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「こんにちは。先生」
「ああ、君か。
どうしたんだ。この間の原稿に、不備でもあったのかい」
首を振る。
「いえいえ。今回も良かったですよ。
上からの評判も上々でした」
「それはよかった」
「実は、先生からこの間お借りした小説」
「読み終わったかい」
居心地悪そうに、口ごもる。
「ええ、先生から、館物の古典的名作だから、勉強のために読むよう言われましたので、私なりに、一生懸命読んでみたんですが」
「多少トリックは古めかしいかもしれないが、盲点を突いていてよかっただろう」
「話の持っていきかたや、登場人物の心理描写なんかは、今の時代にはない細やかさで、確かに勉強になりました」
「そうだろう」
「ただ、分からないことがいくつかありまして」
「わからないこと?」
沈黙。黙考。
「いいよ。言ってみたまえ。
私にこたえられることならいいんだが」
安堵。ほっと、息をつく。
「ありがとうございます。
いくつかあるのですが、まず、第一の殺人が起きた後、館を出ようとしましたね」
「うむ」
「ですが、外界への唯一の道である橋が、落ちていたため断念する」
「そうだね。外界との接触が断たれた閉鎖的な環境で、事件が起きる。
まさに、館物の醍醐味だ」
「ですが、登場人物たちは皆、車で館まで来ていました。
ホバー機能を使えば、橋があろうがなかろうが、外界との行き来は可能なのではないでしょうか」
「……」
困惑。冷や汗を垂らす。
「あの、何か、おかしなことを言ったでしょうか」
「いや、大丈夫だ。なるほど、そういうことか。
君の年代では、車は飛んで当たり前なんだな」
「と、いいますと」
「昔の車には、ホバー機能なんてなかったんだよ。
足元についた4輪のタイヤで、地面の上を走っていたんだ」
「そうか!車が空を飛べないなら、橋を落とせば、外界との接触を断つことができる。そういうことだったのか!」
頭に電球を浮かべる。
「あ!じゃあ、電話線が切られて、外と連絡が取れないっていうのも」
「昔は、携帯電話なんてなくて、電話同士を電話線っていう有線でつなげていたんだよ。
すごく簡単に言うと、糸電話みたいなもんだよ。
図工の時間に作ったことがあるだろ。コップとコップをタコ糸で結んで」
「わかります。わかります。
そういえば、昔ドラマで見たことがあるかもしれません。
あの、ジリリリン、ジリリリリン。ってやつですよね」
「かなり古いタイプだけど、そうだね。その、ジリリリン。ってやつだよ」
「電話線、ってなんだろう。ってずっと不思議だったんですよ」
腕を組み、少し考え込む。
「テクノロジーの進歩っていうやつですね」
「その調子だと、君。
なんで被害者を生き返らせなかったんだろう。なんて、考えてたんじゃないかい」
「はは。まさか。
いくら僕だって、そこまでじゃありませんよ。
昔は人が死んでも生き返らせることができなかったんですよね。
歴史の教科書に死んだ人は良く出てきますし、今でも、悲恋物なんかでは、生き返れない設定の物も多いですから」
「それもそうか。すまなかったね。少しからかってみたくなってね」
和やかに笑う。
「でも、時代が違うと、色々な背景も違って面白いですね。
僕も、自分で買って読んでみようと思います」
「そうかい」
「ですから、こちらは、お返ししますね」
貸していた本が、転送されてきた。
「それでは、失礼します。
また、よろしくお願いします」
姿が消える。
「ふう」
私は、VRディスプレイを取り外した。
現代では、仮想現実でほぼすべての生活が成り立っている。
人間同士のコミュニケーションにしてもそうだ。
直接会うよりも、仮想空間を通した方が、時間の節約にもなるし、身支度に時間をとられる必要もない。
ついでに言えば、並列思考が可能なので、私的な時間をとりながら人間関係を強化することもできる。
私も、先ほどまで別の仕事をしながら、話をしていたし、話をしていた編集者にしても、他の作家に話をするのと同時に、こちらと話をしていたはずだ。
「現代では、一つの館に複数人が生身で集まるなんて、ほぼないよなあ」
トランスポーターに置かれている本を見て、私は苦笑した。
未来のミステリーは作家には中々厳しい。
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