けとり、慌てて「べっ、別に期待なんてしてない!」と反論する。何が楽しいのか、フィリオは上機嫌だ。
「ふ、まぁいい。昨日よりはいくらかマシになっていると思いたいが…どうだかな」
「馬鹿にしないでくれ、これくらい…!」
昨日と同じ部分を声に出して読む。
うん、覚えてる部分があるし、今日勉強した部分は何となく理解もできる。
「ほう、そのページは読めたな」
たどたどしい読み方だったとは思うし、昨日読んだばかりだから覚えてた、というのはあるけど、昨日より格段に読めるようになってる。
「お前の声は心地いいな」
「そ、そう?初めて言われた」
「ああ。好みの声だ。ベッドの中の声も色っぽいが、それとはまた違った色気があるな」
「ベ…ッ」
固まっていると、フィリオは俺の顔をまじまじと見つめた。
「お前はそういう類いの店に居たくせに、俺の性的な言葉や行動に過敏に反応するんだな。面白いからいいが」
「面白いって、つまり、わざと言ったりやったりしてるってことか…!」
「反応が新鮮でな」
何て奴だ…!
じと、と視線を送ると髪をかき混ぜるように撫でられた。
「あと、お前の『初めて』を奪うのは楽しい。もっと俺だけにしか見せないお前をさらけ出すといい」
そっと手をとられ、左薬指に口付けられる。
まるで騎士が姫にするような…この絵本にも出てくる、そんな神聖な感じがする行為。
…ただ違っているのは、左薬指に刻まれているのが、隷属の証ということだけ。
フィリオはたぶん、俺を玩具の一つくらいにしか思ってないんだろうけど…何だか無性にむずがゆくなって、(せめて隣に並べるくらい、対等になれたらいいのになぁ)なんて、密かに思った。
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